M-1漫才論争に想う


M-1グランプリ2020でのマヂカルラブリーのネタに批判が出ているらしい。いわく、アレは漫才ではないと。。

決勝最終の場で、ボケの野田クリスタルは大振りの動きで舞台上を暴れまくり、ほぼ、言葉を発さないまま、約3分のネタは終了。たしかに、自分もおもわず、おいおい、マジかよ!と爆笑しながら、ツッコんでいた。しかし、まさか、大会終了後のTwitterやヤフコメで冒頭の批判が百出するとは思いもしなかった。

野暮を承知で笑いを語らせてもらうと、自分は笑いとは常識からズレた狂気が生み出す、緊張の解放だと捉えている。その意味で視聴者がツッコミたくなるほど、狂ったことをして、常識に挑戦しまくったマヂカルラブリーの笑いは笑いの中の笑いであると思う。

漫才ではないだなんだと言っている批判者たちは多分、漫才の定義云々の前にマヂカルラブリーの笑いを理解できなかったのだろう。そして、「面白くなかった」という自分の主観を「漫才ではない」という客観っぽいものにすり替えて正当な主張をしているように装ったのだろう。

問題が深刻なのは、「常識からのズレ」という笑いの根本を理解していないようなヤバい人たちが、常識からズレたことをした漫才師を全否定するという倒錯した事態が起こっている点なのだ。

お行儀よく、従来のしゃべくり漫才をやって、そこそこの笑いを生み出す凡庸な漫才師を賞賛し、それとは外れたことをする漫才師を排除する風潮が一般化するとしたら、漫才のイノベーションは全く期待できなくなる。

ネット上に漫才ではないからあのネタはダメだと真顔で書き込んでいる方々にお願いしたい。面白い、面白くないといった議論は全然あっていい。でも、大きな権威を振りかざして、「正しく」お笑い芸人であることを追求する「漫才師」を全否定することだけはやめて頂きたい。そして、笑いに限らず、自分の理解できないものを理解しようとする時間を約3分でいいから持つことを提案したい。

ちなみに、野田クリスタルのつくったゲーム「ブロックくずして」は全くお勧めできない。クソゲー(主観)。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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