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ニーチェ「無垢・無邪気」

ニーチェ哲学の解説書では、神の死、超人、永遠回帰、力への意志などがよく取り上げられますが、「悪意においてさえ無邪気である」子どもが、ニーチェが辿り着いた最高の境地です。

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小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始原の運動、「然り」という聖なる発語である。創造という遊戯のためには、「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する。
手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』「三様の変化」

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かれらが、せめて動物として完全であるならいいのだが。だが動物であるためには、無邪気さが必要なのだ。わたしは君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。わたしが勧めるのは、官能の無邪気さだ。
「純潔」

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早くもあの灼熱する太陽がやってくる──大地にたいする太陽の愛がやってくる。無邪気さと創造の欲望が、太陽の愛である。
「無垢な認識」

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わたしは、子どもたちの遊ぶこの場所に喜んで身を横たえる、くずれた石垣のほとり、あざみと赤いけしの花の咲くところだ。わたしは、子どもたち、またあざみと赤いけしの花にとっては、今も学者だ。これらのものたちは、悪意においてさえ無邪気である。
「学者」

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すなわち、享受と無邪気とは、もっとも羞恥心に富んだものである。両者ともに、求めて得られるものではない。人はそれらを自然にもつのでなければならぬ。もし求めるなら、人はむしろ、罪過と苦痛を求めるべきである。
「新旧の表」

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瞬間・機知・軽薄・気まぐれがギリシア精神の最高の神々である。
『ニーチェ全集1』「悲劇の誕生」(白水社)

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