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大アルカナカードを解読するための文書資料集

1.グノーシス主義と新プラトン主義

キリスト教では「無からの創造」を説きますが、プラトニズムでは「素材」から世界が創造されたと考えています。キリスト教神秘主義者のヤーコブ・ベーメも「素材」の存在を念頭に置いて彼独自の神学を構築しています。神だけでなく、素材も永遠に存在しているという発想です。

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プラトンは『ティマイオス』において、デミウルゴスを「超越的な善なる創造主」として描写しています。しかし、グノーシス主義者は「不完全な世界を創造した偽の創造主」と捉えました。

その背後には、グノーシス主義の「二元論」と「反宇宙論」が影響しています。グノーシス主義ではこの世界そのものが物質によって創られた「悪」であると考えられており、そのため、悪の世界を創造した神も必然的に「悪」と見なされるのです。

この二元論の発想は、人間が男性と女性で構成され、また脳の構造も右脳と左脳から成り立っていることから、人間の思考スタイルに根深く刻まれています。二元論は、人間にとって最も自然な思考スタイルです。一元論が究極であっても、必ず二つに分かれることになります。そして、その二つのものが結合し、新たな第三の存在が誕生します。三元論という概念は存在しませんが、その代わりに三位一体が生み出されました。その後、三位一体の神の四方を護る四大天使が生み出され、空間的に安定がもたらされます。人間にとって、一、二、三、四という数字は特に重要です。五以降の数字は、一から四までの数字の組み合わせで形成されます。

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グノーシス主義には多くの教派が存在し、中にはデミウルゴスを否定的に見ない教派もあります。デミウルゴスは至高神の道具として役割を果たしていると考える教派も存在します。

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グノーシス主義は、なぜ悪である物質世界が存在するのかを説明するため、『ティマイオス』の創造神話を援用しました。具体的には、傲慢な下級の神であるデミウルゴスがこの不完全な世界を創造したと考えました。

イデア界に当たる超越的な世界は、アイオーンから構成されるプレーローマ世界と呼ばれています。人間はプレーローマに起源のある「霊」を内に宿す存在であるため、グノーシス(智慧)の認識を通じて永遠の世界へと帰還し、救済されるとしました。

悪の起源を何としてでも至高者に帰したくないグノーシス主義の弁神論は見事な芸術作品です。

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グノーシス主義者は、悪や苦しみの起源をデミウルゴスに帰する考え方を取りましたが、重要なのは、自然の猛威や不条理な出来事に対する理由付けです。古代の人々は、突然訪れる不幸や不条理な出来事に対して、「なぜこんなにも苦しまなければならないのか?」という疑問に、納得のいく答えを求めて、様々な神話を生み出しました。

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万物の根源を無限なるアペイロン(apeiron)に求め、この神的で不滅な根源からあらゆる概念が発生してきたと考えたのがミレトス学派のアナクシマンドロスでした。

新プラトン主義のプロティノスは、あらゆる対立を統合する絶対者としての〈一者(to hen)〉から〈叡智(nous)〉が流出すると考えました。プロティノスは、プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(ト・ヘン)を重視し、これを神と同一視しました。そして、万物は無限の存在である「一者」から流出したと考えました。彼はグノーシス派の二元論を徹底的に攻撃しました。このように、グノーシス派にも一元論があるのです。

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新プラトン主義は、「われわれは神と合一できる」という神秘思想ですが、グノーシス主義では、神人合一から「神即人」へと一歩進んでいます。この一歩は非常に大きな進展です。この「神即人」は、シュライエルマッハーの「神は人間の願望の投影である」という考えとは異なります。文字通り「人間は神である」ということを意味しています。

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新プラトン派の主要な考え方は、「唯一の至高の本質(実在)」という思想です。この思想はキリスト教と非常に調和し、キリスト教神秘主義が新プラトン主義と結びついて誕生しました。

新プラトン主義から現代の神智学に至るまで、神秘主義には共通した思想が存在します。それは、「魂」が高次の領域(プロティノスの言葉を借りれば「一者」の領域)から降下して肉体に閉じ込められ、自分が誰なのか解からなくなってしまったという考え方です。この状態から「智慧」によって、「本来の故郷」に帰るという人生観が共通しています。

