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ニーチェ「百倍も洗練されて」

子供は超人の象徴ですが、駱駝から獅子、獅子から子供への変化を経験し、「より子供らしく、と同時に百倍も洗練されて」、「別の人間」として生まれ変わった子供が超人の象徴なのです。その子供の無垢は「より危険な無垢」となっています。

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小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始原の運動、「然り」という聖なる発語である。創造という遊戯のためには、「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する。
手塚富雄訳「三様の変化」

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【第二の無垢】そして、この『悦ばしき知』の序言の最後でニーチェは次のように言っている。すなわち、最も本質的なものは以上のような「深淵」から、あるいは「重い病衰」また「重い疑いの衰弱」から、「新たに生まれて戻ってくること」である。それは「第二のより危険な無垢」である。我々は「より子供らしく、と同時に百倍も洗練されて」戻ってくる。
岡村康夫『瞬間・脱落・歓喜 ニーチェと永劫回帰の思想』(知泉書館)p85

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「大いなる苦痛こそ精神の究極の解放者である」。生木で焼かれるような長い緩慢な「苦痛」こそ、我々哲学者を「究極の深み」にまで降りることを強いる。そしてそれはこれまで我々がその「人間性」をそこに置いた「信頼」や「善良さ」や「温和さ」や「中庸的なもの」すべてを捨てさせる。「苦痛」は我々を深め、そこから我々は「別の人間」として現れ出る。
岡村康夫『瞬間・脱落・歓喜 ニーチェと永劫回帰の思想』(知泉書館) p85

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