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140字では語りつくせぬ映画愛:どこへ行くの『スターウォーズ』

『スターウォーズ』という作品は「ある銀河における善と悪との戦いの物語」ではない。『スターウォーズ』とは「スカイウォーカー家の血を巡る物語」である。
 様々な考察や解説を読んだがこの手の内容のものをよく目にした。沖津も高1くらいの時にエピソード6にあたる『ジェダイの帰還』を観ていてその意識が顕在化した。なぜ『ジェダイの帰還』を観ていてそう感じたかは後述する。
 今回はその『スターウォーズ』の定義がどうやら新シリーズでは変容しつつある(あるいは作り手が変容させようとしている)ことについて考えたい。
 まずこれまでの『スターウォーズ』だが、あくまで「スカイウォーカーの物語」であることを強調しなければならない。主人公は旧三部作ではルーク・スカイウォーカー、旧新三部作ではアナキン・スカイウォーカーでどちらもスカイウォーカー家の人間である。前者は銀河最後のジェダイになった者、後者はフォースにバランスをもたらす選ばれし者だ。この家系は「元来フォースの強い血族」として常に物語の中心になっていた。一人の人間や血筋に焦点を絞って物語が進むのは当たり前だが、物語を通しての主題が主人公に絞られるわけではない。それこそ「スターウォーズ」は「主人公ルークの活躍を通して描かれる銀河内乱の様子である」といった具合に銀河の内乱を主題として解釈することが可能である。(が、冒頭で述べた通り沖津はこの解釈を間違っていると捉える。)
 スターウォーズには「ジェダイとシス」・「銀河共和国と分離主義者」・「銀河帝国と反乱軍」などの極めて分かりやすい二元的対立要素がいくつか存在し、どの文脈でもスターウォーズという物語を語ることができる。また、スターウォーズは非常に広大な世界観を有している。台詞や設定から大局的な銀河の歴史を感じることが可能である。結果としてキャラクター数も非常に多い。これらの要素のおかげで一人の人間を主軸にして話が進んでいることを忘れがちになるのだ。この点、やはり小説を原作とする『ハリー・ポッターシリーズ』は違う。この作品も映画で描かれた部分の前後を無限に感じさせる壮大な世界観とキャラクター数を有しているが、『ハリー・ポッター』を観て「1990年代に起きた英国魔法界における純血主義系テロリストと抵抗軍の争いの変遷」を認識の主軸におく人はまずいない。『ハリー・ポッター』は「学園生活やデスイーターとの戦いを経て成長し、選ばれし者としてみずからの運命を果たすハリーという人物の物語」である。スターウォーズは「ジェダイとシスの戦い」だとか「銀河帝国に抵抗を続ける反乱軍の戦い」だとか言っても違和感なく語ることができてしまうのだ。
 しかしスターウォーズはよくよく観るとやはり「スカイウォーカーの物語」なのだ。これは『ジェダイの帰還』において顕著である。この作品を「帝国軍と反乱軍の最終戦争」という観点で考えると主人公ルーク・スカイウォーカーは実は「何もしていない」のである。マジでなんもしてない。では何故その「なんもしてない人」をメインで描くのか、ルークのなんもしてなさも含め物語のあらすじを整理して考えてみる。
 物語中盤、反乱軍と帝国軍の総力戦が決定的になるとルークは自ら敵の本拠地「第二デススター」に投降し、銀河皇帝ならびにダースベイダーと対峙する。これ以降物語は「ルークvsベイダー&皇帝」・「反乱軍vs帝国軍(宇宙)」・「反乱軍vs帝国軍(地上)」という3つの場面の同時進行になる。無論主人公であるルークの描写に最も時間が割かれる。ルークはなんとかベイダーと決着を付け、皇帝によるダークサイドへの誘惑もはね退ける。見事外では反乱軍が帝国軍をくだし、第二デススターは爆破されハッピーエンドとなる。これのどこが「何もしてない」のかと思うが、よく考えるとルークは反乱軍の勝利とは一切関係のない戦いをしている。反乱軍と帝国軍の戦いの経過を見ていこう。
⚫宇宙要塞デススターのシールドを無効化するためハン・ソロ率いる反乱軍地上部隊が衛星エンドアに潜入
⚫アクバー提督率いる反乱軍宇宙艦隊がデススターに到着
⚫反乱軍宇宙艦隊と帝国軍艦隊が戦闘状態へ突入
⚫反乱軍地上部隊と帝国のシールド発生装置防衛部隊が戦闘状態へ突入
⚫反乱軍地上部隊、シールド発生装置の破壊に成功。デススターのシールド消失
⚫反乱軍宇宙艦隊からランドー・カルリジアン率いる突撃部隊がデススター内部に進入
⚫反乱軍宇宙艦隊、帝国軍旗艦エグゼキューターを撃墜し帝国宇宙軍に勝利
⚫突撃部隊、デススターのメイン反応炉の破壊に成功
⚫デススター消滅、反乱軍完全勝利
と、こんな具合になる。一方その裏でルークはベイダー卿の右腕を切り落とし、最終的には見事デススターの爆発前に脱出に成功している。ここで注目したいのは別にルークがデススターでベイダーと戦わなくとも反乱軍は帝国軍に勝利していただろうということだ。昔は漠然と「ルークは帝国のトップと直接対決」「他の皆は下っ端を全部片付けてくれた」と分けて考えていたがそうでもない。皇帝は戦闘が始まる前から完全に勝利を確信していた。相当終盤になっても「まだ大丈夫やで」とばかりに余裕綽々でデススターに居座って戦いを傍観していた。あれでは恐らくベイダーが殺さなくてもデススターの爆破に巻き込まれていたと思う。誰も「思ったよりヤバイです。」といった報告には来なかった。宇宙艦隊がやられてもデススターの力を盲信していた所から察するに戦況をみてデススターから逃げたりはしなかっただろう。というか、逃げようとしたところをルークが止めたりしたわけじゃないし。ベイダーも皇帝に言われるがままデススターで最期を迎えたことと思う。反乱軍の艦隊が勝てばルークがいなくても帝国を滅亡させることに成功したはず。そういう意味でルークは「何もしなかった」のだ。
 戦争で何もしていない人間をあれだけ描写する必要があるのは彼が「スカイウォーカー家の運命に決着をつけた」からである。格好よく言ったが彼は父子の因縁を晴らしたのだ。親子喧嘩という極めて個人的な思惑で以て戦った。それについても徹底的で、ルークは父であるベイダーこそ破りはしたが皇帝とは戦うことすらしていない。彼の最大の功績は「ダークサイドに落ちず、父親の魂を救ったこと」である。やはり物語というものにおいて「主人公の親子関係」は「銀河の運命」と同等かそれ以上の重要度を有する。スターウォーズで最も重要なのはスカイウォーカーという血の背負う宿命なんですよ、そしてついにスカイウォーカーはフォースにバランスをもたらしたんですよ、ということが明確に示されている良い展開だと思う。
 『スターウォーズ』を観ていればこのように「スカイウォーカー家」にこだわった描写はざらであり、内面の描写が甘いと言われればそれまでだが、忘れがちになりながらもきちんと根幹は「スカイウォーカーの物語」であった。
現在進行している新シリーズではそれが変わりつつあるというのが今回の主題であるのだが、前置きが長すぎる。前後編に分け、後編ではいよいよ『最後のジェダイ』で製作者が意図した「スターウォーズの変革」について書いていきたいと思う。さよなら。

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