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あなたは神界から人間界にやってきた神ですが、それを忘れています。大アルカナカードは、「神の記憶を取り戻す」ためのアイテムとして人間界に置かれました。神(あなた)は、自己を変容させるために人間界を創造しました。人間界での様々な経験が変容の源となります。

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神から生まれた存在は、神の一部です。世界は神の現れであり、神を内に含んでいます。汎神論(万有神論)はそれを「神即自然」と表現しています。

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キリスト教神秘主義は「神との合一」を目指しますが、そうではなく「神の記憶を取り戻す」ことを目指すべきです。神界に神が存在するのではなく、神界から人間界に降りてきたあなたが、再び神界に戻るのです。

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大アルカナカードは、「本来の故郷」に帰る方法を教えてくれます。大アルカナカードの解釈は、グノーシス主義、ユダヤ神秘主義のカバラ、そして錬金術を手掛かりに解釈すると意味が明らかになります。

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哲学によって人生の答えを追求すれば、無根拠・無意味・無目的という答えが返ってきます。哲学は虚無によってあなたを飲み込むでしょう。しかし、哲学の答えは究極の答えではありません。グノーシス主義者の手によって創り出された大アルカナカードは、更なる洞察に導きます。

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タロットカードにはオーソドックスな解釈が存在しますが、その縛りにとらわれる必要はありません。重要なのはインスピレーションです。その瞬間に何を感じるかが重要です。解釈が毎回変わっても気にする必要はありません。

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タロットカードは象徴の宝庫であり、一つとして無駄に描かれたものはありません。タロットの魅力は占いだけにあるわけではありません。物言わぬ絵柄に秘められた歴史的・文化的な背景や、暗号めいたシンボルを読み解いていくことにこそ面白さがあるのです。

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2.神秘学

神秘学という学問は、私たちの「魂の故郷」がこの世の現実の中に存在しないという前提からスタートします。そのため、この世の現実ではなく、その奥にあるべき「第二の現実」を探求し、それをどのようにして認識可能にするかを考えます。

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名前には神秘的な力、いわば言霊が宿ると考えられています。最初に言葉を発したのは神であり、その神の力を借りて名前を発声することによって相手を制御できると考えたのが言霊の由来です。名前を呼ぶこと自体が呪文であり、その後長い呪文や更に宗教の経典に発展しました。

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神秘家は神との神秘的合一を求めます。これは、男女の性的関係を純化させたものです。神は男ですから、自分は女ということになります。神と一つになって、理性を失い、エクスタシーを感じたいというのが神秘家の欲望です。

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3.カバラ

カバラでは、世界の創造は神アイン・ソフからの聖性の10段階にわたる流出の過程として捉えられ、最終的な形がこの物質世界であると解釈されています。

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カバラによれば、神がご自身をご覧になることを望まれたことをきっかけとして、この世界が誕生したとされています。

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聖書は「創造」の物語で始まりますが、カバラの観点では「創造」は第二段階目とされます。第一段階は「神」から「空間」が出現するということから始まります。神が自身の内部でより奥深くに退いたことにより、神の内部に空間が生じ、この空間に「存在」が生まれるようになりました。

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カバラの世界観を象徴する生命の樹には、22の小径があり、22枚の大アルカナカードと対応関係にあります。

最後のカードである【世界】は、カバラでは神界ではなく物質界に位置しています。【世界】は目指すべきゴールではなく、むしろ出発点であり、ゴールは【愚者】になります。この考え方は苫米地式コーチング的にも正しいものであり、抽象度の高いものほど情報は少ないので、無や無限の可能性を意味する【愚者】は、神界に位置するのが適切なのです。

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4.錬金術

ユング派の観点では、イマジネーションは空想の産物ではありません。むしろ、古代の錬金術師が「真の幻想ではない想像」と称したものであり、それは向こうからやってくる本物のリアリティです。

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錬金術師は「二重の見当識」を持っていました。一方は現実のリアリティであり、もう一方はイマジネーションのリアリティです。

