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「折りたたみ傘と小さな恋」超短編小説

3月16日 折りたたみ傘の日
海外商品の輸入・販売などを手掛ける会社により制定。
折りたたみ傘の構造を考案したハンス・ハウプト氏が1928年のこの日に特許を取得した。

折田サコは中学2年生。
この歳になるまで、「しっかりしているね」とよく褒められてきたけれど、それを言われて嬉しかったことなど一度もない。
なぜなら「しっかりしているからあなたは一人でも大丈夫ね」と突き放されたような気分になるから。

サコはしっかりしたくてしっかりしたのではない。
両親は共働きで忙しく、子どもの面倒をあれこれ見る暇がない。
サコは両親に頼れず自分でどうにかするしかなくて、しっかりせざるを得なかっただけだ。


決定的になった出来事をサコはいまだに忘れられずにいる。
サコが小学生だったころの、夏休みの学校プール解放日での出来事だ。

いい天気の中、サコたち児童はプールで思い思いに楽しんでいた。しかし急に雲行きが怪しくなり天気が荒れてきたので、プールを中断し帰宅することになった。
先生が各自の家に連絡をいれたのかもしれない、保護者がぞくぞくと児童を迎えに来ていた。その中にサコの親の姿はない。迎えがきてみんなが帰っていく中、とうとうサコが最後の一人になってしまった。

大雨が通り過ぎていまさら迎えはなくても帰れるようになってからようやくサコの母親は迎えに来た。迎えに来てもらえてもサコは嬉しくなかった。ただただ虚しく、自分が空っぽになったような気がした。

誰かに頼って期待して待って、あの寂しさや心細さや虚しさを感じるくらいなら、最初から誰にも頼らず自分でサクサク動いた方がいい、サコはそう悟っている。

サコは人に頼らなくてもいいように用意周到になった。ハンカチもティッシュも絆創膏も携帯用の裁縫セットすら持ち歩いている。
傘もそう。教室のロッカーに折りたたみ傘を置きっぱなしにしているのに、サコはそれをあまり使わない。雨が降りそうなときはたいてい普通の傘を家から持って学校に来る。しっかりしているというより用心深くなっている。


ある日、サコは委員会で帰りが遅くなった。残っている生徒はほとんどいないのだろう、校内は静まり返っていた。降り出した雨の音が聞こえてきて、サコは傘を持ってきてよかったと思った。

昇降口に着き、上履きから靴に履き替えていると、出入口で一人の男子が空を見上げポツンとたたずんでいるのが目に入った。

それを見てサコの心臓がドキリとした。

あれはもしかしてミカサ君?

一年生で同じクラスだった、大人っぽいミカサにサコはひそかに恋をしていた。2年生ではクラスが別れたが、サコの恋心は静かに継続していた。

「ミカサ君、どうしたの」
ドキドキしながらサコは話しかけた。声がうわずっていそうで恥ずかしい。
「ああ、折田さん。傘なくて途方に暮れていたところ」
久しぶりに聞いたミカサの声にサコは思わずときめいた。

あたしの傘に入れてあげようかって言ってみようかな、でもあいあい傘なんて心臓が持たない。それにミカサ君の家の方向はどっちかな、瞬時にサコの頭にいろいろな考えがよぎった。

そしてロッカーにある折りたたみ傘のことを思い出すと同時に口に出ていた。
「あたし、ロッカーに折りたたみ傘あるから貸そうか?」

ミカサの返事を聞くより早く、サコは足早に教室に戻っていた。ロッカーから折りたたみ傘を取り出し、あ、そうだと思い、いったん傘をひらいてチェック。大丈夫、汚れていないし壊れていない。そしてかばんから鏡を取り出して自分の顔もチェック。にやけた自分の顔がそこに映っていてやばいと思ったがサコは喜びが隠しきれなかった。

昇降口に戻るとミカサが待っていた。なんだろう、待ち合わせをしたわけでもないのに、待ち合わせをしているみたい。サコはにやけてしまうのを必死に我慢した。

「はいこれ、どうぞ」
サコが折りたたみ傘を手渡すとミカサが、ありがとうと笑顔で受け取った。
昇降口を出て、傘をさして並んで歩いていく。緊張しているのがミカサ君にばれませんようにとサコは心の中で祈った。

「ミカサ君はどうしてこんなに帰りが遅いの?」
折りたたみ傘を取りに行きながら頭の中であれこれ考えていた会話をサコは始めた。
「オレは部活の自主練。折田さんは?」
「あたしは委員会」

お互いの部活のことや委員会のことを話していると校門に来たので、すかさずサコは聞いた。
「ミカサ君は家、どっち方面?」
「オレはこっちで、大通り方面だよ」
「あたしもこっち」
あと少しだけ一緒に帰れそう。一緒にいられるのは嬉しいけれど緊張して会話がなかなか続けられない。雨音のおかげで沈黙があまり気まずくないことがサコには救いだった。

「それにしても折りたたみ傘を準備しておくなんて、折田さんはしっかりしているね」
ふいにミカサにそう言われて、サコの浮かれた心はみるみるしぼんでいった。
ミカサにとってはさりげなく出た言葉なだけで、深い意味はないし褒めているつもりだった。サコはあいまいに笑うだけで言葉を返すことができなかった。

分かれ道に着いたのでその会話を最後にばいばいと言って二人はそれぞれの家に帰っていった。サコは嬉しい気持ちと悲しい気持ちがごちゃまぜになった自分の心を持て余しながら、とぼとぼと帰宅した。


次の日の放課後。
クラスの皆が早々と部活や帰宅で教室から出ていく中、サコは昨日のことを思い出しながらのろのろと帰り支度をしていた。
ふと教室の出入口にミカサの姿が見えてサコはドキッとした。傘を返しにきたのかなと思っているとミカサと目が合って彼がこっちにやってきた。

「傘、ありがとう。助かったよ」
そういって折りたたみ傘を差しだしてきた。
こんなに早く返してくれなくてもいいのに。
ミカサと会話できる喜びを感じつつ、返されたらもう接点がなくなってしまうことがサコには悲しかった。

「うん、いいよ」
傘を受け取りそう言ったきり会話が続かない。また貸すよ、とか何でもいいから何か会話をと焦るほどサコの口から言葉が出てこなくなった。

「あ、そうだ。オレも折田さんに見習って、折りたたみ傘をロッカーに置くことにしたよ。急な雨で困ったら言ってね、貸すから」
ミカサはそう言うと、じゃあねと言って手をひらひらとふり去っていた。

サコはそのまま固まったように動けなくなってしまった。
しばらくそうしたのち、サコの顔がみるみるにやけていった。嬉しくて叫びたくなるのを必死にこらえた。ミカサに言われた言葉を心の中で何度も繰り返していた。


しっかりしていると言われるのが嫌だったのに、しっかりしているおかげでミカサと近づくことができた。
それに、しっかりしなくても頼ってもいいよ、とミカサに言われたような気がした。
そこまで深い意味はないことはサコにもよく分かっていたが喜びを止めることはできない。


返された折りたたみ傘を胸に抱きしめるようにして、サコは次の雨を待ち遠しく感じた。


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