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なぜ「学びに向かう力」が重視されているのか?

 現行の学習指導要領では、生徒に獲得させる資質・能力の1つに「学びに向かう力」というのがあります。
 この力は、生徒が生涯かけて、社会の変化に柔軟に対応して主体的に学習を進めていく力と捉えることができます。

 では、なぜこの力が重視されてきているのでしょうか?

 このことについて、これまでの伝統的な学習観の問題点をもとに考察してみました。

 ぜひ最後まで読んでいただけるとうれしいです!

1 学習とは

 なぜ人間にとって、学習が必要なのでしょうか?

 それは、生存したり種を維持したりするためです。

 人間と同じ哺乳類である鯨やライオン、トラは、生存するために体の仕組みが特徴的です。(図1)餌を取り、生存していくためにこのように変化しています。

図1 特徴的な体の仕組みをもつ哺乳類

 このような哺乳類の場合、一定の環境の下で生存することが容易になります。しかし、環境の変化(えさの減少など)に対応することは困難です。

 それに対してサルの仲間の場合、図1に示した哺乳類に比べると、体の仕組みの特徴が少ないです。また、雑食ということもあり、環境の変化に適応しやすいといえます。

 特に人間は、サルに比べると、身体能力は劣ります。なので、サルよりも更に体の仕組みの特徴が少ないです。

 体の仕組みが少ないということは、生存するために外界について学習する必要があります。

 つまり、人間は生まれつき学習することを強いられる種です。
 また人間は、自らの学習のみで知識を得るだけではなく、他者の経験を、言語や数字、図などを媒介にして利用することさえできます。(学習の社会化)

図2 人は他人の知識を利用できる

 また、様々な人の経験を集約して、その地域に文化が出来上がることもありますね。

2 伝統的な学習観

 上述したように、人は生存するために学習して環境に対して知識を得る必要があることを述べました。

 では次に、学校で行われる学習について述べます。
 ほとんどの大人は、学習という言葉から、ある程度共通した学習観を持っているはずです。

 この記事では、それを伝統的な学習観と呼ぶことにします。
 伝統的な学習観とは、次のような要素(性質)があります。

  • 学習して知識を身に付けるためには「教え手」が必要である。

  • 「教え手」が行うことは、2点ある。1点目は知識の伝達。2点目は学び手を評価して、知識の正誤の確認情報(テストなどを実施)を与えること。

  • 「学び手」は、受動的で有能ではないと仮定する。

 「学び手」についての仮定について、補足します。
 まず「受動的」と仮定されているのは、人間は空腹や苦痛など不都合がない限り非活動的だと考えられます。
 次に、有能でないという仮定から、テストを実施することが正当化されます。それも何度も何度も。

図3 学び手の否定的なイメージ

 なぜ「学び手」に対して、このような否定的なイメージがついたのか。それは、人間以外の動物を利用した実験結果からだと言われています。
 パブロフの犬なんかは有名ですね。

 実験室という特殊な環境で、既存知識を活用して課題解決を図るという実験ではなく、とても特殊な実験のため、被験者は受け身にならざるを得ません。また、正誤の情報を与えられなければ自分の行動の正しさも分かりません。

 このような実験結果が集積した結果、「学び手」は受動的で有能でないというイメージが確立してしまったのです。

3 伝統的な学習観が招いたのは

 伝統的な学習観が招いたのは、学び手の学習に対する意欲の低下です。要は勉強嫌いですね。

 元々人間は学習して生存してきましたが、それは日常生活という自然な環境において行われる学習だったから能動的に学習したわけです。

 しかし、伝統的な学習観では学び手の否定的なイメージから、教え込みや学習の管理、賞罰、テストが正当化されて行われるので、学び手が勉強嫌いになるのは当然です。

4 伝統的な学習観で太刀打ちできない社会

 現在の社会では、今日の正解が明日には不正解になったり、いくつもの正解があったりするなど、非常に複雑化しています。

 このような社会において、受動的な姿勢では、変化に対応できません。また、教え手も全てを完璧に教えることは不可能な状況です。

 このような社会で生存していくためには、学び手が能動的に学んで、知識を獲得して体系化させて活用したり、新たな知見を生み出したりする必要があります。

5 まだまだ日本の教育現場にはびこる伝統的な学習観

 文部科学省は、学びの転換を声高に叫んでいますが、現場にはいまだに伝統的な学習観はあるでしょう。
 この学習観は、戦後50年近く教育現場に根付いているものですから、ここから脱却するには、時間も必要です。

 しかし、社会は刻一刻と変化しています。

 早急な学習観の転換が求められています。

6 おわりに

 今回の記事では、伝統的な学習観について詳しく書きました。

 では、新しい学習観とは何か。その正当性は何か。

 このような疑問が湧くと思います。

 それについては、私がこの記事を書くにあたって参考にした以下の本に詳しく書かれていますので、参照されてください。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!

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