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北方謙三氏の「楊令伝」に見る、目的達成とその先にある目的の再設定の困難

皆様、いかがお過ごしでしょうか。僕の方はスイカの片付けをしたり、ブロッコリーや葉物類といった作物の準備に追われているところです。季節上の夏は終わりますが、9月以降はほんの少しだけでもゆっくりできるかと思われます。

さて、昨日で昨年の11月から読み続けてきた北方謙三さんの「大水滸伝シリーズ」全51巻読み終えることが出来ました。

まずは前回記述させて頂いた「楊令伝」からいきたいと考えております。

どんな話なのかというと、

①前作で北宋王朝禁軍に梁山泊軍が大敗し、アジトも丸焼けになってしまった

②宋江の頼みでトドメを刺した楊令が金王朝の樹立に携わった後に梁山泊へと2年ぶりに帰還する

③「替天行道」という、「天に代わって事を成す」というスローガンの元で戦った結果、禁軍元帥を討ち取り、結果として北宋王朝は崩壊した

この①、②、③を踏まえた上で北方謙三さんの完全なるオリジナル設定の上で物語が進んでいきます。「大水滸伝シリーズ」第2部となる「楊令伝」のテーマは

「目的達成後にどんな運営をしていけばいいのか」

というものになります。前作の「水滸伝」では「宋王朝を打倒して新しい国を作る」という晁蓋と宋江の目標設定がありました。ただ、2人ともその先におけるビジョンと言いますか、「倒した後にどんな国にするのか」という構想は描き切れていなかった。宋王朝との戦いが熾烈過ぎたために考える余裕がなかったと言ってもいいのかもしれません。

梁山泊は北宋軍との戦いで完敗し、主だった人物たちはほとんど戦死するなど絵に描いたようにボロボロに成り果てた状態となります。例えるならば倒産したも同然の企業のようなものです。そうこうする中で主人公となる楊令が北へ逃亡し、北で勢いを増していた王朝である金国の建国に大いに携わることとなります。

金王朝の建国に携わる中で楊令自身も0から1を生み出す困難と苦悩に直面する金王朝の首脳陣を見て考え方が変わったのかもしれません。梁山泊に戻ることになりますが、かつての仲間たちが宋江の夢を叶えようと熱く息巻く中で「北宋王朝を倒したとして、新しい皇帝が即位したとする。そしてまた北宋のように時が経てば腐敗していく。その繰り返しになっていくだけだ」と1人醒めたような言葉を吐いていきます。どう梁山泊を運営していくべきか、宋江や魯智深に託された男が下した決断は

「交易を中心とした、自分たちの目が行き届くエリアに限定した国づくりをしていく」

というものでした。北宋王朝は楊令たちがかつての敵であった童貫を討ち果たしたことで自滅する形で消滅し、生き残った皇族たちが河南へと逃れて南宋王朝を樹立することになったのは史実の通りですから、ここで梁山泊の目的は達成できたことになります。ただ、組織としての次の指針が必要になることは明白だったために楊令は上記の指針を打ち出すことになった。燃え尽き症候群の防止策でもあります。

北宋王朝は勝手に倒れてしまって、皇女たちは洗衣院という金王朝の高官たちを相手に娼婦的なことをしなければならないという屈辱的な扱いをされることになり、中には自殺していく女性たちを姿が描かれ、皇帝とその取り巻きたちは畑に大量に連行され、強制労働をさせられるという史実でも描かれているような悲惨な末路を辿ります。

北宋王朝がそうなってしまったことで、今まで収入源のひとつだった「塩の道」は閉ざされてしまい、新たに収入源を作らなければならなくなります。そこで今現在の中国北西部の西夏と、我々の日本と交易することを決めます。つまり物流を作り、自分たちで商品を作って他国に売るという貿易体制を作っていきます。今で言うところの事業展開を梁山泊を挙げて行います。

そんな日々の中で、かつての仲間たちの中でも、ある者は戸惑い、ある者は不満タラタラでも楊令に従い、ある者は梁山泊から抜けて違うことをやり出したりと、混乱の中でそれぞれが「その時その時に筋が通っていればいい」と勝手に解釈してやっていくだけという流れにもなったりと前作の「水滸伝」とは全く違う形の展開が成されていきます。

