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ニーチェ「この世にある最高の書」

『ツァラトゥストラ』がニーチェの主著であり、彼の哲学がすべて込められています。『ツァラトゥストラ』を読むことでニーチェの哲学を理解できますが、さらに深く理解したい場合は、『ツァラトゥストラ』の前後に書かれた著作も読むと良いでしょう。それらはすべて『ツァラトゥストラ』の解説書となっています。特に『この人を見よ』は重要で、ニーチェ自身が『ツァラトゥストラ』を解説しています。

『ツァラトゥストラ』は主著ですが、ニーチェの思想の頂点ではなく、岡村康夫は1888年にニーチェが「もう一歩先へ」踏み出したと見ています。確かに、常に前進し続けるニーチェですから、『ツァラトゥストラ』から「もう一歩先へ」進んでいないわけがありません。

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わたしの著作のうち、独自の位置をしめているのは、『ツァラトゥストラ』である。わたしはこの書で、これまで人類に贈られた最大の贈り物をした。何千年の未来へ響く声をもつこの書は、およそこの世にある最高の書、ほんとうの高山の空気の書であるばかりでなく──人間という事実の全体がこの書物のおそろしいほど遥かの下方に横たわっている──それはまた、真理のもっとも内奥のゆたかさから生まれ出た最深の書であり、つるべをおろせばかならず黄金と善意とがいっぱいに汲み上げられてくる無尽蔵の泉である。
『この人を見よ』「序言4」

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およそ書物のうちで、これ以上に誇り高い、同時に洗練されたものは絶対にない──そこでは、ときによると、地上で到達しうる最高のもの、あのツィニスムス(辛辣さ)が達成されている。
『この人を見よ』「なぜわたしはこんなによい本を書くのか3」

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さていよいよ『ツァラトゥストラ』の歴史を物語ることになる。この作品の根本着想、すなわち永劫回帰思想、およそ到達しうるかぎりの最高のこの肯定の方式は──、 ​一八八一年八月に誕生したものである。
『この人を見よ』「ツァラトゥストラ1」

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「すべての決定的なことは『それにもかかわらず』起こるものだ」というわたしの命題をほとんど証明するかのように、わたしの『ツァラトゥストラ』が生まれたのは、この冬、この不利な状況のもとにおいてであった。
『この人を見よ』「ツァラトゥストラ1」

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ツァラトゥストラのようなあれほどの善意の浪費が、どんな種類の休息を必要とするかは、けっきょくだれにも察してもらえまい。──神学的に語るなら──聞くがいい、わたしが神学者として語ることなどはめったにないのだから──あれは神自身だったのだ、予定の仕事を終えて、蛇となって知恵の木の下に身を横たえていたのは。彼はそのようにして、神であることから休息したのだ──神はすべてをあまりに美しくつくってしまったのだ──悪魔とは七日目ごとの神の息抜きにすぎない──
『この人を見よ』「善悪の彼岸2」

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『ツァラトゥストラはこう言った』執筆以前の、その「前もって書かれた注釈書」にあたるニーチェの中期著作の───
梅田孝太『ニーチェ 外なき内を生きる思想』 p100

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ニーチェはペーター・ガストに『ツァラトゥストラはこう言った』の注釈書を書くように勧められたとき、「私はテクストよりも先に注釈書を書いていた」と書簡で答えている。つまり、「中期まで遡ってニーチェの作品を読めば、『ツァラトゥストラ』を解明する手口が得られる」、ということである。五郎丸仁美(2012)
梅田孝太『ニーチェ 外なき内を生きる思想』 p119

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彼(ニーチェ)の創作活動の頂点は、1883年に始まる『ツァラトゥストラこう語った』にあり、その後の彼の創作活動はこの作品の彼自身による解明・解釈であると言って良いものであるが、本書ではこの彼の創作活動の最後の年である1888年に彼が「もう一歩先へ」踏み出したことに彼の思想の究極的意義を認めたい。
岡村康夫『瞬間・脱落・歓喜 ニーチェと永劫回帰の思想』(知泉書館)p14

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