悠凜家の一族☆父方編


気づけば4月も早、半ばを過ぎ。
。。。というか終盤。

たまには我が家のヒミツでも整理してみようかと思います。
(いらない情報№1/当社比)



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現在の我が家は、

父・71歳
母・65歳
私・ホニャララ歳(バレバレ)

他、部屋は別ですが週に数回食事を共にする父方の叔父・68歳(独身)

というラインナップです。(2016年4月現在)



これが私が子どもの頃は、と言いますと。

祖父(父方)
祖母(父方/2歳時に鬼籍入り)


叔父


これに加えて、何故か同じ家屋内に、祖母方の大叔父家族(夫婦とその息子)3人が『ひとつ屋根の下』でした。
もちろん、大叔父家族とは食卓は別です。台所は一緒でしたが。。。


さらに私が生まれる前に至っては、祖父が経営していた工場の住み込み社員も同居していたり、
さらに工場を興す前は、社員の代わり(ってワケではないけど)に、大叔父以外の祖母の弟妹も同居していたり、

大所帯極まれりな家でした(私は父から話を聞いただけですが)。



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コトの起こりは祖父と祖母の結婚の話。
祖父は若い頃、祖母の父親が番頭をしていた会社の社員で、当時中国に工場を進出するに当たり、責任者として白羽の矢が立ったのだそうな。
それに伴い、独身では。。。というコトで、先に中国・天津に赴いていた祖父を祖母が追っかけで結婚した、と。まあ割愛しいしい乱暴に説明すると、そーゆうコトなのだそうです。


つーワケで、伯母と父は中国で生まれ、叔父だけは日本で生まれた、というコトらしいです。

しかしそこは激動の昭和。

一歩違えば祖母も帰国できなかった可能性もあります。
伯母と父が中国残留日本人孤児となっていた可能性もあります。
そうなれば当然、叔父も生まれてはいないし、伯母方の従兄姉も私も生まれていなかった、というリアルに怖い事実が意外と身近にあるのです。

祖父は中国から出征し、祖母は祖父が戦死したと聞いていたそうで、終戦後に持っていたものを全てを取り上げられ、それでも何とか伯母と父を連れて引揚船に乗り込みます。

冷静に考えて、当時の祖母は20代後半(いや、慌てて考えても20代後半ですが)。
既に70年近く前。20代の女性が子どもを連れて、右も左もわからない外国から命からがら逃げて来るという状況は、当然のことながら祖母たちだけではなく、その時の中国では当たり前にあったのも事実です。


港に辿り着く前に命を落とした人、
ロシア兵に連れ去られた女性、
港に辿り着いても船に乗れなかった人、
より生き延びる可能性を求め、泣く泣く我が子を中国人に預けた人、
船には乗れたものの日本に帰りつけずに命を落とし水葬された人、
やっとの思いで日本に帰りついたのに、肩身の狭い生活をせざるを得なかった人。。。


父と2歳違いの伯母は大丈夫だったそうですが、まだ幼かった父は船で出される食事は難しく、祖母は隠し持っていた氷砂糖(当時は貴重品だったらしい)を厨房の人に渡し、こっそり重湯などをもらっていたらしいです。

そんな命からがらの状態、やっとの思いで日本の港に辿り着いた時、戦死したと聞かされていた祖父が迎えに来ていたそうで、祖母は びっくりぽん! (パクリ)
さすがに祖母も張りつめていた気が抜けたらしく、その場でヘナヘナとへたり込んだそうです。

その後、今、私たちが住んでいる場所に落ち着いたというワケです。もちろん今の家ではなく、私が高校生になるまで住んでいた古い建物ですが、そこで無事に叔父が生まれたというワケです。

。。。無事に、と言っても、何と叔父は生まれた時に息をしていなかったらしく、お産婆さんが両足を掴んで逆さ吊りにし、お尻をパーンパーンと叩いたら泣き出したそうで。父は幼いながらも、障子の穴越しにそれを見た記憶があると言っておりました。ショーゲキの現場だったんでしょうね~。


先にも書いたように、その頃の家は大所帯。
自分と家族だけでも5人、それに加えて祖母は5人弟妹の長女で長子なので弟2人に妹2人、上の弟の妻子、両親が既に亡くなっていたため、祖父母が親代わりのようになって『ひとつ屋根の下』だったと。総勢。。。11人?

昔、萩尾望都さんの『11人いる!』ってマンガがありましたが。。。いや、これは別に関係ありません。

下の弟は当時は珍しくなかった結核で若くして亡くなり、上の妹も結核で危なかったそうですが回復して後に結婚、もうひとりの妹も結婚、残ったのは2番目長男の大叔父とその家族のみ!って、何で長男ともあろう家族持ちが残ってんだよ!って話ですが。

父曰く「おばあちゃんはな。当時の女性としてはワリと進んでるところがあったんだけど、手放す。。。ってことがヘタだったんだよ」

要は『弟放れ』ならぬ『弟放し』が出来なかったと。

これには理由があったようで。
大叔父は決して悪い人ではなかったのですが、どうもお酒を飲むと人が変わってしまうところがあったらしく。。。それが心配で放せなかったのだと。

まあ、いい大人なんだから自己責任だとは思うんですけどね。親代わりだった祖母はついつい心配し過ぎてしまったのでしょう。

それから、祖父が新たに始めた工場で働く人たちが数人住み込み始めたり、伯母が結婚していなくなったり、父と母が結婚して近くのアパートに引っ越したり、私が生まれたり、祖母が亡くなったり、工場がダメになったり(^_^;) 
父と母が実家に戻り、私たち5人と大叔父一家3人が『ひとつ屋根の下』で数年、途中で大叔父が亡くなったりして数年。
私が中学生の時に家の建て直しの話が出て、それを機に大義叔母たちは別の場所に引っ越しました。

ちなみに、母も元々はその住み込み社員のひとりで、父とは一応、職場結婚ということになります。


さて、私はお酒を飲んで暴れている大叔父を見たことないのですが、普段は別にフツーのおじさんでした。昔の男っぽく、笑ったり面白みのある人でもなかったですが、幼い私が大叔父たちの部屋で一緒に炬燵に入ってゴハンをもらったりしていても怖くも何ともなかったです(私が変わっていたのかも知れない)。

まあ、父とは何度かいろいろあったらしいですが(笑)。


ちょっと私自身がワケわかんなくなって来たので、ここで一端、区切ります。






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