梁山泊の方針として適正規模でマネジメントをしながら、「自由経済」を旨とした国家運営をしていくという、言わば「シンガポール形式」の小さな国家運営をしていくことを決めます。ただ、そうなると南宋王朝と金王朝は双方共に和睦をしたいと考えていて、金王朝としては北のモンゴル民族に対する防衛線が伸びすぎている為に南宋王朝と戦っている場合ではない。

南宋王朝も建前としては連れ去られた前皇帝の徽宗とその息子であり、自らの兄を取り戻すということを掲げてはいるものの、本音としては全土を制圧してマネジメントするだけの能力も資金も国家運営の仕組みも整っていない状態のため、国としての体力はとても保たないという状況を抱えてしまっている。

こんな両者の思惑がある中で梁山泊という新興勢力が大企業的存在である、金と南宋にはとても出来ないような交易を中心とした仕組みを作り上げて小さいながらも一個の国家を形成してしまいます。そうなると利益を奪われるわけですから、ただでさえ逼迫している財政状況に更なるダメージが及ぶことになります。結果として、金王朝も南宋王朝も双方で楊令たちを潰しにかかる決断を下します。

結果として宋王室の一族と再度の戦いに巻き込まれる訳ですが、今回は前作と全く違い、「宋王朝を打ち倒して新国家を樹立する」という目標ではなく、「自分たちの国と民衆を守る」という全く逆となる目標の元で戦うことになります。

最終的にはかつての仲間たちの多くが今回の作品で次々と死んでいき、梁山泊自体も何百年に一度と言われるような大洪水で中枢は水没してしまい、石積みの達人と呼ばれた男も死んでしまいます。楊令自身も信頼していた従者が実は南宋王朝の暗殺部隊「青蓮寺」の一味だった男で長い時間をかけて楊令たちに殺された親族の恨みを果たすべく近付き、毒が塗られた刃物で楊令に傷を付け、その毒が元で楊令は落命します。

最終的には朦朧とする意識の中で楊令は南宋王朝の将校である岳飛の右腕を切り落とす程の実力を発揮したものの、双方共に闘えるだけの余力はもう残っておらず、南宋王朝としても金王朝とは和睦を結んでいるとはいえ、いつ攻められるか分からない状況ですから、軍を引き上げます。金王朝もモンゴル族に対応するべく、軍を引き上げます。そうして、戦いは一度終了します。

結論として、「水滸伝」のような群像劇はありません。読む方によっては肩透かしのような感じを受けるかもしれません。ただ、北方謙三さんもインタビューで語っていましたが、「目標達成してしまった先の、新たな目標設定をし直して、組織をどう作っていくのか」という点をベースにして描いたということもあり、「生き物」としての組織をどう動かして、どう発展させていくのかというヒントにもなる作品が「楊令伝」だと個人的には感じさせられました。

中には「晁蓋と宋江の志は一体何だったのか」、「今まで死んで言った奴らは一体何のために死んだことになるのか」といった声も出てきます。それでも「別の方向性で行く」と言った楊令に渋々従うという選択を大半の梁山泊の人間はします。それぞれの生き方を見つける者もいれば、とりあえず分からないから戦い続ける人間もいる。これだけ見れば現代に近いものを感じますし、北方さんもそれを狙って書いているのは間違いなさそうです。

方向性を決めてもらった上で動くというのは基本的に楽です。人は易きに流れる生き物ですから。実際に大半の人間が楊令に全てを押し付けてしまっている。ただ、「この先の自分たちの組織はどこに行きたいのか?」、「自分たちはこの状況下の中でどうありたいのか?」というのは今すぐには出ない答えですが、逃げずに少しずつでも向き合い続けていく力を溜めて、やれることから実行して自信と成功体験に繋げて言って、その中で1人ずつエンパワーメント(勇気付け)していって、大きな渦にしていくことがこれからの時代により求められるのだろうと、感じさせられましたし、僕自身も楊令たちの苦しみ抜いた中での結論を出し、行動する姿に勉強させられたことがありました。

ここから「大水滸伝シリーズ」最終作品となる「岳飛伝」に繋がるわけですが、これに関しては後日記したいと考えています。

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