彼らが重視したのはイマジネーションのリアリティでした。イマジネーションのリアリティは、彼らにとって現実のリアリティと並び立つ、もう一つのリアリティでした。

二重見当識とは、妄想などによって歪められた見当識を持ちながら、正しい現実的な見当識が併存している状態を指します。

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ユングは、錬金術と神秘主義が常に「対立し合うものの結合」を追求していること、そこに登場する物質の変化が心の変容のプロセスのアレゴリーであること、また、そこには「アニマとアニムスの対比と統合」が暗示されていることに気づきました。

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錬金術は、金属の物理的変化の秘密を教えるのではなく、人間の精神的な変容を象徴的に示唆する霊的な哲学です。

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錬金術は物理科学ではなく、霊的哲学です。より卑しい金属から金への不思議な変化は、人間の本性的な悪と弱さからの生まれ変わり、神的性質への変容を象徴しています。

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人の肉体は、神聖なる錬金術の炉として創造されたものです。その身体の中で、魂の深層からの微細な変容が起こります。この窯によって、人は内なる真実への変容を遂げるのです。

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世界の質を変えるために、錬金術師はまず自らを変えなければなりません。内なる大いなる仕事が外なる大いなる仕事を生むのです。

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真の錬金術師は、物質の向こうにある真理を求める道を歩み、魂の黄金を編み出します。この旅は単なる物質的欲求を超え、内なる探求心を刺激します。物質的束縛から解放され、魂の深部に秘められた価値を見つけ出すため、彼らは精神的修練と内省に努力を捧げます。

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実は、賢者の石、アルカヘスト(万物融化液)、不老不死の霊薬は同じ一つのものの名前であり、同一の働きをします。賢者の石は、石ではありません。どの人の内にもあり、どの場所にも存在します。

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「賢者の石」は、黒→白→赤という過程を経て完成されます。黒は「死・腐敗」、白は「再生・復活」、赤は「完成・完全」を象徴する色です。黒化は腐敗、白化は浄化、赤化は神人合一という意味もあります。

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黄金の夜明け団(Golden Dawn)というオカルト団体に所属していた神秘主義者アレイスター・クロウリーは、「神は人なり、人は神なり」と断言しています。これは「我々は本質的に神でありながら、現在は人間の経験をしており、神への回帰を目指そう」という意味を持っています。

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錬金術において、世界は「一なる世界」と呼ばれています。この「一なる世界」では、万物が一つに繋がって網の目を形成しています。無限の網の中で、どこかで起こった出来事が全体の変化となるのは、すべてが相互に関連しているからです。縁によって結ばれていると言ってもいいでしょう。

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錬金術では鉛を金に変えようと試みますが、これはイエス・キリストが水をぶどう酒に変えたのと同様の奇跡です。錬金術は科学的な外観を持っていますが、原因と結果を基本とする一般的な科学とは異なり、因果律を無視した奇跡を起こす魔術です。

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5.ロゴスとソフィア

一般的には「ロゴス」と「ソフィア」は対立概念と考えられることがあります。これは、古代ギリシャ哲学において、知識や理性を象徴する「ロゴス」と、叡智や知恵を象徴する「ソフィア」が対照的な概念として描かれていたためです。「ロゴス」は論理や論証、言葉や理性を指し、「ソフィア」は深い知恵や直感的な理解を表しています。

ギリシャ哲学において、「ロゴス」と「ソフィア」の対照的な概念は、ヘラクレイトスとヘシオドスなどの古代ギリシャの哲学者や詩人たちの著作に見られます。ヘラクレイトスは「万物は流転する」とし、論理や理性を重視する立場で「ロゴス」を強調しました。一方で、ヘシオドスは神話的な視点から出発し、知恵や叡智を象徴する「ソフィア」に焦点を当てました。

一般的に「ロゴス」は男性的な性質や原理を表し、「ソフィア」は女性的な性質や叡智を象徴します。これは、古代ギリシャの哲学や神話において、抽象的な概念や原理に性別が付与され、それが文化的・哲学的な理解に影響を与えた結果です。

