日記より5-16「秋の寝不足」(続き)

     日記より5-16「秋の寝不足」(続き)    H夕闇

 近頃ベンチの下の小川へ毎朝のように軽鴨(かるがも)が訪れる。一羽きりのことも有るが、(番(つが)いなのか、)二羽の場合いも、更に大勢の時も有る。春に産まれた雛(ひな)たちは成長し、どれが親だか子だか見分けが付かない。かれらが持つ(所有する)のは家族だけ。それだって軈(やが)て子は巣立つだろうし、夫婦も(種類に依(よ)っては)一夏限りという事も有るらしい。安んじて営んだ巣も、子育てが終われば捨てられるとか。餌(えさ)だって、見付け次第(しだい)に喰(く)い付(つ)くばかりで、蓄える知恵は(りす等と違って)無い。
 ここへ群れ来る鯉(こい)なども、どれが家族やら。群れてい乍(なが)ら、それぞれ互いに孤立している場合いも多いようだ。卵から孵(かえ)って気が付いたら群生していた、ということなのだろうから、親も兄弟も無いのだろう。そこに情愛などは無さそうだ。最低限の愛着なら、どうだろう。
 所有物どころか、野生動物に終(つい)の棲(す)み家(か)は無く、睦(むつ)み合う妻子も(多くは)仮り初めらしい。無一物などと言うと、物欲を排して煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)した仙人のようだが、それなら鳥や魚は巧(たく)まずして老荘の生(い)き様(ざま)である。もしかしたら、僕らは自然界の生き物から学ぶべき事柄が多いのかも知(し)れない。
 どうして人は物を欲(ほ)しがるのだろう。自分の所有としなくても(己(おのれ)の思い通りに出来(でき)なくても)有るが侭(まま)を遠くから眺(なが)めて居(い)られたら、それで充分ではないのだろうか。
 例えば「高嶺の花」と云(い)う。とても手が届かぬ高い所に咲いて、折り取ることは出来ないが、そおっと下から愛(め)でることは出来る。それで良し、とする美意識を持っても良いのじゃないか。陶淵明の「悠然として南山を見る。」(「飲酒」その五)といった境地だ。(もう一歩を進めて、東籬(とうり)の下で菊を採(と)らずに、無為(むい)自然に咲くのを眺(なが)める方が良い、と僕は思うのだが。)
 只、自身は良しとしても、良しとしない者が現れて、そいつが崖を攀(よ)じ登って横取りしそうな事態が懸念されるとしたら、、、その心配は大いに同感する。それを思うと、確かに今の内サッサと手に入れてしまいたいだろう、とは納得(なっとく)する。
 でも、そうなったら、それが互いの運命だった、縁が無かったのだ、とする諦観の姿勢も爽(さわ)やかだ。(但し、そういう審美眼を己(おのれ)の生き方として選ぶか否(いな)かは、別問題であるが。前のめりの死に様を潔(いさぎよ)しとする行動主義(プラグマティズム)も有る。更に然(しか)し、)そうして別々の人生を歩んだ者同士が、例えば老いて邂逅(かいこう)したとして、そこに交わされる会話は清らかだろう。そんな文学を僕は物したい。

 嘗(かつ)て働き者の蟻(あり)が讃(たた)えられ、きりぎりすは怠(なま)け者として蔑(さげす)まれた。日本的な勤勉の価値観では、尚更そうだった。野球少年の間でも、天才N砲よりも、努力のO砲の方が人気が有ったようだ。だが、近年そうした考え方が軌道修正されつつあるような気がする。あくせく頑張(がんば)って一財産を作った所(ところ)で、それを有意義に使ってユックリ味わう余裕を欠いた人生の虚(むな)しさに、高度経済成長後の日本人は気付いたのだ。
 そして振り子が大きく振れ、若者に無気力や無関心や無責任が蔓延(まんえん)した。戦後その最初の世代が僕らだった。「白(しら)ける」という流行語が出来た。そういう思いを僕らに抱かせたのは、父たち戦後の焼け跡から歯を喰(く)い縛(しば)って復興を成し遂げた猛烈社員たちの姿だった。
 語るべき事柄を(幸か不幸か)胸いっぱいに抱えつつ寡黙な「戦中派」に対して、語るべき何者も無い「戦争を知らない子供たち」は、恵まれ過ぎて不幸に陥(おちい)った。信じられる何者かを求めて、僕は沖縄や北海道へ渡ったが、浅間山荘や北朝鮮へ向かった党派(セクト)も有った。かれらの事件後の人生行路を辿(たど)る作品も(同時代人として)書いてみたい。
 今や振り子は「ゆとり世代」にも訪れ、然(しか)も右左から同時に来て「多様性」の波となった。分断どころか、混沌(カオス)の時代である。文学は取り留めの無い侭の日常性を描くしか有るまい。
 僕は今の所は小説を書いていないから小説家ではないが、(漱石の「草枕」流に云うと)文学者ではある。

 きのうの昼食は、七北田川の畔(ほとり)の公園でパンを齧(かじ)った。墓前に供えた茶の残りも、清貧の味がして涼やかだ。澄んだ晴天に浮かぶ白い綿雲、風の凪(な)いだ穏やかな日射しの下、とんぼが群れ飛び、羽が光る。そう言えば、(いつの間にか、)燕(つばめ)の飛ぶのを見なくなった。時折り叢(くさむら)から虫の音など耳にし乍ら、河畔の自転車道(サイクリング・ロード)をノンビリ帰って来た。
 一休みした後、下の座敷きで本を開く。ゴロンと寝転がって、もし眠気が差したら、その侭パタリと畳(たた)みの上に本を閉じて昼寝しても良い。きっと心地(ここち)良いだろうに、(非常な早起きだった本日も試(こころ)みたが、同様に)駄目(だめ)だった。
 目が冴(さ)えたら、それは眠りが(充分ではないまでも)一定程度は足りたということだろう。もし後で眠くなったら、その時に寝れば良い。社会化や文明の殻(シェルター)に閉(と)じ籠(こ)もる僕らも(野鳥や川魚や草木ほどではないにしても、)やはり自然環境の中で(影響を受けつつ)生きている。
 日(ひ)溜(だ)まりの午睡に金木犀(きんもくせい)の香りが漂ったら、言うこと無しなのだが、先週の台風十四号崩(くず)れの低気圧の後、庭に面したガラス戸を開け放っても、パッタリ匂わなくなった。一週間程あの嗅覚を味わい乍らの本読みは、えも言われなかった。又、妻が(嘗(かつ)ては祖母が)くるみを煎(い)る臭いも、秋の香りである。
 未練がましいから、戸を閉め、風鈴も片付けた。裏の土手から種が飛んだのか、秋桜(コスモス)が二輪。雨の時は根元から大きく撓(しな)ってハラハラしたが、今は持ち直し、屹立(きつりつ)する姿が良い。
 ウッド・デッキ脇のプランター、末娘が巣立つ前に植え、年毎(ごと)に種が零(こぼ)れて、花が咲く。だが、年々その花が小ぶりになり、数も減って、この夏は十ばかり咲いたろうか。    (日記より)

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