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ニーチェ「一切は滅びるに値する」

「我々は、信仰も迷信も持ち合わせていない」と胸を張る現代人の無信仰の主張は、「一切は滅びるに値する」という生や存在の否定に帰結します。しかし、ニーチェの「神の死」の宣言は、ニヒリズムと結びつくことなく、むしろ生を肯定するものになります。ニーチェは、キリスト教の神を否定しただけであり、何でも科学で説明しようとする痩せこけた科学主義者になったわけではありません。創造性の源泉である予言の夢や星の知らせを持ち、信仰の力を信じていました。

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「われわれはまったく現実的な人間だ。信仰も持たない。迷言も持たない。」そう言って胸を張る、──といっても、その胸もないのだが!

そうとも。どだいあなたがたには、信じるということはできない。あなたがた、雑然と塗りたくられた者たちよ!あなたがたは、かつて信じられたもの一切の、ただの絵なのだ!

あなたがたは、人間のかたちをした、信仰の否定そのものである。あらゆる思想を骨抜きにするものだ。無信仰がふさわしい者、これがわたしのあなたがたに対する呼び名である。現実的な人間たちよ!

ありとあらゆる時代があなたがたのいろんな精神となって、たがいに饒舌をぶつけあっている。だがありとあらゆる時代の夢も饒舌も、あなたがたの覚醒(しらふ)の状態より、現実的であった!

あなたがたは何も産みだすちからがない。だから、信仰がないのだ。しかし、創造しなければならなかった者は、かならずその預言の夢を持ち、星の知らせを持っていて、──信仰ということを信じたものだ!──

あなたがたは墓掘り人が、そのそばで待っている半開きになった門だ。そして、あなたがたの現実なるものはこうだ。「一切は滅びるに価いする。」

ああ、あなたがた、産むちからのない者たちよ、その恰好(かっこう)はどうだろう。肋骨のあたりの瘠せおとろえていることよ!
氷上英廣訳「教養の国」

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「われわれこそ、まったく現実的な人間だ。信仰も迷信も持ち合わせていない」と。そう君たちは胸を張るのだが──、ああ、その肝腎の胸を持ち合わせていないありさまだ。

そうとも、君たちにどうして信じることができようか、色とりどりに塗りたくられた者たちよ、──君たちは、かつて信じられたすべてのものを模写した油絵にすぎない。

君たちは、信仰そのものの否定を地で行く者であり、一切の思想の脱臼である。信ずるに足りない者と、私は君たちのことを呼ぼう。現実的な者たちよ。

あらゆる時代が、君たちの精神のなかで、反論し合っておしゃべりしている。どんな時代の夢も饒舌も、君たちの覚醒状態よりはまだしも現実的であった。

君たちは不毛だ。子を産むということができない。それが、君たちに信仰が欠けている理由だ。しかし、創造せずにはいられなかった者は、予言めいた夢や星のお告げもつねに持っていたし──、信仰を信じていたものだ。──

君たちは半開きの門であり、そのわきでは墓掘り人が待ち構えている。そして、君たちの現実とはこうだ。「一切は滅びるに値する」。

ああ、君たち不毛な者たちよ、君たちの恰好ときたらどうだ。肋骨のあたりの肉が落ちて、痩せこけているではないか。
森一郎訳「教養の国」

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「われわれはまったく現実的な存在である。そして信仰にも迷信にもとらわれない」そう言っておまえたちは胸を張る、──が、あいにくその胸がない。

そうだ、信ずるということが、どうしておまえたちにできよう。雑然としたまだら模様の者たちよ。──かつて信ぜられたいっさいのことの写し絵にすぎないおまえたちよ。

おまえたちは、おまえたちのことばを聞くまでもなく、そうして立っているだけで信仰の否定である。手足をもった生身の否定である。あらゆる思想の脱臼である。信ずるにあたいせぬ者、そうわたしはおまえたちを呼ぶ。現実的な者たちよ。

おまえたちの頭のなかでは、あらゆる時代が、互いに矛盾したことをしゃべり散らしている。しかも、どんな時代の夢と饒舌も、おまえたちの覚醒状態にくらべてみると、まだしも現実性をもっているのだ。

おまえたちは産むことができない。それゆえおまえたちには信仰が欠けている。だが、創造せざるをえなかった者は、いつもかれ独自の予言的夢想と星の知らせをもっていたのだ。──そして信仰の力を信じていたのだ。──

おまえたちは墓掘り人で、いつも扉をなかば開いて待っているのだ。そしておまえたちの現実というのは、こうだ。「一切は滅びるにあたいする」

ああ、おまえたち不毛の者よ、なんというみじめな姿だ。肋骨もあらわなその痩せようはどうだ。
手塚富雄訳「教養の国」

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「僕たちはまったく現実的だ。どんな信仰や迷信にもとらわれない」。そう言って胸を張る。──だが、あいにくその胸がない。

そうだ。どうしてお前たちに信じることができようか。雑然と塗りたくられた者たちよ。──かつて信じられたこと一切の、写し絵にすぎないお前たちに。

君たちはそうしてこの世に生きているだけで、信仰の否定そのものだ。思想の脱臼だ。信じることすらできない者、わたしは諸君をそう呼ぶ、現実的な者たちよ。

ありとあらゆる時代が、君たちの頭のなかで、たがいに矛盾したことを喋りちらしている。しかも、どんな時代の夢も饒舌も、諸君が目を覚ましているときより、まだ現実性を持っている。

お前たちは産むことができない。だから何も信じていない。だが、創造せざるを得ない者は、かならず予知夢と星の兆しをみていた──そして信仰の力を信じていた──。

お前たちは半ばひらいた門だ。そのそばで墓掘り人が待っている。そしてお前たちの現実というのはこうだ。「一切は滅びるに値する」。

ああ、君ら産む力のない者たちよ、なんて様だ。そのあばらが浮いた瘦せ方はどうだ。
佐々木中訳「教養の国について」

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【引用】
氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫)
森一郎訳『ツァラトゥストラはこう言った』(講談社学術文庫)Kindle版
手塚富雄の『ツァラトゥストラ』(中公クラシックス)Kindle版
佐々木中訳『ツァラトゥストラかく語りき』(河出文庫)Kindle版

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