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なぜ、女子はこじらせるのか

こじらせ女子ーー彼女たちが「発見」されて久しい。雨宮まみさんの著書「女子をこじらせて」が発売されたのは2011年。その存在は、80年代に中森明夫さんによって発見された「おたく」のように、ある程度一般化されてきたようにも感じる。

こじらせ女子は2010年代において「発見」された

ある文化的種族は、潜在的に存在しているにもかかわらず、名づけられないと認識されない。「こういう人クラスに一人はいるよね~」という名もなき存在である。しかし、その存在は名付けられることによって、「発見」され「定着」していく。たとえば「おたく」や「メンヘラ」「サブカル」など命名されることによって、私たちはイメージを共有してきた。言葉とは元来そういうものだろう。

文化的種族は人種や宗教のように絶対的なものではない。それはおうおうにして社会要因によって生まれるものだろう。たとえば、戦前に「おたく」は存在しえなかった。それは紛れもなく消費社会が花開き、娯楽産業の充実、そしてその人口が一定の割合を超えたからこそ生まれたものだと思う。

さて、こじらせ女子は先述のとおり2011年に発見された。おそらくそこにも何か必然性があるはずだ。

女子界ヒエラルキーでの挫折

●ヒエラルキーの誕生

戦後、60年代には学生運動が起こり、70年代はその反動でシラケ。80年代は消費文化が咲き乱れたバブル時代。90年代には終末論。もちろん一部でしかないけれど、こう見ると10年区切りで年代を見るとそれぞれの「時代」の特徴がわかる。

ゼロ年代は、キャラ化が一般化した10年だと言われている。それぞれ場の空気によって暗黙的に圧力配分された「キャラ」を付与され、そのロールを演じてコミュニケーションをとる時代である。ここで普及したのがヒエラルキーの概念だ。

その代表例がスクールカーストだろう。映画「桐島、部活やめるってよ」などでも描かれているので想像に易いだろう。上位の者は華やかな生活を送り、下層の者を(無意識下においても)制圧する。もちろん80年代においても「ネアカ」「ネクラ」というような差別化がなされたが、もう少しシビアなのだ。だってカーストなのだから。

それは時にネットの世界をとおして可視化される。たとえば学校裏サイトやFacebookのポスト、最悪な場合はLINEいじめに発展する。

●女子界におけるヒエラルキー

女性性とは、一般的に社会によって作られる「女性はこうあるべきだ」といったイメージである。ジェンダーの固定観念は古いと思うかもしれない。しかし、「女子力」という単語が日々飛び交うとおり、現役バリバリに蔓延っている観念である。もちろんイメージは時代によって変貌するだろうが、根幹はなかなか変わらない。たとえば戦後初の女性誌「それいゆ」のコンセプトは「清く正しく美しく」というようなものである。特筆すべきは、この雑誌を作っているのが男性なところだろうか。 まぁそれだけでなく、明治以降の近代化における高等教育から、女はずっと良妻賢母になるべく教育を受けてきた。現在では男女平等の下教育がなされるが、刷り込まれたイメージは抜けることがない。

生物学的に見ても、メスのミッションは子供を生むことだろう。もちろん人生のゴールは人それぞれ異なる。しかし、女性における人生のレールは「結婚」「出産」をベースに敷かれているのが現実である。ゆえに女性はまず「男に選ばれなければならない」。そのために男性に作られた「女性性」をまっとうすることが、女性にとって上手い生き方ということになる。そして、この女性性のほとんどが、可憐・しおらしい・端正な顔立ち…といった表層的(ハードウェア的)なものだ。また良妻賢母を彷彿とさせるものであり、その前提として性の対象になるものでもある。それは今の時代だって変わらない。

そのため、女性性を表現できる女は「女子界」において優位になる。たとえそれが無意識であろうとも。これを実践できない女性たちは「自分は女としてダメなんだ」という自意識を持つのである。これは徐々に総合的な「自信のなさ」に繋がっていく。

女として選ばれないのであるならば、自分の価値は別のところに作らねばならない。ハード面がダメならば、ソフト面を高めていけば自分は認められるのかもしれない。ヒエラルキー下層の女子たちは、そんな淡い期待を持って、教養を身に付けたり、ユーモアのセンスを磨いたりしていく…。一方で男性によって決めつけられた「女性性」に対し、ある種の憤りも覚えている。どうして自分の価値が決めつけられなきゃいけないんだと。そのためか、こじらせ女子には自立に対する強い意識がある。まさに「こじれ」である。

これらの理由から、高学歴女子や文化系女子は「こじらせている」ことが多い。とりわけ文化系女子たちが「恋より楽しいものがある」として映画や文学に耽溺するのは、女性性に対するねじれた感情が起因するように思えてならない。本来は恋なんて自然にするものだが、自ら拒否してしまうのだ。なぜなら自分が選ばれないと思っているから。

男女平等という建前と現実のはざまで

私たちは学校教育の中で、あるいは社会の中で「男女平等」だと教え込まれる。それゆえ、女子も学歴という勲章を手に入れるため勉学に励む。その理由は良質な結婚相手を探すためではない。自立するためである。もちろん、前者のような思考をする女性もいるだろうが、そうは思えない強い自立志向を持った女性が「こじらせ女子」になることが多い。これは学歴だけでなく、「男女の能力」を対等に扱われるさまざまな分野において見られる。男女平等の理想をもとに猛進する女性はだいたい「こじれる」傾向が強い。

なぜか?

