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ニーチェ「幻の主著」

ニーチェは『ツァラトゥストラ』を理論的に補完する別の主著を執筆する計画を立てていました。最初は『力への意志』というタイトルを考えていましたが、後に『一切価値の転換』に変更しました。

『一切価値の転換』は未完成のまま幻の主著となりましたが、ニーチェは完成に強いこだわりを持っていたので、長生きしていれば完成させていたことでしょう。

『一切価値の転換』の第一巻は『アンチクリスト』でした。『力への意志』、『一切価値の転換』、『アンチクリスト』を『ツァラトゥストラ』の「三段階の変身」に対応させると以下のようになります。

駱駝=アンチクリスト
獅子=力への意志
子供=一切価値の転換

幻の主著『一切価値の転換』は「三段階の変身」を骨組みとして構想されていたはずです。

妹エリーザベトとペーター・ガストがニーチェの著作を編纂して『力への意志』を完成させましたが、彼らのように、ニーチェの残した計画を元に、ニーチェの著作を編集し形にすることは可能です。すでに、ニーチェの熱烈なファンが個人的な趣味でニーチェの著作を編集し、幻の主著を完成させているかもしれません。ニーチェがいない今、決定版を作ることはできませんが、編集者の数だけ様々な版を生み出すことはできます。木田元も『ハイデガー『存在と時間』の構築』で、『存在と時間』の未刊部分を構築するという似たような試みを行っています。

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私は、人類が所有するなかでも最も深い書物を人類に与えた。私の 『ツァラトゥストラ』である。さらに近々、このうえなく独立不羈なる書物(『すべての価値の価値転換』)を贈ることになるだろう。──
村井則夫訳『偶像のたそがれ』「反時代的人間の渉猟51」

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あれほど多くのプランやさまざまの表題を仮定してニーチェの心中をたえず去来したように見える構想はどこに行ったのであろうか。それは彼の発狂によって一挙に崩壊したのであろうか。むしろそうした意図ははじめからニーチェには無理だったのではなかろうか。つまり体系化ということはこの思想家には自己矛盾であり、そのこと自体彼がかつては意識的に反対していたことであった。
氷上英廣訳『ニーチェ全集11』(白水社)p411

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カール・レーヴィットは、ニーチェの主要思想は『ツァラトゥストラ』にあり、『力への意志』の遺稿・断片には新しいものはなにもないと述べている。
岡村康夫『瞬間・脱落・歓喜 ニーチェと永劫回帰の思想』(知泉書館)p16

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周知のように、この『力への意志』は、妹エリーザベトとペーター・ガストの編纂によるものであり、その成否についての有名なシュレヒタによる指摘がある。
岡村康夫『瞬間・脱落・歓喜 ニーチェと永劫回帰の思想』(知泉書館)p15

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いずれにせよニーチェの妹によって編まれ、いわゆる主著として考えられてきた『力への意志』という書物は存在しないし、存在するかのように取り扱うべきではない(このことはもちろんニーチェにおける「力への意志」という思想の存在を、否定するものではない)。
氷上英廣訳『ニーチェ全集12』(白水社)p484

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