阪神大震災

     日記より26-20(2-31)「阪神大震災」     H夕闇
                平成七年一月二十四日 火曜
 日本中を震撼(しんかん)させるニュースが走って、既に一週間。この間、僕は家に居(い)る限りはテレビに齧(かじ)りついていた。
 一年前に米国カリフォルニア州ロス・アンジェルス市の高架ハイ・ウエイが地震で陥没した時、日本ではこのような事は絶対に起こらないと、何人もの学識経験者が口を揃(そろ)えたが、正(まさ)しくそのような事が実際に起こったのだ。
 巨大な橋脚が脆(もろ)くも折れて、高架鉄道や高速道路が延々と横倒しになった映像は、先端技術の神話を崩壊させた。大型バスや電車が宙釣りになり、近代的な高層ビルがたわいもなく達磨(だるま)落としになった光景が、兵庫県南部から都市直下型地震の恐ろしさを伝えて来た。
 神戸市内のあちこちで無数に火の手が上がった下界では、家屋の崩壊で消防車が火災現場へ近付けず、断水のため消火作業ができなかったそうだ。それにしても、地獄絵のような都市火災を百万ドルの夜景さながらに上空から中継するテレビ局のヘリコプターが自在に飛び回っていた割りには、消化剤を散布したり逃げ遅れた人を救助したりする消防署のヘリが全く姿を見せなかったのは、一体(いったい)なぜだろう。
 それらの画面は、テレビというマス・メディアならではの迫真の報道であり、マス・コミ活動の大成功と云(い)えよう。しかし、僕が朝起きるとから翌未明までテレビに齧りついていたのは、そのためばかりではない。

 初め僕は、デマ・パニック・略奪とまでは行かないまでも、避難所の食糧配布に於(お)ける利己的な行為とか、人々の争い、いや、そもそも食べ物が無くて餓死者が続出するとかいった事態を予想した。しかし、早い所では当日の内に炊き出しが始まり、感謝の言葉が放送された。そして、大根一本を千円で買わされたといった醜い話しよりも、崩れた店の前で商売物を無料で配る店主の事の方が、圧倒的に多く聞かれた。隣に住む人の顔も互いに知らない都会人は、我勝ちに先を争って逃げたのかと思いきや、男たちが協力してマンション中の住民を助け出して回ったというエピソードも、多々伝わった。
 負傷者の手当てに尽力する医者、看護婦、瓦礫(がれき)の中から人命救助に奮闘する消防士、自衛隊、警察官、、、、、この人たちの多くは自分自身も被災者なのだ。家が壊れ、家族の事が心配だろうに、個人的な事情を後回しにして職務に献身する姿には、全く頭が下がる。
 救援物資が全国各地から大量に届いたは良いが、それを運搬し分配する行政当局の危機管理システムとリーダー・シップが充分に機能していない、と批判する有識者の声も有るが、体制の問題はともかく、市の職員も一人一人としては懸命な様子だ。ガス・水道は未だだけれども、電気は一週間でほぼ復旧しつつあると言う。電柱がバタバタ倒れていた風景を思い出すと、関係者の昼夜兼行の努力が偲(しの)ばれる。地震で途方もなく沢山(たくさん)の物が壊れた以上、ごみが大量に出て、収集作業員の苦労はこれからも続くだろう、、、、。
 他にもインタビュー等で取り上げられなかった多くの陰の力が、今の阪神地方を支えているのだろう。僕はそうした火事場の人間模様にこそ心を引かれる。

 しかし、それにも増して僕の目を捉えたのは、高校生など若者を中心としたボランティアの活動だった。近隣地域から自発的に駆け付けて来た人たちや、被災者自身が援助ばかりを当てにしてはいられないと立ち上がった人々の中に、子供まで含む若い連中が多かった。
 ファミ・コンばかりしていて無気力で身勝手な青年像が、僕の中でこの一週間の内に急激に崩れた。この若者たちが次ぎの世代を背負っていると考えると、心強い。この激甚災害の無秩序の中で、社会組織と管理が崩壊した中で、かれらは知恵と勇気と行動力とを十全に発揮できる場を発見したのだ。              果たして今この子たちは幸福でないだろうか。災い転じて福となす若いエネルギー。
 避難民にごみの出し方などを知らせる新聞を印刷したのは、小学生だったと聞く。交通渋滞を横目に自転車で連絡に走り回る若い人たち、「何の特技も無い私には、老人の傍に座って話し相手になる位(くらい)の事しかできませんが。」と語る娘さん、等々。
 その若い生き生きした姿は、それぞれに自分の能力でできる仕事を自主的に捜し出して、水を得た魚のようだ。

 僕は常々疑問に思う。親の世代から永く続く平和の中で、世界一の物的恩恵に浴しつつ、大した願いも無く日々を無為に浪費している子供たちは、例えば発展途上国の貧困の中で育ち、家族や国家のために立身出世と社会貢献に志す青年と比べてみて、より幸せだと一体言えるだろうか。
 同じ理屈。恵まれ過ぎて不幸に陥(おちい)っている現代日本の青年層の中で――不謹慎な言い方を許してもらえば――阪神地区の若者たちは思わぬ幸運を手に入れたのだとは言えまいか。「若い頃の苦労は、買ってでも、しろ。」若い日の原体験が、この子たちを逞(たくま)しく成長させるだろう。そう考えて強く生きてほしい。千人を越える死者の代価は余りに高く付いたけれども。        六             
(日記より)

 
 再び同じ理屈で、君たちの中に受験で失敗する人が出ても、担任は同情しない。自業自得の場合に限らない。一生懸命に努力した諸君に対しても、である。人生、何が幸か不幸か、一見した所では定め難いと思うからである。望みを捨てず、一晩泣いた翌朝は、もう一度立ち上がってほしい。健闘を願う。
 人間 万事 塞翁(さいおう)が馬――この故事成語の意味を調べよ。                                                               (担任より)

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