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レンマは「ロゴス」と対比される。ロゴスはギリシャ哲学でもっとも重視された概念であり、語源的には「自分の前に集められた事物を並べて整理する」を意味している。思考がこのロゴスを実行に移すには、言語によらなければならない。人類のあらゆる言語は統辞法にしたがうので、ロゴスによる事物の整理はとうぜん、時間軸にしたがって伸びていく「線形性」を、その本質とすることになる。

これにたいしてレンマは非線形性や非因果律性を特徴としている。語源的には「事物をまるごと把握する」である。ここからロゴスとは異なる直感的認識がレンマの特徴とされる。言語のように時間軸にそって事物の概念を並べていくのとは異なって、全体を一気に掴み取るようなやり方で認識をおこなう。仏教はギリシャ的なロゴスではなく、このレンマ的な知性によって世界をとらえようとした。

中沢新一『レンマ学』

ロゴスの「自分の前に集められた事物を並べて整理する」能力は左脳型の特徴であり、レンマの「事物をまるごと把握する」能力は右脳型の特徴です。

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6.神話学

十九世紀型神話学に共通するパラダイムとは、進化論あるいは歴史主義であり、二十世紀型神話学のパラダイムは構造主義あるいは反歴史主義です。かつて天動説から地動説へとパラダイムのシフト(転換)が起こったように、二十世紀のある時点から神話学においてもパラダイム・シフトが起こったと考えられます。自分の思考がどのパラダイムに影響を受けているかを理解することは重要です。

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ルドルフ・ブルトマンの非神話化という解釈の方法は、世界に数多く存在する宗教を崩壊させる破壊力があります。聖典に書かれていることを文字通り信じるのではなく、実存的に解釈しようとするからです。

非神話化論について書かれた『新約聖書と神話論』(1941年)は、80年ほど前の本ですが、その方法は今でも全く色あせません。これからますます必要とされる方法です。

ただ、神話の実存的解釈なら誰でもできますが、ありきたりな解釈では面白くありません。人生に激変を起こすような解釈を生まなければ意味がありません。

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ヴィツェルが近年唱えている世界神話学説は、古層ゴンドワナ型神話と新層ローラシア型神話と、世界の神話が大きく二つのグループに分けられるという仮説である。そしてこの神話学説が、遺伝学、言語学あるいは考古学による人類進化と移動に関する近年の成果と大局的に一致するというのが彼の主な主張である。

後藤明『世界神話学入門』

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ところが最近「美しい日本」という標語のもと、天孫降臨神話や神武東征を歴史的事実とし、教育の中で復活させようという動きがある。私は神話や民話は、一種の口頭伝承的な民族誌であり、民族移動や古代の思考についての豊かな資料として読もうと思っている。たしかに歴史的な事実も幾分かは、あくまでも象徴的にだが表現されているとは思う。しかしそれをあたかも厳密な意味における事実であるかのように権力者が都合良く使い始めると悲劇が起こる。それはむしろ神話から本来の魅力と美しさを剝奪する行為、神話の豊かさを最も冒瀆する行為である。本書で私はそのような動きには与しないことを明記しておく。

後藤明『世界神話学入門』

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占いをより深めたいのであれば、霊感だけに頼るのではなく、神話学や宗教学、哲学や社会学、そしてフロイトやユング、ラカンなどの心理学も学ぶ必要があります。それにとどまらず、科学や政治など、この世のあらゆる学問を学び、実際に多くの人と関わることも重要です。

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なぜ占いが当たるのでしょうか?それは、象徴が地域や時代を超えて全ての人に当てはまるからです。一流の占い師は、神話や象徴、集合的無意識の知識を豊富に持っています。

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夢やイマジネーションの象徴に組み込まれた元型的なモチーフを見抜くためには、世界各地の神話やお伽話、宗教的観念、民族的慣習に通じている必要があります。

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無意識の下層には集合的無意識の世界があり、その更なる下層には深淵の世界が広がっています。

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無意識には個人の経験や記憶が保存されていますが、無意識のさらに深層には集合的無意識が存在します。集合的無意識には人類共通の経験や記憶が保存されています。

