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カメラには欠点があった方がいい

最近、ニコンから話題のカメラZ8が発表され、予約が開始されました。
そのキャッチフレーズは、

「静止画でも動画でも決定的な瞬間を逃さない  -  敏捷さがもたらす、確信。」

メーカーカタログを見ると、とにかく、被写体を確実に捉えることに重きを置いていることがわかります。
被写体 23ワード
瞬間  14ワード
ピント 15ワード

いかに簡単、確実に写真が撮れるか。世の中のカメラメーカーは、この方向に舵を切っているようです。

カメラの高機能化が進む昨今、確実にピントの合った写真を撮ることが容易になりました。特にその最先端を走るソニーは、最新機種であるα7RVで専用のAIを用いて圧倒的な被写体認識を実現しています。

本当に、カメラは欠点がなくなってきた。

昔はプロにしか出来なかったことが、今では誰でも簡単に出来る。これは、順当な進化なのかもしれない。しかし、私は疑問を感じ始めている。それは本当にいい事なのか?



少し私の話をしよう。
私は撮影用のメインカメラとしてα9を使っています。結果を確実に残してくれるカメラ、α9には絶大な信頼をおいています。一方で、撮影が楽しいのかと聞かれると、少し考えてしまいます。

「確かに、便利で確実、画質もいい。だけど撮っていて楽しいのとは少し違う。」

何不自由なく写真が撮れ、撮れた写真そのものの画質もいいのに、なぜ楽しいと思っていないのだろうか?

こういう話があります。
「人が幸福を感じるのはギャップがある時である」

高性能なカメラを使うと、いつでも気軽に綺麗な写真が撮れます。一方で、それは綺麗な写真を撮れるのは当たり前という現実を生み出します。そうすると、綺麗な写真が撮れた時の感動も薄くなる。当然、ギャップを感じにくくなっていきます。

では、欠点のあるカメラを使うとどうだろう?確実に綺麗な写真を撮ることが出来ななくなります。そんな中、綺麗な写真が撮れたらどうだろう。間違いなく、「嬉しい」と感じるはずだ。それは、ギャップによる幸福感が加算されるから。

両者、全く同じ写真が撮れたとしても、そのプロセスにより、幸福感が違いが出てしまうのです。

つまりは、欠点があるカメラを使用して、いい写真を撮った方が楽しいと言うことだ。

高性能なカメラは確かに凄い。あらゆるものを簡単に捉え、そして写真に収める事ができる。プロのカメラマンなら歓迎すべき事だろう。しかしアマチュアの場合はどうだろう?写真を撮るという行為そのものを楽しみたい、そういった側面もあるのではないだろうか。

「写真そのものに集中しなさい。撮れた写真で勝負すればいい。」

そう言う人がいるかもしれません。
ですが、人間、そう上手くはいきません。
必ずしも合理的には動かない。そう、人間は感情の生き物だからです。

記録を残すなら高性能な方がいい。それは間違いありません。しかし、記録を残すことに疲れてきたなら、そこに欠点というスパイスを加えてみてはいかがでしょうか?

カメラには欠点があった方がいい

きっと、カメラライフが楽しくなりますよ。



あとがき

欠点はあるけど憎めない、そんな私のカメラを紹介しておきます。

OLYMPUS XZ-1

発売は2011年。今となってはオールドデジタルカメラと言っていいカメラです。オリンパス初のi.ZUIKOレンズと今は亡きCCDセンサーのマリアージュ。のんびり動作にのんびりオートフォーカス。ISOをオートでは感度200までしか上がらない開発陣のこだわり?が感じられるカメラです(手動では感度200よりも上げられますのでご心配なく)。

Leica M Typ240

欠点(不便)という点では、M型ライカが最強です。ピントを合わすも外すも、全て自分の責任です。もう、カメラのせいには出来ません。

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