本能寺の変の下手人(げしゅにん)

この記事は、完全に私個人の妄想を基に書いています。

一般的に、本能寺の変を起こしたのは、岐阜県明智町出身(?)の明智光秀と言われています。

ですが、織田信長公の家臣だった豊臣秀吉や、秀吉と敵対関係になった徳川家康の黒幕(下手人)説もあります。
その両者の黒幕説は、創作上の想像でしかないことにされてはいますが、単なる創作に見せかけた史実もあるように思えます。

それを踏まえた上で、
実は三人とも下手人(げしゅにん)説を展開してみます。

信長公の正室だったとされている濃姫(のうひめ)と同一人物説のある生駒吉乃(いこまきつの)様は、傾国(けいこく)の美女で、鈴を転がしたような美声の持ち主という説があります。

そのような美声の美女ならば、たとえ謁見(えっけん)はできなくとも、噂話と御簾(みす)越しに拝聴(はいちょう)したお声で恋に落ちてしまっても、何ら不思議ではありません。

明智光秀らは、信長公の家臣という立場でありながら、吉乃様に横恋慕(よこれんぼ)をし、あわよくば下剋上(げこくじょう)で吉乃様を自分達の誰かの妻に……と目論(もくろ)んでいたと考えられます。

そこで共謀(きょうぼう)を図り、信長公を抹殺する計画を練っていたところ、たまたまお屋敷の一室にいらした吉乃様に聞かれてしまい、不届きなことに、先に吉乃様を抹殺。

吉乃様を抹殺した下手人ということを隠し通すためにも、信長公を家臣諸共(かしんもろとも)暗殺する計画を前倒しで進める必要に迫られたのではないでしょうか。

信長公が少人数の家臣と共に本能寺に宿泊した時を狙い、手っ取り早く全員を抹殺する方法として、放火を思いついたのではないかと考えています。

当時の尾張藩の共通語は不明ですが、三人で共謀した際に「本能寺ごと信長一行を燃やいたろか!」と、黒い笑顔で言っている様子が思い浮かびます。


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