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【回顧録vol.1】私は最高!

人が好きだ。

人と交流することが大好きだ。

友人・家族から遠く離れた場所で、一人で休職していたら、人と話す機会が一切なくなった。そんな生活が4ヵ月も続いている。

そこで、こうなった経緯を振り返ってみることにした。

■幼少期

関東の片田舎で共働きの両親のもと、3姉妹の真ん中として生まれ育った私は、比較的のんびりすくすくと育った。

不登校になったこともあったけれど、それでも人の悪意や陰湿さにあまり触れずに生きてきたと思う。

一生のほほ~んと、ある占い師さんに太鼓判を押された(?)私が、それまで出会うことのなかったタイプの人間と出会ったのは、住む場所と仕事を変えてからだった。

■転機

1社目

とある場所に毎月旅行で訪れるようになり、インターンのようなことを経て新しい仕事に就くことになったため、きっとこれからは毎日楽しくて、幸せで、もしかしたら結婚なんてしちゃうかも!なんて思っていたのは束の間。

約10年間近く働いていた業界から、異業種への転職だったため、最初は驚きの連続だった。それはまるで真面目な銀行員をいきなり無人島に突き落として、一人でサバイブしろと言っているような状況に近かった。

それでも1社目は、社員やアルバイトの数も多く、仕事終わりに飲みにいったり、休みの日に遊びに出かけるような気の合う仲間を見つけることができた。この時点ではまだ自分の気持ちを人に吐き出せていたし、なにより心から笑えるような楽しい時間があった。

仲間には恵まれたが、職場環境には恵まれなかった私は、そこで選択を迫られた。故郷に戻るか、同じ土地で仕事を探すか、はたまた別の場所へ移住するか。

今思えば、このころから在宅ワークやネットでできる仕事を探していれば良かったなと思うけれど仕方ない。

運命に流された結果、同じ土地で同じ業種の仕事に再び就いた。

もともとこの業界で働きたかったし、この土地が好きだったのもあり、やっぱりまだ未練があったのだ。

運命はそこで変わった。

2社目

30人にも満たない社員数、女性の割合が極端に少ない家族経営の会社。ブラック企業の筆頭に挙げられるようなスペックだ。

知人の紹介であり、業界内では名が知られていること、自分のやりたいことができること、なにより失業してから次のあてがなく2ヶ月が過ぎようとしていたことが今振り返れば焦りとなり、入社してしまった。

機会があればまた振り返りたいと思うが、客観的にみて自分だけ膨大な仕事量を孤独にこなすことは、性格的に向いていなかったのだと思う。

入社前はないと聞いていた残業も、タイムカードがないため日々どれだけ残業しているか把握できず、労基に訴えることもできない。(おそらく60時間は超えていた)

1年後に出るボーナスで契約した年収になる、と言われていたのでがんばっていたが、実際に支給されてみると想像以上に少なく衝撃だった。

残業代もでず、キャパオーバーの仕事量を遅い時間までこなし、社長からはほぼ毎日のように人格否定をされ、愚痴や陰口を言う同僚か、何も言わない何もしない上司しかいない環境で働いていた。

今こうして書き出してみると、われながら本当によくがんばってきたと思う。

なんで辞めなかったんだ!と、もう一人の自分が怒っているけれど、一年は続けないと失業保険関係をもらえないと思っていたし、仕事に慣れたら好転すると期待していた部分もある。

自分とは合わなかっただけで、みんな悪い人ではなかったのだろうし、嫌な事を嫌だと言えなかった自分にも責任がある。

我慢に我慢を重ねた結果、眠ることができなくなり、夜お風呂に入ることができなくなり、毎日が辛くなっていった。

あと少し、今抱えている仕事が落ち着いたらゆっくりできる。残業も必要なくなる。

そう思っていた矢先の出来事だった。

なにが気に入らなかったのか、社長から呼び出しを受けた。

一方的に責められ、いつも通り人格を否定される時間が約30分続いた。

終わった、と思い作業に戻ると、今度は顧客への対応が逆鱗に触れたらしく、その顧客の前で大声で怒鳴られた。

その日はそれで終わらなかった。

ネチネチ、人の失敗を言い続ける彼に、帰り道ばったり出くわしてしまったのだ。

定時よりも数時間遅い時間に会社から出てきた私をみて、彼の怒りバロメーターは上がったらしい。

最初は普通に話しかけてきたが、私の返答がまた彼を苛立たせたようだ。

ひとしきり私を否定したのち、「もういいや。遅いし、また来週話そう」そう言って話を締めくくったあと、ガードレールに倒れこむような形で体を半分に折り曲げたのだった。成人男性がする態度かよ…。

苦痛で苦痛で、仕方なかった。

そもそも何故そこまで苛立っているのか理解できなかったし、仕事上でのミスを責められているわけではない。ただ単に、彼の気持ちに合わなかっただけなのだ。

■精神崩壊

家族に助けを求める

すでに精神が崩壊していた私は、泣きながら家族にLINEをした。

数時間前、過呼吸状態になったときにもLINEをしていたが、姉からは「やめちまえ!」と返信がきていた。いつだって辞める後押しをしてくれるのは姉だった。普段はこういった荒々しい言葉使いをしない彼女からの返信は、心に突き刺さるものがあった。

「死にたい」と家族にLINEしてしまい、送信取り消ししたが、さらに気分が落ち込んだ。涙はもう止まらなかった。

泣いたまま家へ帰宅するのは気分が乗らず、スーパーで買い物をして帰ろうと思い立ち寄った。

妹から電話がかかってきたのは、スーパーに入ってかごとカートを用意し、野菜を選んでいるときだった。

今でもまだあのときのことを思い出すと涙が出てくる。

「(仕事)やめて帰ってくればいいじゃん。部屋空けとくよ!」

そう言われて、一度は止まった涙がまた溢れ出した。

なにがいけなかったんだろう。

我慢に我慢を重ねた結果、心が決壊してしまった。

それでも。

4ヶ月も人と話さずにいたら、また人と交流したい気持ちがむくむくと湧き出してきた。

■自分で自分を肯定していく

会社で否定され続けていたら、気付かぬうちに自分で自分を否定するようになっていった。

もっとわがままでいいんだ。
あるがままでいいんだ。

人格を否定され続け、自分を見失わなければ、本来の自分を取り戻すこともなかったかもしれない。

BE YOURSELF

本当の自分。

自分の気持ちを無視しているとわからなくなってしまうもの。

いつでも自分は自分の中にしかいないのに。

また、相対的にみて気付く自分もいる。

だからこそ、人と交流するのは面白い。

まだまだ長い人生。

この先出逢う人が、みんな幸せで満ち足りた人生を送っている人でありますように。

もし今、幸せだと感じられなくても、少しのきっかけで好転させられるように。

まずは自分がすでに最高で、幸せに満ちていると心から信じてみようと思う。











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