見出し画像

ニーチェ「贈り与える者と無償で得ようとする者」

「超人」とは、太陽ように過剰なほど充実した存在であり、贈り与える徳を持った高貴な存在です。それは金にも例えられています。その対極の存在は、何でも無償で得ようとする乞食や賎民です。賎民は、いっさいのものを小さくする末人とも呼ばれ、最も軽蔑すべき者と言われています。

───────────

だが乞食たちを寄せつけることは、絶対にしてはならない。まことに、与えても与えなくても、乞食というものは、はらだたしい。
手塚富雄訳「同情者たち」

───────────

「ところで、汝は我らのために何の贈物をしてくれるだろうか?」。
この言葉を聞いた時、ツァラトゥストラは聖者に挨拶をして言った「私が汝らに与える何を持っていようか!逆に汝らから何も受け取らなくて済むように、早く私を立ち去らせてもらいたい!」
小山修一訳「ツァラトゥストラの序説」

───────────

有徳者たちよ、君たちのことを今日わたしの美は笑った。その声はこうわたしに聞こえた。「この人たちはまだ──支払いを受け取るつもりでいる」と。君たちは、まだ支払いを受け取るつもりなのか、有徳者たちよ。徳にたいして報いを、地上の生活にたいして天国を、君たちの「今日」にたいして永遠を手に入れるつもりでいるのか。
手塚富雄訳「有徳者たち」

───────────

私は彼らのもとで、こんなことも学んだ。賞賛する人は、それで何かのお返しをするかのように見せかける。だがほんとうは、もっと贈り物を貰いたがっているのだ。
森一郎訳「卑小にする徳」

───────────

高貴な魂のありかたはこうである。高貴な魂はどんなものをも無償で得ようとは思わない、ことに生を無償で得ようとは思わない。賤民に属する者は、無償で生きようとする。
佐々木中訳「新旧の表5」

───────────

人間にたいする、「賤民」にたいする嘔吐感が、いつもわたしの最大の危険だった。
『この人を見よ』「なぜわたしはこんなに賢明なのか8」

───────────

それならわたしはかれらに、最も軽蔑すべき者について語ろう。それは末人というものである。

そのとき大地は小さくなっている。そして、その上にいっさいのものを小さくする末人が飛びはねているのだ。その種族は蚤のように根絶しがたい。末人は最も長く生きつづける。
手塚富雄訳「ツァラトゥストラの序説」

───────────

言ってみよ。どのようにして金は最高の価値を持つようになったか。金はありふれておらず、役に立たず、ひかり輝いて、その輝きがやわらかいからだ。いつも金はみずからを贈り与えている。  
金が最高の価値を持つようになったのは、最高の徳の似姿としてでしかない。贈り与える者のまなざしは、金のようにひかり輝く。金のひかりは、月と太陽を平和につなぐ。  
最高の徳はありふれておらず、役に立たず、ひかり輝いて、その輝きはやわらかい。最高の徳は、贈り与える徳だ
佐々木中訳「贈るという徳について」

───────────

飽くことなく君たちの魂は富と宝玉を得ようと努めている。それは君たちの魂が、贈り与える意欲において飽くことを知らぬからだ。
君たちはあらゆる物を君たちのもとへ、君たちのなかへと、力強く呼びよせる。それは君たちがそのあらゆる物を君たちの泉から、君たちの愛の贈り物として、ふたたび外に流れ出させようとしているからだ。
まことに、こういう贈り与える愛は、価値のあるあらゆるものの強奪者とならざるをえない。しかし、わたしはこういう我欲を、健全と呼び、神聖と呼ぶ。──
手塚富雄訳「贈り与える徳」

───────────

ある朝、かれは空を染める紅とともに起ちあがり、日の前に歩み出、日にむかってこう語った。「おまえ、偉大な天体よ。おまえの幸福も何であろう、もしおまえがおまえの光を注ぎ与える相手をもたなかったならば。十年間、おまえはこの山に立ちのぼって、わたしの洞窟を訪ねた。もしそこにわたしとわたしの鷲と蛇とがいなかったら、おまえはおまえの光とおまえの歩みとに倦み疲れたことであろう。」
手塚富雄訳「ツァラトゥストラの序説1」

───────────

見よ、わたしはいまわたしの知恵の過剰に飽きた、蜜蜂があまりに多くの蜜を集めたように。わたしはわたしにさしのべられるもろもろの手を必要とする。わたしはわたしの所有するものを贈り与え、分かち与えよう。
手塚富雄訳「ツァラトゥストラ序説1」

───────────

おお、わたしの魂よ。わたしはおまえの憂鬱をおびた微笑を理解する。今は、おまえの充溢した富そのものが、受ける者を求めてあこがれる手をさしのべるのだ。おまえの充実が、怒号する海に目を放っている。そしてたずね、待っている。過剰なほどの充実からの憧れが、おまえのほほえむ目の空から洩れかがやいている。
手塚富雄訳「大いなる憧れ」

───────────

私の精神は、苦労を重ね、用心深く階段を昇った。他者への喜びの施しは、精神を爽快にした。
小山修一訳「賎民」

───────────

孤独な高所にある者が、永久の孤独と自己満足には住みつくまいとする気持、山が谷へ、高みの風が低地へ下りようとする憧れ、── 
おお、こういう憧れを言いあらわす正しい名称、徳の名を、だれが見いだすことができよう。「贈り与える徳」──そうツァラトゥストラは、かつてこの名づけえぬものを呼んだ。
手塚富雄訳「三つの悪2」

───────────

与える側は、受け取る側が受け取ってくれたことに感謝すべきではないでしょうか。贈り与えるのは、必要に迫られてのことではないでしょうか。受け取るとは──憐れみをかけることではないでしょうか」。
森一郎訳「大いなるあこがれ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?