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世界中の宗教、神話、哲学、文学、芸術の背景には、大元となる物語や原型(ゴンドワナ型神話とローラシア型神話)が存在します。

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神話は地域ごとに分類されますが、それらは単独で発展したのではなく、むしろ相互に影響を与え合い、融合しながら複雑に発展しました。この事実を認識しないと、キリスト教のような絶対化の危険な思考に陥る可能性があります。

・インド゠ヨーロッパ群
・中東群
・東アジア群
・中央アジア群
・アメリカ群

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7.量子力学

原子を三位一体で例えるなら、陽子は父なる神、中性子は聖霊、電子はイエス・キリストになります。重力、電磁気力、強い力、弱い力の四つの力は四大天使に当てはめてもいいでしょう。

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重力、電磁気力、強い力、弱い力の四つの力を四大天使に当てはめるならば、重力はルシファー(ウリエル)、電磁気力はミカエル、強い力はガブリエル、弱い力はラファエルが相応しいでしょう。

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原子を三位一体で例えるなら、陽子は父なる神、中性子は聖霊、電子はイエス・キリストになりますが、陽子と中性子には三つのアップクォークとダウンクォークが入っているように、神にも内部構造があるのです。電子には内部構造がないため、イエス・キリストは父なる神や聖霊よりも単純な性質であると言えます。ただし、原子核の周りを回る電子のように、活動量は父なる神や聖霊よりも比較にならないほど多いです。

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量子は粒子と波の二つの性質を持っていますが、イエス・キリストも神性と人間性の二つの性質を持っています。これを二性一人格と言います。量子力学はスピリチュアルの世界に刺激や新しいアイデアを与えてくれる学問です。

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「シュレディンガーの猫」と呼ばれるパラドックスのように、蓋を開けて見るまではどういう状態にあるのかわからないという量子の特徴は、占いの本質と通じるところがあります。

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8.ゼロポイントフィールド

全現象界のゼロ・ポイントとしての「真如」は、文字どおり、表面的には、ただ一物の影すらない存在の「無」の極処であるが、それはまた反面、一切万物の非現実的、不可視の本体であって、一切万物をうちに包蔵し、それ自体に内在する根源的・全一的意味によって、あらゆる存在者を現出させる可能性を秘めている。この意味で、それは存在と意識のゼロ・ポイントであるとともに、同時に、存在分節と意識の現象的自己顕現の原点、つまり世界現出の窮極の原点でもあるのだ。

井筒俊彦『意識の形而上学』

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ボームに影響を受けて、多くの科学者たちがさらに深い存在の秩序を探し求めるようになりました。そして、ついに知的なエネルギーが集まる巨大な「ゼロ・ポイント・フィールド」(以下「フィールド」と呼ぶ)と呼ばれるものが発見されました。フィールドは、「無限の可能性」という状態にあります。つまり、どんなことでも可能で、どんなものでも創り出せる状態です。けれども、意識が何かを創り出そうという特定の意図を持ってフィールドに向かうと、無限の可能性の状態が崩れ、その特定の意図によって限定された単なるひとつの可能性になります。これが、量子物理学用語で「波束の崩壊」と呼ばれるものです。

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』

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9.実体の哲学

実体の哲学によれば、実体としての存在者は、関係性によってつくりあげられる過程を経ることなく、はじめからそれ自体で存在しているのである。そのためホワイトヘッドは、実体というあり方を軽蔑的なしかたで「空虚な現実態」と呼ぶ。

飯盛元章『連続と断絶 ホワイトヘッドの哲学』

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本来の自己(父なる神)と限定された自己(子なるキリスト)では、本来の自己は「関係性によってつくりあげられる過程を経ることなく、はじめからそれ自体で存在している」存在であり、限定された自己は「関係性によってつくりあげられる過程を経」て存在している存在であると言えます。

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10.キリスト教

イエスは刺激を求めて地上にやってきたのです。その中でも最も強烈な刺激は十字架刑でした。強烈な刺激(苦痛)を経験したイエスは、当然ながら復活した際には異なる存在に生まれ変わっていました。そして、地上での濃密な時間に満足して天界に帰りました。

