嘉島唯

BuzzFeed Japanというメディアで働いていますが、ケイクスで連載も書かせてもらってます。noteでは100%個人の見解を書いています。

大切な人を亡くしたときに

家族を失って立ち直れないという話を聞くようになった。

よく書いているが、私は9歳の時に母をがんで亡くした。幼い頃から、従姉妹、祖父母、友人など、なぜか人を弔うことが多い。2年前も大切な人を亡くし、その時はさすがに死んでしまおうかと考えた。とはいえ父はまだ存命で、自らの人生を不幸だとは思わない。

死別は人が生きていく上で経験するかなり大きな絶望だ。回数を重ねれば慣れるものでもなく、精神が強くなる

もっとみる

駄目だとわかっていても、誰かに期待してしまうのは何故なのか

深夜のLINEはなぜかいろいろ話したくなってしまう。私だけだろうか?

そういう好奇心から一度やってみたかったLINE風のコンテンツ。使ったのはTalk Makerだ。時間、間、吹き出しの長さ。それによって全然意味合いが違ってくる。

10年くらい前は声をかけられる時「携帯の番号教えて」だった。けれど、今は「LINE教えて」になった。他にもSNSはあるのに、選べれるのはLINEなのだ。友人に「なん

もっとみる

蟻を殺した感触

小学1年生の頃だったと思う。ランドセルを背負って通学路を歩く昼下がり、目の端に違和感を覚えた。

好奇心と不安に駆られて近づいてみると、鳥の雛の死骸とそれに群がる蟻の集団があった。

雛を見た瞬間、すでにそれは肉の塊になっているとわかった。毛もまばらな赤い肉。そして黒い小さな点がハイエナのようにたかっていた。

よく晴れた日だった。緑が風で揺れ、日差しがコンクリートの地面を照らしていた。平和

もっとみる

忙しさの功罪

最近、文章が書けない。ライターや記者という仕事をしているにも関わらず、書くことが怖くなる。

不特定多数が目を通すし、結果も求められる。不意に誰かを傷つけてしまうこともあるし、自分より優れた書き手もたくさんいる。不安要素はあげればキリがないけれど、今抱えている問題は少し違う。

「自分ごときがインタビューなどをして良いのだろうか? 文章など書いてよいのだろうか?」という不安が日々積もり、それが

もっとみる

エッセイとコラムのちがい

「エッセイって、なんの意味があるんですかね?」

白いお皿にのった鶏肉にナイフをいれながら質問する。テーブルクロスの先に座っているのは、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の教授を務める柳瀬博一さんだ。

柳瀬さんは編集者として、矢沢永吉の『アー・ユー・ハッピー?』や『小倉昌男 経営学』、『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などヒット作を数多く作ってきた日経BP社の名物編集者だった。

東工大で教鞭をと

もっとみる

母はきっと、ちょっぴり死にたかった

患者が望む最後と、家族が望む最後は違う。患者は苦しみたくないが、家族は悲しみたくないのだ、意見が一致するわけない。そして医師が尊重するのは、家族が望む最後なのだ。

がんを患いながら、その生活を綴る写真家、幡野広志さんのnoteが話題だ。

闘病生活を送っている最中、肺炎を患った。死んでしまうかもしれないという状況で、幡野さんは安楽死について考えている。決して「死にたい」と切望しているわけではな

もっとみる