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意識の中の世界 かつて精神とは神であった

1.公理


世界の中にあなたが生まれたのではなく、あなたの意識から世界が生まれたのです。この世界はあなたの意識の中にある幻想の世界です。これはハイデガーの被投性や世界内存在とは真逆の発想です。

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この世界はあなたの意識の中にあるので、世界全体がホームであり、アウェイは存在しません。

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あなたが偶然にこの世界に生まれ落ちたのではなく、むしろこの世界が偶然にあなたから生まれたのです。あなたは、思考の大転換を起こさなければなりません。

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初めに、言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。

『ヨハネによる福音書』

あなたは言葉でできています。あなたから生まれた世界も物質ではなく、言葉でできています。この世界が言葉でできた幻想であることに気づくことが覚醒です。

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風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。

『ヨハネによる福音書』

世界があなたの意識から生まれた幻想であると覚ると、目的や計画、結果にとらわれなくなります。どこから来て、どこへ行くのか分からない風のような自由な存在になります。

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2.夢と現実

あなたは二つの現実を生きています。一つは連続性のある現実であり、もう一つは連続性のない現実、つまり夢と呼ばれています。あなたは、連続性のある人生と非連続の人生を交互に生きています。毎日、夢はリセットされ、異なるシーンの夢を見ます。どれほど強烈な体験でも、夢の記憶はしばらくすると忘れてしまいます。

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現実と夢は、二つの神話形態に類似しています。それは、ローラシア型神話とゴンドワナ型神話です。前者は連続性のある神話群であり、後者は連続性のない神話群です。

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夢には連続性がありません。昨日の夢の続きは見ることができませんし、夢はどこから始まるのかも分かりません。いつの間にか夢の世界に入り、何の疑問もなく夢の中に溶け込んでいます。突然物語の中に投げ込まれ、何の疑問も抱かずにどんどん物語を進めていくアニメのキャラクターに似ています。

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夢の世界に歴史が存在しないかのように、実際には現実の世界にも歴史は存在しません。歴史はフィクションです。人類史も地球史も宇宙史もフィクションです。そして、あなたの記憶もまたフィクションです。

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現実は科学の法則が支配していますが、夢では科学の法則から解放されます。例えば、空を飛んでも疑問を感じることはありません。現実ではあり得ないことも、夢の中では疑問に感じることはありません。

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夢の中の世界は、人も場所も物も、すべてあなたの意識が創造したものです。どれも完璧に本物のように見えますが、実際にはすべて想像上のものであり、あなたの意識が創り出したものです。同様に、この現実と思っている世界も、あなたの意識が創り出したものなのです。

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夢の世界の存在は、目で見たり、手で触れたりできますが、「実体」はありません。リアルに五感で感じることができるからといって、それが実体を持つとは限りません。存在に実体は必要ないのです。

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夢を見ているときには、夢だと気づくことができません。夢の中では、五感で夢の世界を体験しています。「物理的世界」として体験しています。夢と現実の区別はつけられません。

認知科学以前は物理的世界のことをリアリティと呼んでいましたが、認知科学以後は、臨場感のある世界のことを指すようになりました。

苫米地英人『コンフォートゾーンの作り方』

「臨場感のある世界」をリアリティと呼ぶならば、夢もリアリティ(現実・実在)と言えることになります。

むかし、荘周は自分が蝶になった夢を見た。楽しく飛びまわる蝶になりきってのびのびと快適であったからであろう。自分が荘周であることを自覚しなかった。ところが 、ふと目がさめてみると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が蝶となった夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか。荘周と蝶とは、きっと区別があるだろ。こうした移行を物化 (すなわち万物の変化)と名づけるのだ。

『荘子』「胡蝶の夢」

あなたの創造した世界が「臨場感のある世界」なら、それはリアリティと言えるのです。

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[少年]
スプーンを曲げようとしちゃダメだよ。それは無理。その代わりに、真実を見ようとすればいいんだ。

[ネオ]
真実って?