あなたもイエスのように、強烈な刺激(苦痛)と濃密な時間を生きることによって、生まれ変わることができます。刺激や苦痛のない平凡な生活では成長や変化は生じません。

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こうして人はすべての家畜、すべての天の鳥、すべての野の獣にそれぞれ名前をつけた。しかし人に適わしい助け手は見つからなかった。そこでヤハウェ神は深い眠りをその人に下した。彼が眠りに落ちた時、ヤハウェ神はその肋骨の一つを取って、その場所を肉でふさいだ。ヤハウェ神は人から取った肋骨を一人の女に造り上げ、彼女をその人の所へ連れてこられた。その時、人は叫んだ、「ついにこれこそわが骨から取られた骨、わが肉から取られた肉だ。これに女という名をつけよう、このものは男から取られたのだから」。それゆえ男はその父母を離れて、妻に結びつき、一つの肉となるのである。人とその妻とは二人とも裸で、たがいに羞じなかった。

『創世記』

アダムの喜びようが伝わってきます。アダムはエバによって孤独から救われました。

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初めに神は天と地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。
「光あれ」
こうして光があった。
神は光を見て善しとされた。
神は光と闇を分け、光を昼と名づけ、
闇を夜とされた。
夕べがあり、朝があった。
第一日目のことである。

『創世記』

これが天地創造の由来である。
主なる神が地と天を造られたとき、
地上にはまだ野の木も、
野の草も生えていなかった。
主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。
また土を耕す人もいなかった。
しかし、水が地下から湧き出て、
土の面をすべて潤した。
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。

『創世記』

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初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものは
ひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。

『ヨハネによる福音書』

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エデンの園の中央には、生命の木と知恵の木が生えていました。これは生命と知恵のセットです。人間とは生命と知恵を持つ存在ということです。

では知恵とは何でしょうか?知恵は言葉と言い換えることができます。人間にとって言葉は生命と同等の価値があります。

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エデンの園で、善悪の知識の木の実を食べなければ苦しみは存在しませんでした。善悪の知識の木の実を食べる前の状態に戻れば、すなわち価値判断をしなければ苦しみは生じません。

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道徳や価値判断は人間の存在に深く刻み込まれています。人生におけるあらゆる苦悩は、善悪の判断や価値判断から生じます。善悪や価値のない世界に入れば苦悩は消え去ります。

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善悪の彼岸にいる者には精神的攻撃が効きません。対人関係での苦しみから解放されたいのであれば、荘子のように価値判断をしない生き方を身につけることが良いでしょう。

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神が求めるのは驚きと破壊と再創造です。そのため、神は時折リセットを行います。ノアの洪水によるリセット、ソドムとゴモラの破壊によるリセット、そしてヨハネの黙示録における最後の審判によるリセットです。リセットには新たな始まりの喜びも宿ります。心機一転の意味も含めて、神はリセットをします。

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初めに、言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。

『ヨハネによる福音書』

過去、現在、未来。それらすべてを書き換える力を持つ光の存在、それが「言葉」です。言葉が神であり、言葉でできているあなたも神なのです。

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心の正体は言葉です。心から言葉を無くせば心は静まります。世界の正体は言葉です。言葉を消去したら世界は消えます。

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『使徒信条』は、大アルカナカードの解説書としても利用できます。

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哲学が神学を立証するという考え方。キリスト教神学が異教やキリスト教以外の諸宗教と対峙するようになると、メッセージに権威があるという真実性を中立的立場から立証する必要が生じてきた。アクィナスは、神存在を立証するものとして、アリストテレスの議論が有効であることを見て取った。この試みは功を奏し、哲学によって神学の信憑性が証明された。

ミラード・エリクソン『キリスト教神学』

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トマスの五重の証明では恐らく、ひとりの神の存在は証明されない。証明されるのはむしろ、それぞれ創造する者、設計する者、運動させる者等といった別々の五つの神の存在である。彼は観察をもとに、神存在に関する五つの証明(運動や変化による証明、宇宙の秩序による証明など「五重の証明」とも言う)を組織的に言明した。

