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2月27日「冬の恋人の日」にちなんだ超短編小説

朝の通勤電車の中。
人々にもまれながらもスマホでニュースサイトを眺める。

「今日は冬の恋人の日。バレンタインデーとホワイトデーの真ん中、恋人同士が絆を深める日」そう書かれているのを見て、わたしのテンションは一気に上がる。久しぶりにワクワクしてきた。彼とのロマンチックなデートを想像してにやにやしてしまう。

早速、彼に今夜、仕事帰りに会おうとラインを送る。すぐに既読が付いて嬉しくなったのも束の間、忙しいから無理。とのこと。またですか。

仕事が忙しいから無理。最近そればっかり。ぜんぜん会えない。

忙しいのは分かる。入社して一通りの仕事を覚えて、いろいろな仕事を任せられるようになって、後輩もできて。わたしだって忙しい。
忙しい半面、仕事が面白くなってきて、なによりも仕事を優先したくなる時もある。

でも忙しいけれど、おろそかにしてはいけないこと。
わたしはちゃんと分かっている。あいつは分かっていない。

大学生のころから付き合って、もう5年。
彼はわたしとの付き合いに飽きてきているのかもしれない。
分かるよ。だってわたしも最近、マンネリ気味だなあって思うから。
でも別れたいほどでもないし、こういうイベントで少しは2人の気持ちを盛り上げたいな、と思うわたしのけなげな思いなど、おかまいなしですか、そうですか。

人間関係なんて、日々のほんのちょっとのボタンの掛け違いで、あっという間に取り返しのつかないことになってしまう。
ここを逃したらもうおしまい。ここを間違えたら即、終了。
はずしてはいけないタイミングがある。
今がそれのような気がする。

今日は、絶対会わなきゃだめだ。忙しいから無理? 知ったことか。定時までに仕事を終わらせて、向こうの会社に押しかけて、待ちぶせしてやる。どんなに忙しくても5分くらいならいいでしょ。とにかく顔を見て話がしたい。

今日は、何が何でも会うから。そうラインを送り、あとは定時に帰れるよう、もくもくと仕事をこなす。あまりの集中力に、自分でも驚く。
予定通り仕事を終わらせることができた。達成感や満足感や心地よい疲労感に包まれて、このまま帰りたくなる。

いやいや、何のために仕事を定時までに終わらせたの。彼に会うためだよね。
さっさと帰り支度をし、会社を後にする。
電車に乗って、彼の会社の最寄りの駅へ。駅から徒歩5分ほどのところに目的地はあった。

とりあえず、近くのベンチに座って待機。
今、会社の近くにいるよ、とラインを送る。
喜ぶかな。驚くかな。いや、嫌がるかも。嫌われるかも。
勢いでここまで来たものの、冷静になると、こんなことしてよかったのか不安になる。

本当に忙しくて、ぐったりしていて、勘弁してくれよ、みたいな態度をとられたら。
あ、だめだ、想像だけで、泣けてくる。

ちょっとまって、さっきライン送っちゃったよね。既読ついてる。
どうしよう、やめておけばよかった。
心臓が不安でどきどきする。
なんて返ってくるだろう。いま、何を思っているだろう。
しばらく待つ。
返信はない。

徐々に心が冷たく凍りついていく。呼吸がしにくい。
スマホを持つ手に力が入らない。

泣きそうになる。目をぐっと閉じて何とか耐える。

閉じた目を開くと、会社の出入口から小走りに出てくる彼の姿が見えた。
必死にあたりを見渡している。そんな彼を周りの人が邪魔そうに避けていく。そんなことはお構いなしに顔をきょろきょろさせながらあっちにこっちにうろうろしている。

彼がわたしを見つけて笑顔になる。わたしの方に駆けてくる。

仕事を抜け出してきてくれたんだ。
わたしのもとに駆けつけてくれた。ただそれだけのことがすごくうれしい。

なにが、マンネリ気味だ。

好きだよ。
大好きだよ。

さっきまであんなに寒かったのに。
生気を取り戻したようにわたしの体がぽかぽかと温かくなっていく。

本当に忙しかったことが彼の顔を見てすぐに分かる。
すこしやつれて、顔色もよくない。それなのに、無理言ってごめん。

「急に押しかけてごめんね」わたしが言う。
「いつも忙しいばかりでごめんね」彼が言う。

彼がわたしの手をそっと握る。温かくて安心する。わたしたちは大丈夫だと思える。

1000回腹立つことがあっても、それよりも大きな、うれしいがあるから。
うん、いいよ。

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