それは、「男女平等」という概念が「建前」でしかないからだ。悲しいかな実際の社会は、男性優位の構造がいまだに堅く残っている。

女性性を挫折した女性は、女として自分を認めてもらうことを諦める。そのため「自分の能力」や「社会的立場」によって自己承認欲求を満たそうとするのだ。ゆえに彼女たちのソフト面に対する執着はすさまじい。何を犠牲にしてでもそこで承認を得たい。そうでなければ自分が存在している意味がないから。彼女たちは必死にコンテンツとしての自分を磨いていく。

身を粉にした努力の結果、彼女たちはそれなりの実績を残す。しかし、男性優位の社会構造という名の壁にぶちあたったり、「女性の幸せ=結婚→出産→育児」というレールの圧力がかかる。どんなに一生懸命自立しようと努力しても、「結婚しなさいよ」で一蹴されてしまうのだ。それは親や友人、そして社会からも。努力には犠牲がつきものだ。我慢したものが多ければ多いほど、劣等感は増す。涙の数だけ、コンプレックスが強くなるのだ。

「残念」というキャラの使いやすさ

先述したとおり、ゼロ年代以降は「キャラ」が前提のコミュニケーションがベースとなる。キャラを演じているからこそ「本当の私」にこだわって「自分探し」に夢中になる人も多い。

ネットが普及したゼロ年代後半から、ある要素が意味変貌を遂げ、それが2010年代の今、一般化しつつある。それこそが「残念」である。

ゼロ年代後半に、「負け美女」や「残念なイケメン」といった「マイナスとプラスの要素を掛け合わせた呼称」が多く生まれた。これらの特徴は、長所と短所が結びついて、どちらかを消すことはなく全体として長所に置き換わる点だ。この件に関しては、さやわかさんの著書「一〇年代文化論」に記載してある。

残念という短所によって、くっきりとキャラ立ちできるようになった。これが、ゼロ年代後半から現在への流れだと解釈している。

このような潮流の中で、「残念」という要素自体がどんどんポジティブな意味合いになってきた。マイナス面にこそ人間性が表れるし、それでいてツッコミどころにもなるからだ。ツッコむ余地がないキャラは、空気的に使いづらい。みんな、なめらかなコミュニケーションがとりたいのだ。

そして発見されたのが「こじらせ女子」だと思う。彼女たちは、女性として残念だ。ゆえにコンテンツ力を伸ばしていくことに執心している。心のどこかでコンテンツとしての自分はニーズがあるかもしれないと思っているわけだ。そこで最も効率的に彼女たちの承認欲求を満たす手段として「自虐ネタ」があがってくる。自分の残念さを嘲笑することで、場に笑いをもたらし、カタルシスと自分の存在意義を見出すのだ。ただ、度が過ぎて疎まれることもあるのだが、当人たちはピエロ的役割をまっとうしたことで安堵することが多い。逆に笑いが取れないと、自分の存在価値がないのではないかと極度の不安にさいなまれる。

コンテンツとしての独自性を売りにしたい彼女たちにとって「こじらせ女子」という呼称はシェルターたりえるものとなった。加えて「こじらせ女子」としてメディアに紹介される女性たちは才能豊かだ。それは類稀なる才能と努力によって確立された才色である。まぁつまりよく見えるため、自分も彼女たち同様に創造性があるのかも…と微かな希望を見出してしまう。さらに「こじらせ女子」を扱う物語も散見されるようになった。これらの物語は、たいてい男性と結ばれ「君はそのままでいいんだよ」という話で終わる。これこそ彼女たちが夢見るシンデレラストーリーであり、また矛盾でもある。そう、なんだかんだ「選ばれたい」…もっと言うと「連れ出してほしい」のだ。そんなエゴに蓋をして、どこか時代感あるコンテンツのプライドだけを確立していく。

外部圧力によって劣等感をこじらせ、その受け皿として「こじらせ女子」は機能する。「何者でもない私」に役割を与えたとも言えるだろう。そう、彼女たちは自意識によって自らを陥れ、そして自身の手でこじらせ女子としての生き方を選んだのだ。2010年代という時代の中で。

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