確率の世界から part1

僕たちは確率の世界に生きている。正確にいうならば、確率の世界に踏み出している、というべきか。

水は低きに流れるし、太陽は東から昇る。ニュートンがリンゴが落ちるのを目の当たりにして万有引力というすべての存在を縛る法則を発見して以来、世界は例外の存在しない法則の世界に生きてきた。

当然、量子論を持ち出すまでもなく、そんなことは間違っているのだけれど、今、世界は例外があるという基準から、すでに解き放たれようとしているようだ。

AIという言葉だけが一人歩きをして、あちらこちらでただのブームとして扱われているのだけれど、ここで、最も重要なことは、「彼ら」は学習するということだ。ある法則=アルゴリズムに従い、ただ、タスクをこなし続けるプログラムではない。もちろん、彼らとてプログラムではあるのだれど、一つだけ根底に流れている思想が決定的に異なっていた。それは、間違いを許容するということだ。

あるルールに基づいてデータを処理し、自身のプログラム(というより係数をひたすらアップデートしていくものだけれど、それによって出来上がるモデルは、決して100%正しいことはない。そこには冷徹な確率の法則によって、最も確からしい結果がでてくるだけ。そう、AIは自身が間違っているという前提に立って設計されているのだ。

しかし間違っているからと言って、それは決して役に立たないということでは全くない。あくまで確率的に間違っているということだ。よく、リスクがあるという言葉を耳にするけれど、リスクがあるからと言って(それだけの理由で)忌避する理由にはならないのに少し似ている。つまりは期待値を考えていないのだ。

例えば、コインを投げ、裏と表を当てるゲームをするとしよう。あなたは二つのルールを選択することができる。一つは、当てようが当てまいが、確実に100万円もらえるというルール。もう一つが、当てることができれば、300万円もらえるが、間違えてしまった場合、100万円支払わなければならないというものだ。(もちろんコインの裏表が出る確率はそれぞれ等しく50%だ。)

この二つのルールを自由に選べる時、多くの人はなぜか、前者。つまり100万円を確実に得られる方を選ぶ傾向にあるらしい。それは後者のルールには100万円を逆に支払わなければならないリスクがあるからだ。

しかしよく考えて欲しい。もしルール2の場合、当てることができればルール1の3倍の300万円を手にすることができるのだ。これは、一概に100万円払う「可能性」があるというだけで、判断して良いものなのだろうか。

ほとんどの方はお分かりだろうが、二つのルールで得られる確率が最も高い金額は実は変わらず100万円なのだ。

つまりルール1とルール2は確率的にどちらを選んでも同じということになってしまう。(もちろん分散という意味では、ボラティリティという意味では、全く間違いだけれど。)

そこで話は戻るけれど、AIはある意味でリスクを許容している。自分が間違っているという前提に立っているからこそ、最も確率の高い方法をただ選んでいるだけなのだ。

part2へつづく





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