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③タロットの背景にあるグノーシス主義とニーチェ哲学

本来の場所とかなたの岸

グノーシス主義は霊肉二元論で、物質世界を否定し、あるべき居場所へ帰ろうとします。ニーチェは苦悩も罪も悪も全てを肯定し、この肉体、この大地、この世界を愛します。

グノーシス主義はデミウルゴスに悪の起源を背負わせているだけで、物質よりも霊、此岸よりも彼岸を愛するという思考回路はキリスト教と変わりません。そのためニーチェからしてみればキリスト教同様にグノーシス主義も絶滅させるべき対象です。

しかし、グノーシス主義とニーチェには共通する部分もあります。グノーシス主義は「本来の場所」を目指していますが、ニーチェも「かなたの岸」を目指しています。

その目指す目的地は真逆の方向ではありますが、目指すべき場所があるところは共通しています。

わたしは愛する、没落する者として生きるほかには、生きるすべをもたない者たちを。それはかなたを目ざして超えてゆく者だからである。

わたしは愛する、大いなる軽蔑者を。かれは大いなる尊敬者であり、かなたの岸への憧れの矢であるからだ。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』

グノーシス主義とは、人間の本質は至高の神の一部であり、その本質を絶対的に超える存在はない、という思想だからである。ただし、現実の人間は居場所を間違っている。本来の場所へ立ち帰らねばならない。このことの「覚知」(あるいは「認識」、ギリシア語でグノーシスGnosis)こそが、その立ち帰りの途を開く。これがグノーシス主義のメッセージである。

大貫隆『グノーシスの神話』

人間即神也と超人思想

またグノーシス主義の人間即神也という思想とニーチェの超人思想も親和性があります。

わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは乗り超えられるべきあるものである。あなたがたは、人間を乗り超えるために、何をしたか。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』

聞け、わたしはあなたがたに超人を教える。 超人は大地の意義である。あなたがたは意志のことばとしてこう言うべきである。超人が大地の意義であれと。 兄弟たちよ、わたしはあなたがたに切願する、大地に忠実なれと。あなたがたは天上の希望を説く人々を信じてはならない。かれらこそ毒の調合者である、かれらがそれを知っていてもいなくても。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』

魂、すなわち本来の自己は目に見える宇宙万物を超越する。しかし、その本来の自己そのものを超えるものはもはや何も存在しない。なぜなら、グノーシス主義は人間の本来の自己を端的に「神」であると宣言するからである。

魂と至高神は詰まるところ同質なのである。この意味で、人間を基準にした場合、グノーシス主義は超越なき世界観であると言わなければならない。世界も超越もない「人間即神也」という考え方がグノーシス主義の本質である。

大貫隆『グノーシスの神話』

ニーチェは神を殺害しましたが、超人思想によって新しい神(超人)を生みました。その神は「汝なすべし」と天から命令する超越者ではなく、肉体と大地を愛し、善悪の彼岸にいる無邪気な踊る神(超人)です。

わたしが神を信ずるなら、踊ることを知っている神だけを信ずるだろう。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』

新しい神話の創造

グノーシス主義とニーチェ哲学は水と油のような関係ですが、共通する部分や親和性のある部分であれば無理矢理ですが融合させることはできます。そして覚醒の道具として利用することができます。

古今東西の宗教や思想は覚醒の道具として存在するのです。宗教を信じたりただの研究者になってはいけません。覚りを開き、新しい神話、物語、世界観を生み出すのです。それが人生の目的です。

本来の場所、人間即神也
かなたの岸、超人

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