[少年]
スプーンなんてないんだ。

映画『マトリックス』は、2000年以上前から続いている「存在」や「現実」に関する哲学の問いを映像化したものです。

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他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。

『マタイによる福音書』

神の子イエスは、目の前の現実を変えることができなかったのではなく、変えるべき現実が存在しなかったのです。

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3.神義論

「神は正義であり愛であるはずなのに、何故この世界に悪や苦しみや不条理が存在するのか?」という難問がキリスト教には存在します。それを神義論と言いますが、その難問に対する答えは、「この世界は幻想であるため、悪や苦しみや不条理は実際には存在しない」となります。

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この世界のどこかに神様がいて、幸運や不幸を与えているわけではありません。苦難や不幸を与えるイジワルな神様は存在しません。

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悪魔・悪霊は存在しません。悪霊が人間に取り憑くことはありません。

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生霊とは、呪い殺したいほどの憎しみや、狂おしいほどの愛が、霊となって相手に取り憑き悪さをする、と考えられていますが、自分の霊が生霊となって、相手に取り憑くことはありません。過剰な憎しみや愛は、相手ではなく自分に悪さをします。そもそも他者は存在しません。

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この世界には、あなたに害を及ぼすことのできるものは存在しません。この世界で力を持っているのは、この幻想の世界を創り出したあなただけです。

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この世界は幻想の世界です。大好きな人も大嫌いな人も、家庭も学校も会社も、貯金も借金も、美しい身体も醜い身体も、健康も病気も、戦争も平和も、科学も宗教も、すべてが幻想です。

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仏教用語に「四苦八苦」という言葉があります。これは、生老病死の四つの苦しみに、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四つの苦しみを加えたものです。この世界が幻想であることを認識すれば、すべての苦しみから解放されます。

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4.仮現論

『ヨハネの手紙 第一』は、「イエスは実際に人間になったわけではない」と主張する人々の教えと戦うために書かれた書です。彼ら「仮現論者」は、イエスの人性について、「そのように見えただけである」と主張しました。

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キリスト教の異端的な思想である仮現論(ドケティズム)は、イエス・キリストの肉体は実際には存在せず、肉体を持たない霊的な存在であったという信念です。

しかし、この考えは、イエス・キリストに限らず、人間や世界にも当てはめることができます。人間も世界も幻想に過ぎません。この世界は幻想の世界であり、あなたの存在も見せかけに過ぎません。

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5.独我論

独我論者に「実体」としての世界は存在しません。この世界は幻想です。幻想の世界が存在しています。言葉は矛盾しているように見えますが、幻想もリアリティに含めるならば矛盾しません。

認知科学以前は物理的世界のことをリアリティと呼んでいましたが、認知科学以後は、臨場感のある世界のことを指すようになりました。

苫米地英人『コンフォートゾーンの作り方』

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独我論者は、「実在」と「存在」を分けて考えます。自分のみが唯一の実在であり、自分以外は存在だと考えます。

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独我論者は、他者と比較して羨んだり、妬んだりすることや、他者にどう思われるかを気にすることはありません。好かれようが嫌われようが、それに気に留めません。なぜなら、他者は実在しないからです。

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独我論者にとって、他者は哲学的ゾンビのような存在です。そのため、人間関係で悩みません。

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6.哲学的ゾンビ

「哲学的ゾンビ」とは、外見や行動は人間と同じですが、内面的な主観的意識やクオリアを持たない存在のことです。

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哲学的ゾンビは、ChatGPTと同様に会話は成り立ちますが、感覚や感情を持っていません。それらを持っているかのように振る舞うことはできますが、実際には持っていません。

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五条悟が強いのは、努力したからでも優れた遺伝子を受け継いだからでもなく、作者が彼を強いキャラクターとして「設定」したからです。あなたの周りの人々(哲学的ゾンビ)も同様で、美しい/醜い、金持ち/貧乏、天才/凡人などの要素は、努力や遺伝子の結果ではなく、神による設定です。

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他者のキャラクター設定をしている神とはあなた自身です。このことを認識すると、他者に対する嫉妬や恐怖、他者に振り回されることがなくなります。

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あなたの周りに存在するものは、あなたに対して役割と意味を持っています。あなたが世界の中心であり、その世界はあなたのために存在します。そして、あなたが自分の世界の存在に、自分に対する役割と意味を与えているのです。

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人間関係で問題を抱えている人は、他者を人間の姿をした哲学的ゾンビだと思えば良いのです。他者を自分の人生を豊かにするためのエキストラだと思えば良いのです。中身の薄いキャラクターと中身の濃いキャラクターがいますが、あなたにとって重要なキャラクターは存在や会話に厚みがあります。

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あなたと接点のない存在は、あなたに対して役割や意味を持たないため、「無」あるいは、「無意味な存在」となります。

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他者は意識や自由意志のない哲学的ゾンビです。どんなに自由な存在に見えても、思考も行動も設定の枠を出ることはできません。彼らは与えられた台本に従って言葉を発しているに過ぎません。嬉しい言葉も冷たい言葉も、全てはその台本に従っています。意識と自由意志を持っているのはあなただけです。この考えは唯我論とも独我論とも言います。他者との繋がり、関係、連帯、縁起は存在しません。この世界は、あなただけが存在する孤独な世界です。

