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ちいさなせかい

私は本が好きだ。
だから好きな本について語り合う時間もとっても好きだ。

じぶんのバイブル本や好きな本を教え合う、
またはこれおすすめだよ、と本をおすすめする行為。
なんとも言い難い、私の大好きな行為だ。

先日、一緒に食事をした私の友達のA子ちゃんが、「久しぶりに会った男の子からね、本をおすすめしてもらったんだ」と話してくれた。
なんだかロマンチックだなぁ、と思っていたら、
そんな私も後日、そのA子ちゃんとほとんど
おんなじようなシチュエーションになった。

元バイト先の男の子と、初めて2人きりで食事をした。
たしかドラマの話から、気づいたらお互い
好きな作家について話していた。
もちろんそのまま好きな本の話しで盛り上がり、本をおすすめし合った。
(私はそんなに言えなかったが。)


俺はやっぱりドラマもいいけど、本で読む池井戸さんもおすすめだな
なるほど、読んだことないから読んでみるわ
私は君の膵臓をたべたいかな〜ぜひ読んでほしい


的な話しで盛り上がった。


本好きによる本のすすめは、私に絶大な効果をもたらす。

私はちょろい人間なので、人として良いと思った人から教えてもらって、興味の持った本はすぐに読みたくなる。


読んでいると1つ1つの描写が気になって浮かんでくる。


ここの描写をあなたはどう思ったのだろう。
この景色をあなたはどう取ったのだろう。


すぐに聞いてみたくなる。
答え合わせしてみたくなる。

そんなことが本を読みながらときどきチラついてくる。

不愉快さというよりちょっと面倒で、でもなぜかニヤついてしまう、そんな人間関係の良さを
私はそこに感じる。


あなたがどう思おうと、私がどう思おうと、誰がどう思おうと、どう捉えようと
そこに正解なんてない。
と思う。

「あーいまそこなのね、サッカー部から陸上をやってみるんだよね」とかそんなただの事実、
小さすぎる事実も、その本を知らない人とはそんな風には話せない。

「「君の膵臓をたべたい」って言葉にさ、2人の恋人じゃないし友達でもない、「特別な関係」ってのがチラッと見えるのが好きなんだよね〜」
とか。読んでちいさく思ったことも、その本を知らない人とはそんな風にはきっと話せない。

この大きな世界でちいさく共有される、ちいさな世界みたいだ。
きっと私は人によって違う感想を
聴き合う、知り合う
この作業が好きなのだ。


ある本にこんなことが書かれていた、

みんなが知っている本でも人によって感想が全く異なって、それがまた面白いと。


なるほど、そうなのかと思った。
本は読むためじゃなく、共有するためにあるのかもしれないと思った。
そしてそれは本だけじゃないのかもしれない。
身近にたくさん溢れているのかもしれないとも思った。


ちいさなせかい
優月

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