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豪華ではなくても、ささやかだから

豪華ではなくても、ささやかだから。だからこそ。ここにはちゃんとした幸せな時間がある。ふたりだけでも、3人だからこそ、ここにはちゃんとあるのだ。

麻績村。その読み方を全く予想が出来なかった。その村には事前に聞いていた通り本当になにもなかった。おみむら、と読む。畑と山と少しの家々だけが静かに、でも確かにあった。どれほど高いビルがある場所よりも、どれだけ多くの人がいる場所よりも、そこには確かに生命があった。陽がのぼり、陽が沈み、確かに人が生きていた。暮らしていた。

夫の友人家族が暮らす麻績村には夕方ごろ着いた。須坂で人生初めての混浴をして、昼寝をして、蕎麦を食べて、車をのんびり走らせ、麻績村へ来た。まだ仕事から帰ってきていない友人一家を待ちながら、わたしたちは少しずつ陽が沈む村を散歩していた。途中、ベビーカーを押した若い女性が向こうから歩いてきて、挨拶をしてくれた。その挨拶の声色や表情から、この村に住む人々の距離感がすぐに分かった。

辺りをすこし散歩して集落に戻ると、小さな子供が数人、大人も数人集まっていた。同世代の子ども同士がはしゃいでいる。同世代の大人同士がにこやかに話している。さっき挨拶をしてくれたお母さんもいて「また会いましたね。」と手を振ってくれた。コミュニティというものを形として、久しぶりに見た気がした。ここに住むもの同士が、この景色を愛するもの同士が、同じ価値観の中で、まったく違う家族が、まったく違う背景をもつひとたちが暮らしていた。そしてその在り方、暮らし方、関わり方はわたしが「いいな。」と思うもののひとつだった。

わたしはさっきのお母さんに「どんなことが不便ですか?」と聞いてみた。「不便なことしかないですよ。」と言って笑っていた。周りにいる他のお母さんたちに「そうよねえ。」と言って、みんなも「そうね。」と言って笑っていた。とっても素敵な笑顔だった。

友人一家が帰ってきて、鍋をつつきながら団らんの時間を過ごした。ようすけ君とあゆみちゃん、小さな天使のうたちゃん。ご飯がとってもとても美味しかった。他愛もない話。でもずっと笑っていて、心からリラックスしていた。わたしもご飯をお代わりして、肉と野菜をたっぷり食べた。一息ついていると、ようすけ君がケーキを運んできてくれた、みんながバースデーソングを歌ってくれた。それで、今日が自分の誕生日だったと思い出した。特別なのに、特別じゃない。そんな日。うたちゃんがケーキのいちごを美味しそうに食べていた。余りにも可愛いくて、みんな自分のケーキのいちごを全部うたちゃんにあげた。幸せな時間でした。

「明日は5時に起こすね。見せたい景色があるんだ。」とようすけ君が言った。約束通り朝5時に起こされて、アルプス山脈が赤く燃える景色を見た。本当は雲海が見えるはずだったらしいのだけれど、その日は見えなかった。でも、ようすけ君が見せてくれた景色はとっても綺麗でうっとりした。

太陽が昇る空と反対側の西の空で山々が赤く染まっていた。朝日を美しいと思うことは何度もあるけれど、その向かい側の空がこんなにも美しいことを知らなかった。それから、軽トラの荷台に乗せてもらって朝の村をドライブ。ようすけ君が育てているリンゴの木も見せてもらった。山々の稜線がくっきりと、はっきりと。ただただ美しかった。山々に囲まれた小さな村のたしかな命。生きているって感じがした。

焚火をして、前日にわざわざ(やっと行けました!🍞)で買ったパンでプレスサンドを作ってコーヒーを飲んで、ようすけ君がギターを弾いて歌って、ご近所さんが起きてきて「おはよう」って言った。どこかで見た、どこかで感じた、心の奥底に眠っていた気持ちに気がついた感じがして、この気持ちはこれからの人生の指針になるのだと確信した。

村には決して豪華さはなかった。でも、ささやかな幸せがたくさんあった。何か一つに圧倒されるのではなく、小さな出来事に心が少しずつ、少しずつ動かされる。少しずつ、少しずつ、気持ちが豊かになって、ただの一晩だったけれど、村に流れる時間に身体のリズムが馴染んでいた。

サムネイルはうたちゃんの歯磨きタイム。ぱぱとままに守られて、いつまでもすくすくと育っていきますように。

次は冬に来るね、と約束をして別れを告げた。わたしたちは長野にも別れを告げ、最後の目的地、山梨県北杜市へ向かった。

===おまけ  長野県の星野リゾート施設===
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