トマス・アクィナスは、神学はすべての学問の女王であると考えた。人間を扱う学問の中には、学として認定されたいがために、行動主義的になったものもある。それらの学問は、方法や対象や結論の根拠を、内省的に知られうる事柄ではなく、観察と測定と実験が可能な事柄に置くようになった。そして、すべての知的な学問には、この基準にかなったものになることが期待されているのである。

それでは学としての神学について、どのようなことが言えるだろう。第一に注意すべきなのは、学の定義は学を事実上自然科学に限定してしまい、また知識といえば科学を指すものとしがちであるが、これは余りにも狭い定義であるということである。

ミラード・エリクソン『キリスト教神学』

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実在は変化するのか、それともその性質において基本的に不変なのかという論争が長い間続けられてきた。ヘラクレイトスは変化こそ実在の本質であると主張し、パルメニデスは不変性を強調した。多くの哲学者は世界には変化と恒常性の双方があることを認めてきた。実体論者たちは、固定した諸状態を強調し、変化をその状態間に必要な推移にすぎないと考えてきた。一方、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドらは、変化そのものを実在を理解する鍵ととらえてきた。

ミラード・エリクソン『キリスト教神学』

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神は、ご自身の存在からの流出によってではなく、先在した材料を使用せずに生じさせることによって、ご自分以外の現存するすべてのものを創造された。したがってキリスト教形而上学は、超自然と自然という、実在の二つの類型や段階がある一つの二元論、神以外のすべてのものは神によって存在させられたという条件つき二元論となる。

ミラード・エリクソン『キリスト教神学』

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11.顕教と密教

現代人の三大苦悩
① お金の問題
② 恋愛(人間関係)の問題
③ 健康の問題

仏教には顕教と密教がありますが、占いにも表と裏が存在します。恋愛、お金、仕事、健康などの悩みに対処療法的に答えるのが表の占いであり、世界と人間の真実を告げ、根本から解決するのが裏の占いです。

真実よりも「満足」を求める人は顕教を選び、満足よりも「真実」を求める人は密教を選びます。密教は、常識を打ち破る教えです。顕教では、欲望を強化するだけで、変化を起こすことはできません。

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弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。

『マタイによる福音書』

大衆に語るのが顕教で、弟子に語るのが密教です。真理は真理を受け入れる器を持っている人に密かに語られるのです。

顕教は大衆のためのものですが、密教は選ばれた人のためのものです。顕教は大衆を満足させますが、密教は選ばれた人の常識を破壊します。

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密教には呪術的な儀式が付きものです。釈迦はこのような儀式を否定していましたが、皮肉なことに、仏教を広く一般の人々に伝えるためには呪術的な儀式を活用することが有効でした。そのため、世界中の密教の宗派は儀式を重視しています。

ただし、密教は秘密の教えであり、人から人へと伝えられる口伝形式のため、師僧に会わない限り、その教えの〝真の意味〟を理解することはできません。イエスも民衆には譬え話で語り、弟子にのみ譬え話の〝真の意味〟を密かに教えました。

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アンモニオス・サッカスは弟子に、完全に教育され訓練された人々以外には、かれの高次の教説を口外しないように誓わせたという記録が残っています。

向上心や意欲を持つ人、真理を理解する能力を持つ人、そして無闇に他人に真理を語らない人でなければ、秘密の教えを受け継ぐことは難しいです。それ以外の人に真理を語ると、それが踏みにじられてしまう可能性があるからです。

神聖なものを犬に与えてはならず、また真理を豚の前に投げてはならない。というのも、豚は足下に真珠を踏みにじるだろうし、犬は向き直って、あなたに噛みついてくるだろうから。

『マタイによる福音書』

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タロットカードによる金運や恋愛運、仕事運の占いは無意味ですが、それは密教への入り口としての意味を持ちます。タロットカードの真の役割は覚醒に導くことです。これがタロットにおける密教の本質です。大衆を満足させる「今日のあなたの運勢は最高です」という占いは、表面的な教えである顕教と言えます。

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