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ニーチェ「超人とは」

ニーチェは「超人」を厳密に定義していませんが、様々な比喩を用いて説明しています。さらに、超人の対極にある存在も様々な比喩を用いて提示しています。ニーチェは、超人とその対極である存在を対比させることによって、「超人」という存在をイメージしやすくしています。

超人のイメージには、太陽、大海、稲妻、無邪気な子供、徳や価値の創造者、破壊者、踊る神、哄笑する者、鷲と蛇、龍、高貴な者、勇敢な者、英雄、孤独者などが含まれます。

一方、超人の対極にある存在のイメージには、幽霊の組み合わせ、生命の軽視者、牧人、畜群、末人、小さい人間、蚤、信者、病人、瀕死の者、死骸、肉体の軽蔑者、善人、義人、賎民、奴隷、臆病者、重力の魔などがあります。

最も重要な比喩は、太陽と子供です。これらは生を象徴するイメージであり、「超人」の対極の存在は、生を否定するものばかりです。

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早くもあの灼熱する太陽がやってくる──大地にたいする太陽の愛がやってくる。無邪気さと創造の欲望が、太陽の愛である。
手塚富雄訳「無垢な認識」

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幼な子は無垢である。忘却である。そしてひとつの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。そうだ、創造の遊戯のためには、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。ここに精神は自分の意志を意志する。世界を失っていた者は自分の世界を獲得する。
氷上英廣訳「三段の変化」

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汝らは鷲ではない。だから精神の驚愕に宿る幸福も味わったことがない。とにかく、鳥でない者は深淵の上で休息するべからずだ。
小山修一訳「有名な賢者」

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また、善い者たち、正しい者たちを警戒せよ。かれらは、自分自身の徳を創り出す者を、好んで十字架にかける──かれらは孤独者を憎むのだ。
手塚富雄訳「創造者の道」

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高貴な者は、習俗を破る新しいもの、新しい徳を創造しようとする。善い人といわれる者は、古いものを愛し、古いものが維持されることを望んでいるのだ。
手塚富雄訳「山上の木」

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善人・義人を見よ!彼らは誰を最も憎むか?彼らの価値の石板を砕く者を、破壊者、犯罪者だと呼び、最も憎むのだ。然し、──この憎まれる者こそ創造者なのだ。
小山修一訳「ツァラトゥストラの序説」

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創造する者が求めるのは伴侶だ、死骸ではない。また畜群でも信者でもない。創造する者が求めるのは、新しい価値の表を新しい板に書きしるす創造の参加者である。
手塚富雄訳「ツァラトゥストラの序説」

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そのとき大地は小さくなっている。そして、その上にいっさいのものを小さくする末人が飛びはねているのだ。その種族は蚤のように根絶しがたい。末人は最も長く生きつづける。
手塚富雄訳「ツァラトゥストラの序説5」

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かつては、彼らだって英雄になろうとした。今となっては、好色家でしかない。彼らにとって、英雄は遺恨と恐怖の的なのだ。
それでも、私の愛と希望にかけて、君にお願いする。君の魂の内なる英雄を投げ捨てないでくれ。君の最高の希望を、聖なるものとして大事にしてほしいのだ」。
森一郎訳「山に立つ樹」

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それはもはや牧人ではなかった、人間ではなかった、──一人の変容した者、光につつまれた者だった。そしてかれは高らかに笑った。今まで地上のどんな人間も笑ったことがないほど高らかに。
手塚富雄訳「幻影と謎2」

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分かるか。私こそ稲妻の告知者、黒雲の重い一滴。此の稲妻こそ超人なのだ。──
小山修一訳「ツァラトゥストラの序説」

私は人間たちに彼らの存在の意味を教えてやるつもりだ。その意味とは超人、即ち人間という黒
雲から発する稲妻である。
小山修一訳「ツァラトゥストラの序説」

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