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#10 気まぐれ日記 | わたしの母性を育てたものは


2024.02.04

いざ、マラソン大会へ。生憎の雨。しかも大雨。そして寒い。しかしまあ、会場へ着くと小さい子から大人まで気合に満ちていて、わたしもやる気が湧いてくる。出場種目は5キロ。あっという間なはずだ。走り出すと負けず嫌いスイッチが発動して、ペースがあがる。目標は30分以内。途中寒さと雨で挫けそうになったタイミングもあったがなんとか完走。5分/km以内のペースで走れた。練習してきた中でも1番いいタイムで大満足。終わって、気が抜けていると、遠くから名前を呼ばれた。なんと大学の先輩が。卒業ぶりの束の間の再会に喜んだ。

びしょ濡れ完走後

2024.02.09

親知らずを抜いた。麻酔の注射が痛かった。手術がはじまるとき、本当に麻酔が効いているか不安で怖かった。ちっぽけな小さな小さな歯なのに、簡単には抜けなくて、砕いて、一個ずつ取り除く。その圧と、引っ張られる力に驚きながら、耐えた。実家に帰ると、母がお粥を作ってくれた。たまご粥。幼い頃に熱を出したときの記憶が蘇る。美味しかった。

2024.02.11

しっかり片側だけ腫れた。リスみたい。そして痛い。歯のありがたみを知る。自分の歯で、モリモリ噛めるって素晴らしい。早く美味しいご飯を食べたい。

2024.02.15

家の近くのドラッグストアで見つけたガチャガチャ。普段あんまりやらないけれど、思わず飛びついた。たまごっちのガチャガチャだった。もちろんレプリカだけど。当時の幼きわたしにとって、たまごっちは自分の命と同じくらい大切なものだった。確か小学2年生のクリスマスに父が買ってきてくれた。わたしは嬉しくて嬉しくて泣いた。わたしの記憶の中でいちばん古い嬉し泣きエピソードかもしれない。
でも、そのあとでそのたまごっちを無くしてしまった。今度は悲しくて大泣きした。見かねた父が新しいものを買ってくれた。わたしはなけなしのお小遣いを貯金箱から出して、会社に行く前の父に半泣きで渡したけれど、受け取ってもらえなかった。当時のわたしにとっては500円を超えるものなら超高級品で、すごく申し訳なかったのだ。当時、父は超多忙で朝しか顔を合わさなかったから、出勤前のスーツに髪の毛をかっちり固めたている父はちょっと怖くて。恐る恐る差し出したお小遣いはあっさり返されて、ホッとした気持ちもありながら、恥ずかしかったりもした。だから2個目に買ってもらったこのたまごっちにはそういうちょっと苦い記憶もあって、より大切なのだ。

とにかくどこへ行くにもたまごっちを持って行った。たまごっちさえあれば、何時間でも時間を潰すことができた。この小さな物体の中に自分の友だちのような、いや、子どものような可愛らしい存在がいつもいた。もちろんそれがリアルではないことはもう理解していたけれど、毎日、この画面から飛び出してきたりして、なんて魔法みたいなことが起きたらいいなと本気で思っていた。

あれはきっと、人生で初めて、自分の中の母性を感じた体験だったのだと今は思う。食事に排泄、娯楽、その全ての面倒を見る。この子たちは自分がいないと生きていけず、どんな性格になるかも私次第だという責任感。学校に行けない間、お世話は母に頼んだが、忘れられてたりして。学校から帰ってきて、病気を意味するドクロマークがついていると、泣いて怒った。この画面の中のキャラクターはわたしの宝物だった。そんなことを思い出しながら、開けたガチャポンの中身は私が持っていたたまごっちの柄のレプリカで思わず声を出して喜んだ。たった3つのボタンが連れて行ってくれたたまごっちの世界はいつも優しくてシンプルで愛情に溢れていたように思う。

しかもりんごっち

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