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リケジョという言葉が嫌いだ

気がつくと大学三年の後期の授業が終わっていた。
つまりこの長い春休みが明ければ大学四年になるらしい。もちろん単位が取れていればの話だけれども。

いつからだろうか、社会でよく"リケジョ"という言葉を耳にするようになったのは。 大学で工学部の機械系を専攻していると話すと、よく大人たちは、リケジョかあ〜と返してくる。しかしわたしは、世の中が抱く"リケジョ"と、わたしが過ごしている環境のギャップにどうも居心地の悪さを感じずにはいられない。

理系分野で活躍する女性に的を当てた特集が組まれ、実際に社会やアカデミックの世界では女性たちが色んな成果を上げている。リケジョ、という言葉にはそんな、ノビノビ、イキイキ、キラキラ、活躍している理系女子が現代日本にはたくさんいる、そんな意味合いが含まれているように感じる。

しかし、理系分野を専攻している女性のひとりとして、わたしは決して自分や自分の周りにそんな"リケジョ"がいるとは思えない。

わたしが通う某国立大学では、一年時に一般教養を学び、二年時から基礎専門、三年時からは完全に自分の専門の棟の中のみで講義を受けるようになり、四年で研究室に配属される。一年時に第二言語でドイツ語の授業に参加して以来、わたしは女性の先生の講義を受けたことがない。三年になり専門の棟内では、そもそも女性とすれ違うことすらない日の方が多いし、もちろんわたしの専攻分野で女性の教授の研究室はひとつもなく、基本的に各研究室にいる女性の数は0か1だ。これが今わたしが過ごす環境の"リケジョ"事情だ。もちろん、女だからという理由で、どこかの大学の入試のように、明らかに差別的な行為を受けたことはないし、周りに女性が少ないのはそのような理由ではないと思う。それでも女性が全くいない中で講義を受け、研究室もそのような中から選ばざる得ない。女の先輩がいる研究室がいいと、分野ではなくそんな条件から研究室を選ぶ女の友人もいる。

先日ここの専攻を卒業され社会人になられた先輩方と交流する場があった。その中で唯一来られていた女性の方がこんな話をしてくれた。

"わたしが今の会社に入社したとき、そこの部署は女性がひとりもいなかったの。つまりわたしが女性初の配属だった。その時、研究所の中には女子トイレも更衣室もなかったわ。周りの人からは、目の上のたんこぶみたいな扱いをされたし、あの当時仕事そのものより人間関係に対する悩みがたえなかった。"

この話の驚くことはこれがほんの三,四年前の話で、しかも、この会社は誰でも聞いたことのあるようなテレビでCMもやっている大企業なのだ。それでも今は女性も数人増え、女子トイレも更衣室も完備され、かなり過ごしやすい環境になったと話していた。

わたしがここで言いたいのは、もっと女性の権利を!もっと女性のための制度を!ということではない。世の中が"リケジョ"という言葉のあまりに美化されたイメージに騙されないで欲しいのだ。わたしたちは、自分のやりたいことのためにただひたむきに学んでいる。だけど、いくら制度が整おうとも、いくら社会が注目しようとも、それでもここは残念ながらまだまだ綺麗なところだけを切りとられた特集のようなキラキラした世界ではない。周りにはほとんど男性しかおらず、男性の教授が教壇に立つ講義しかなく、男性しかいない研究室にいき、男性とともに研究をする。そして、そんな環境で女性の一人目となったひとたちが、どんな扱いをされても0を1にすることを諦めなかったおかげで今わたしはここで学べている。今後わたしもそのひとりになりうるのだ。

"リケジョ"という言葉がなくなるほど、性別に関係なく全ての人たちが、理系分野でめいいっぱい学び活躍できる日本になればいいと願っている。

#エッセイ #日記 #大学生

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