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アニメのキャラクターは作者に対して疑問を持つことはできません。同様に、哲学的ゾンビも神について疑問を持つことはできません。

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哲学的ゾンビは内面が存在しないため、彼らに対してフロイト、ユング、ラカンなどの精神分析は意味がありません。彼らには、「設定」しか存在しません。その「設定」に対して、占星術やユングのタイプ論による分類を当てはめることはできます。

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あなたの起源や根拠は両親にあるのではなく、あなた自身にあります。あなたは両親から生まれたのではなく、むしろ、両親があなたから生まれたのです。イエスも「アブラハムが生まれる前からわたしはいるのです」と述べました(『ヨハネの福音書8章』)。あなたは始まりも終わりもない永遠の存在です。

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7.因果関係

この世界はマトリックス(仮想世界)であり、因果関係は幻想です。努力しても報われるとは限りませんし、努力しなくても報われることもあります。また、「◯◯していれば、あるいは、◯◯しなければ結果は変わっていた」という考えも幻想です。

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ミュンヒハウゼンのトリレンマ(循環論法・無限遡及・恣意的中断)は、世界に因果関係が存在しないと仮定すれば解決可能です。

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科学も宗教も起源を求める発想に縛られています。科学はミトコンドリア・イブに、宗教は神に人間の起源を求めました。この根拠を遡る発想をしている限り、マトリックスから抜け出すことはできません。因果関係という発想から解放され、自由に思考することが大切です。

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あなたのキャラクターは、親や家庭環境、これまでの経験、人間関係などの影響によって形成されたのではありません。因果関係によって今のあなたができたのではありません。「本来のあなた」がそのようなキャラクターとして設定したのです。

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「奇跡」とは、因果関係を無視して特定の出来事が起こる現象を指します。宝くじを買って10億円が当たることは「奇跡的」と言えるかもしれませんが、それは奇跡ではありません。奇跡とは、たとえばイエス・キリストが水をぶどう酒に変えた出来事のようなことを指します。

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イエス・キリストは水がぶどう酒に変わることを当たり前に考えていました。このように因果関係を無視した発想を当たり前に持つ必要があります。

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量子は粒子と波の二つの性質を持っていますが、量子力学での二重スリット実験では、観察すると粒子に振る舞います。量子消しゴム実験でも経路が分かってしまうと粒子になってしまいます。奇跡も同様に、観察したり因果関係を求めてしまってはいけないのです。

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「奇跡」を見たいなら、計算したり計画したりしてはいけません。奇跡の経路を考えてはいけません。

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この幻想の世界の創造主であるあなたは、無限の力と無限の可能性を持っています。それが「奇跡」の原理です。

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8.成功哲学

法則や因果関係、確率、再現性は幻想です。ですから、努力しても行動しても、アファメーションをしても、ポジティブな思考を持っても、周波数を高めても願望が実現するわけではありません。方法を変えたり、方法を洗練させたりしても、成功するわけではありません。行動と成果は必ずしも比例しません。

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◯◯をすれば稼げる、◯◯をすればモテる、◯◯をすれば痩せるというのは幻想です。この世界は予定調和の世界ですから、方法や技術を学ぶ必要はありません。まずは因果の法則という思考を捨てる必要があります。

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自己啓発や成功哲学、引き寄せの法則などのスピリチュアル系に興味を持つ人は、「現実を変えたい」「願望を実現したい」という気持ちを強く抱いていますが、そのような「願望」よりも「本来の自己」に意識を向けることが大切です。

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「成功するまで成功者を演じきれ」という考え方がありますが、この世界は幻想の世界ですから、成功者はそもそも実在せず、成功の方法も存在しません。計画、理論、方法、テクニックなど一切捨て去り、直感やインスピレーションに従ってください。

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9.予定調和

努力や行動をしなくても、必要なものは手に入ります。この世界は因果関係ではなく、予定調和によって成り立っているからです。すべてが絶妙に調整されています。

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あなたの願望は「何もせずに」実現します。この幻想の世界の原理は、因果関係ではなく予定調和だからです。欲しいものを手に入れるためには、テクニックやタイミングは必要ありません。

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「あの時、AではなくBを選択していれば、違う結果になっていただろう」と、過去を後悔したり、過去にとらわれてはいけません。たとえBでもCでも、どんな選択をしていたとしても結果は変わりません。

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人生は、最善なストーリー展開になるように設計されています。予定調和な展開になるため、人生に不運や選択ミスは存在しません。

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人生には必ず伏線があります。Aという出来事は、Dという出来事に欠かせない重要な伏線であったりします。Aが不可解で気持ちを沈めるような出来事であっても、そこには必ず意味があります。

