コレだけは譲れない、AI画像時代の写真のあり方
AI技術の進歩により、綺麗な画像を容易に生成できる時代になりました。最近では、写真コンテストの受賞作品がAI画像であった、というようなニュースも出てきました。最近のAI画像はどのくらすごいのか?
コレはAdobeのFirefly(ベータ版)で生成した猫の画像(写真風)です。注釈がなければ、写真と見間違えてしまうかもしれません。このような画像を簡単に作ることができる今、写真はその役割を終えようとしているのでしょうか。
写真とAI画像の違いは自分の中にある
突然ですが、少々お付き合いください。
まず、過去に自分の撮った写真を見てください。旅行の写真でもいいし、過去に食べた料理の写真でもいい。何でも構いません。
準備できましたか?
ではお聞きします。
「皆さんは何を考えましたか?」
「上手く撮れていないな。この写真は綺麗に撮れているな。」
と、そのようなことを思うのでしょうか?
旅行の写真を例に考えてみましょう。
沖縄に行き、海の写真を撮ったとします。
その写真を見たときに、何を思うのか。
私ならこう思います。
「海が綺麗だったな」
写真そのものの良し悪しではなく、その時の体験が頭の中で蘇るのだ。
旅行の例を上げましたが、単なる猫写真ではどうか?
第三者、つまりあなたが写真を見る場合は、写真とAI画像に違いはない。しかし、視点を自分にした場合は、どうか。
私の回答は、「私の撮った写真とAI生成画像は違う」になる。
違いはやはり体験そのものだ。
「散歩中に撮ったな。最初こちらを警戒していて、中々近づけなかったな。最後は、近くによってくるようになったな。」
そんなことを思い出すのだ。
たかが一枚の写真。だが、その前後には必ずストーリーがある。それも、あなた自身が体験し、心が動いた瞬間だ。
コレだけは、AIには真似できない。
写真を撮ることの意義であると私は思うのだ。
「写真は思い出のしおりだ。AIには絶対に真似できない。」
皆さん、写真を撮りましょう。
そして、たくさんの思い出を残していきましょう。
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