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カラオケ番組がアスリートボーカリスト主義者を生み出す

「おい!コラァ!!カラオケや!!!!はよ開けんかいコラァァ!!!」

カラオケがやってきた。
ものすごい威圧だ。

僕とカラオケ君とは昔からの仲だ。
ただ彼は変わってしまった
昔は楽しい奴だった
みんなでワイワイ騒いでいる中にいつも盛り上げ役として欠かせない奴だった

なのに今は、ムスッとして、人にやたらと点数をつける


なんだこの茶番はぁぁぁぁ!!!??


なぜ文の始まりを劇にしてしまったのか
収拾がつかなくなるのをわからないもんかね!
昨日の夜の俺はさ!!(文筆2日目)


あぁそうさ、カラオケ
カラオケ番組

ちょっとハードルが上がりすぎてないか???


誤解しないでいただきたいのは
あれ自体に関しては一つのエンターテイメントとして
とても面白いと思うし、実際たまに見る

ただそれが増えると大変だ

若者一人の街頭インタビュー1つで世の中が決まってしまうような世の中
メディアの提案するエンターテイメントが流行りとなり
血となり涙となり灰となってまた新しいエンターテイメントのための肥料となる

それでさ、それがさ!
数が多くなるとさ
それが当たり前になる世の中じゃない?

最近のカラオケ番組の主流といえば
「いかに点数がとれるか」
だと思う。ズレてないよね?俺。そうだよね?

そうなると歌う側のハードルが上がっていく
ハードルが上がると、緊張が増す
緊張をすると吐き気がする
吐き気がすると吐く
吐く時に支える桶がいるな

桶屋が儲かる。


なんだこの茶番はぁぁぁぁ!!!??



近年の精密採点で、歌う側の正確性が求められる

それを楽々と、時に苦戦しながらもクリアしていく姿を映し出すメディア
それを見た視聴者は
「やっぱ歌手ってすげぇなぁ!!!歌うまいってこういうことやな!!!」となる


いや、待てと


確かにね、正確性があって、安定性のある歌声
これは申し分ない、「歌うまい」というレッテルは貼れますよ
私(あたくし)もね?聴いてれば「うまい!!」って思いますよ

でも、待てと!

「歌が上手い」ってそれだけじゃないじゃん
オリジナルのメロディからアレンジして歌う
それも音楽で、同時に「歌」っていうのもあるし
ピッチから少し外れても(半音までずれちゃうとあれだけど)
それは味だし

歌が上手いって「正確だから」っていう理由一辺倒はおかしな話だと思うんです

まぁそれにしても
カラオケってさ、あれ悪い意味でも「音程があってりゃいい」んですよ
適当に「ウェdslぐはうぃぐふぉ;さfg」とか歌ってても
音程が合ってりゃ一応点になるんですよ

それって「歌が上手い」に入りますか?と

まぁそれは、極端な話になっちゃうけど

音楽の本質忘れないでほしいねんって!(東京出身)


聴いて「良い」と思えばそれでいい!!

その純粋な気持ちを
あの精密採点のバーが「上手さを可視化」しちゃうと

「あれが合っていないと違う」という考えを持ってしまう人が
少なからず出てきてしまう
歌手なら90点出して当然!
ピッチ合わせろ!
正確に歌え!は
もうロボットじゃない

心なんだよ
ダッセェけど
心がいっちゃん大事やん?(東京出身)


そのような正確性を狙って点数で競い出すと
いよいよ歌手はアスリートであるべきという風潮が強まってしまう

勘違いしてほしくないのは、「そういう歌手がいてもいい」とは思っていることだ
そんなストイックな歌手が存在している音楽界もそれで愛おしい

それがメディアによって主流になっていくこと
音楽の楽しみ方が一辺倒になっていくのに吐き気がするのだ
吐き気がする
嘔吐する
受ける桶が必要になる
桶屋が儲かる


なんだこの茶番はぁぁぁぁ!!!??



カラオケ番組も一つのエンターテイメントとして
面白いところもあるが、それの酷使と
それを見る視聴者側の歌手というものの定義の甘さ
は、注意してほしいものだ。


(この記事では肯定も反対もなんでも意見を受けつけております
いろんな価値観を共存、対立させていきましょう)

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