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人生は伏線だらけです。伏線が回収されるまでモヤモヤしますが、必ず伏線は回収され、想定外の展開に良い意味で驚かされることになります。否定的な意味で「なぜ?」と思う出来事も伏線だと思い、回収される時まで期待して待つことが大切です。

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人生には偶然は存在しません。すべての出来事に意味があります。特にスムーズな進行を妨げる不快な出来事にこそサインが隠されています。それは軌道修正のサインであったり、アイテムゲットのサインであったり、新たな気づきのサインであったりします。サインの意味をよく考えることが重要です。

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だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。

『マタイによる福音書』

閃きを行動原理としてください。心の赴くままに生きてください。楽しいこと、面白いこと、テンションが上がることを追求してください。未来を心配する必要はありません。すべて予定調和で上手くいくようになっています。「いま、ここ」を大切にしてください。

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10.無限は無限

あなたは自分がどうやって呼吸をすればいいのか心配になりますか?普段は何も考えもせず、ただ呼吸をしているはずです。そして、十分な空気があると信じきっています。本来のあなたは永遠で無限の存在であり、無限の豊かさの中で呼吸しているのです。

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「私の無限の豊かさは現実ではない」「豊かさは実際には存在しないのだ」と不安に思うこともあるかもしれません。しかし、無限の豊かさを呼吸し続けることで、恐れや不安が次第に薄れていきます。

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この世界はあなたの意識から生まれた幻想の世界であり、お金を含め、すべての存在はあなたの意識からやってきます。仕事、ビジネス、投資、ギャンブル、相続などの「いきさつ」によってお金がやってくるのではありません。

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この幻想の世界には因果関係や法則は存在しません。因果関係ではなく神の予定調和が世界を決定しています。「再現性が高い」と謳われているお金儲けの方法があったとしても、それは幻想に過ぎません。

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数字は現実ではなく、口座も現実ではなく、世の中のお金の流れも現実ではなく、あなたの無限の豊かさこそが現実なのです。

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あなたは無限の存在ですから、口座にもどこにも余分なお金を置いておく必要はありませんし、収入という形で入ってくるように見えるお金も必要ありません。「より多く稼ぎ、より多く貯める」必要もありません。

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お金をさらに稼ぐために、はしごをよじ登る必要はありません。支出は存在しません。収入も存在しません。利益も存在しません。通帳の中の数字も存在しません。その通帳にお金が入って来た「いきさつ」も存在しません。どれもただの幻想です。

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可能な限り稼ぎ、お金を貯め、多くの純資産を積み上げる必要があるという考え方は、「手に入れられるお金は限られている」という幻想がもとになっています。ひとたび無限の豊かさを受け入れ、そのような考え方をやめれば、お金を溜め込む必要は一切なくなります。

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「もっと欲しい!」と必要以上に欲張ることに意味はありません。必要なお金はその都度生み出されるので、稼ぐ努力をしたり、計算したり、不安に思う必要はありません。

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あなたの預金通帳に、どんなにたくさんお金が積み上がっているように見えたとしても、それは本物ではありません。同様に、どんなに多くの借金が積み上がっているように見えたとしても、それも本物ではありません。

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映画の中で、全財産が500円の俳優は、何十億円もの資産を持つ俳優より劣っていますか?そんなことはありません。俳優も、その財産の数字も、すべて架空のものです。この世界も幻想ですから、映画の世界と同じく、すべてフィクションです。

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今すぐにでも辞めたい仕事をしていても、借金がいくらあっても、結婚して養うべき家族がいても、それらすべては幻想なのです。そして、力を持っているのはあなただけであり、意識の創造物には力はありません。ですから、恐れるものは何もありません。

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「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。何かを得るためには同等の代価が必要になる。」

このような等価交換の法則は存在しません。タダのランチは存在します。タダで何かをもらうこともできます。あなたの資金を増やすために、何かの価値を上げたり、もっと長くもっと賢く働いたりする必要はありません。

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たとえどんなに数字が大きく見えようとも、限界は限界にほかならず、無限は無限にほかなりません。無限の豊かさを数えることはできません。「本来のあなた」は無限であり、あなたが向かうべき場所は無限なのです。

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主が命じられるのはこうである、「あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれ(マナ)を集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい」と。 イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。 しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。
(中略)
モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。 しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。
(中略)
彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。

『出エジプト記』

主はモーセに言われた、 「わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた。彼らに言いなさい、『あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう』と」。

『出エジプト記』

旧約聖書には神が民にマナというパンを日毎に天から与えたという物語があります。天から与えられたマナは、多く集めても余ることなく、少なく集めても足りないことはありませんでした。これは必要なものは必要な分だけ与えられるということです。貯金を増やすことには意味がありません。多く集めても溶けてなくなってしまうからです。日毎に必要な分のお金があればいいのです。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

『マタイによる福音書』

明日の心配は不要です。精神的にも物質的にも身軽に生きましょう。必要なものは必要なときに必要なだけ手に入ります。究極的には何もする必要ないのです。

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11.超人と永遠回帰

永遠回帰とは、自分の課題に繰り返し立ち戻ることです。あなたには美を洗練させるという課題が与えられています。同じことを何度も繰り返すことによって美が洗練されていきます。

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永遠回帰は、「チャンスが繰り返し訪れる」と肯定的に解釈することも可能です。繰り返しチャンスが訪れるならば、心に余裕が生まれ、焦りや切羽詰まった思考に陥ることがなくなります。

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輪廻は存在します。大アルカナカードは輪廻を表しています。あなたは何度も人間として生まれ変わりますが、他の存在に生まれ変わることはありません。なぜ輪廻を繰り返すのでしょうか?それは楽しいからです。苦しみも含めて、人生が楽しいから、自らの意志で何度も輪廻を繰り返すのです。

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仏教では、輪廻の世界から脱出する解脱が最高の境地であり、そこを目指しますが、ニーチェは解脱を目指しません。ニーチェは人生における苦痛も悪もすべてを肯定します。ニーチェは涅槃ではなく苦痛を、天国ではなく大地を愛します。

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わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは乗り超えられるべきあるものである。あなたがたは、人間を乗り超えるために、何をしたか。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』

生きる目的は、自己を乗り越えることです。あなたはもっと美しく力強い存在を目指すべきです。そのモデルとなる存在は、ニーチェ的に言うならば太陽です。太陽は神の象徴です。太陽のように溢れる豊かさを持つ存在を目指すべきです。自己を乗り越えるほどに、恐れや苦しみ、不安がなくなっていきます。本来のあなたは吹けば消えてしまうような弱々しい小さな灯ではなく、神々しく光り輝くエネルギーに満ちた太陽のような存在なのです。

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12.現状の外側



「現状の外側」とは、「世界の外側」のことです。あなたは「世界の中」に生まれたのではなく、世界があなたの「意識の中」に生まれたのです。

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あなたの「意識の中」に生まれた世界には当然、人間も含まれます。あなたの周りに存在する人間もあなたの創造物なのです。

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他者を恐れることはありません。なぜなら他者は幻想であり、実在しないからです。テレビに映っている俳優があなたを睨みつけたり、あなたを否定する言葉を使ったとしても、怖くはないはずです。同様に、目の前にいる他者も幻想であり、恐れる必要はありません。

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この世界は、あなたから生まれた幻想の世界です。この世界で力を持つ存在はあなただけです。幻想に力はありません。ですから、幻想を恐れる必要はありません。恐れから解放されれば、あなたはより自由になります。

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「自由」とは、否定的な表現で言えば、「恐れ」がないことです。恐れがない人は、新しい価値を次々と創造していきます。タブーがないからです。

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この世界は幻想ですから、善悪は存在せず、罪悪感を持つ必要もありません。

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恐れがなくなれば、「勇気」は必要なくなります。恐れがあるから「勇気」が必要になるのです。また、「勇気」には緊張が伴いますが、恐れがなくなれば「余裕」が生まれます。

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世界は幻想であり、あなただけが唯一の実在です。あなたは永遠の存在であり、自己を目的として存在しています。したがって、あなたの世界には、生きる意味や目的、価値がないという考えのニヒリズムが入り込む余地はありません。

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あなたは進化の産物ではなく、永遠の存在です。進化の産物であれば、本能や遺伝子や無意識が裏であなたを操っていることとなり、「自由意志」がないということになりますが、あなたは永遠に存在する神ですから、何かに操られている存在ではありません。

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真理とは何か?科学や哲学においては、矛盾していないもの、整合性のあるもの、検証できるもの、最終的な根拠などと言われていますが、唯一の実在である永遠の神であるあなたが真理なのです。あなたが世界の根拠なのです。あなたが神である根拠を他者に証明する必要はありません。なぜなら世界は幻想であり、証明すべき他者が存在しないからです。

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あなたは世界の根拠であり、矛盾(光と闇、善と悪、ロゴスとソフィアなど)を抱えた存在です。あなたの矛盾から多様性のある世界が生まれたのです。

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かつて精神とは神であった。次いでそれは人間になった。今では賤民に成り下がった。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』

あなたは再び神にならなければなりません。

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