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デング熱闘病記《入院編》

読む前に…

こちらデング熱闘病記の入院編となります。

苦しみの始まりである、
発症編・診断編をまだ読んで無い方は、先にこちらの記事を読んで下さい。笑
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デング熱闘病記(入院編)

3度目の診断の結果デング熱と診断され、
点滴をブスっと雑めに刺された後、
そのまま保険適応内の2人部屋へと案内され、
ふと気付けば入院ベッドの上にいる自分。

丁度その頃解熱剤が効いたお陰で、
症状も落ち着いていました。

「(入院…)」

まさか、自分がデング熱にかかるとは。
まさか、自分が海外で入院するとは。

まさかまさかに襲われていた時、
1人の看護師が何の声かけも無しにカーテンを激しく開けて、ズカズカと入ってきました。

看護師「今日のご飯です。」

(入院患者にろくな説明も無しにまずご飯…)

そんな事を思いながら、
運ばれてきたものを見て驚愕

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〈夕食の献立〉
・フライドチキンのソースがけ
・マッシュポテト(3つ)
・蒸したブロッコリーと人参(無味)
・アップルパイ
・ホットチョコレート
・グアバジュース


…失笑

私「これ…私食べていいんですか?」
看護師「オフコースっ!あなたの夕食よ⭐︎ 」

そして、その後

看護師「明日のご飯もメニューから選んでね」

その衝撃のメニューがこちら、

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朝食…チャ、チャーハン⁈
昼食…タイチキンバジル(🌶)…辛いの⁈
夕食…ボ、ボロネーゼ⁈

脳内パニック。


ここ、病院ですよね?
私、入院患者ですよね?

不安になりながらもメニューを選び、
この時薬のお陰で体調の良かった私は、翌日の夕食にボロネーゼを選択しました。

この選択が後に私を苦しめる事に…


その日の夜、
同じ留学プログラムでマレーシアに来ている友人が、服や日用品など入院に必要な物を一式持って来てくれました。

なんて有難い…。

前回の中国留学は個人留学だった為、周りに助けを呼べる日本人が少なかったのですが、今回日本人の友人の居る有り難さを身に染みて感じました。

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翌日(入院2日目)は、
解熱剤も効き、昨日までのしんどさが嘘のように余裕がありました。

「デング熱って、インフルより軽いやん〜」

と、調子に乗って
映画を見たりジュースを飲んだり、
普段と変わらない食生活を送っていました。

そして夕食、
待ちに待ったボロネーゼです。

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(普段殆どマレーシア料理しか食べていないので、久々の洋食に大興奮)

“沢山”食べました。


その日の夜です。

身体の外は燃えるように熱い。
芯は凍えるように寒い。
震えが止まらない。

そして何より、

吐き気が酷い。


でも、2人部屋で
隣には付き添いのお母さんらしき人もいて
夜中遅くて
点滴で繋がれているから駆け込めないし

とりあえず耐えるしかありませんでした。


そうです、
デング熱の症状は段階的なのが特徴で

STEP1: 関節痛と高熱
STEP2: 吐き気
STEP3: 発疹

となります。

STEP1の段階では解熱剤さえ飲んでしまえば何とも無く、つい「全然大丈夫やん」と調子に乗ってしまいます。
しかしその後が辛いんです。

ここからSTEP2: 吐き気が始まります。


-地獄の始まり-

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[地獄①吐き気]

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食べ物が目に入るだけでも吐き気がし、
飲み物も飲めません。

そのせいで中々寝る事も出来ないのですが、
やっと寝れたと思うと点滴が切れてうるさいアラームが鳴り起こされます。

加えて朝の2時と6時には血圧を測りにくるので叩き起こされるし、採血もされます。


あまりにも辛かったので、プラス料金を払い個室部屋に移してもらいましたが、3日目から8日目くらいまでの記憶が殆どありません。



例のボロネーゼ以降、入院8日目の夜までは何も口にしていませんし、水分も殆ど口から取ることができませんでした。

点滴から栄養と水分だけを身体に入れている状態がずっと続き、毎日症状に耐える事に精一杯でした。


母も日本から駆けつけて、友人や現地大学の先生も大勢お見舞いに来てくれました。

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(↑来てくれた皆んなの写真を撮る余裕は無く、差し入れの一部の相棒抱き枕とメッセージ入りドリンク)


その時ばかりは元気が出て起き上がり話す事も出来ましたが、それ以外の時間はずっとベッドの上です。


「あぁ、ボロネーゼが私の最後の晩餐か…」

と本気で思ってしまうほど、
心も身体も弱りました。
(本気ですよ⁈笑)

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地獄①吐き気に次いで、
[地獄②看護師への抵抗]

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看護師はもちろんマレーシア人。
考え方も日本とは違います。


例えば、熱があるとします。
日本では体調が悪い時は身体を冷やす事はNGとされています。

しかし、こちらの看護師さん。

「冷房つけるよ?温度下げるよ?」

一度の拒否では諦めてくれないので、必死に訴えかけます。


さらには、ナースコールで呼び出して吐き気止めの薬を持ってきてと頼むと

30分経っても、帰って来ません。

もう一度呼び出して、訴えかけると

「まだ、次の服用可能時間じゃ無いから無理」

いや、それならちゃんと言いに来てよ。
死にそうな思いしてナースコール呼んでるのに。


この様なやり取りが、デング熱と共に毎日襲ってくるのです。

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そして、この看護師とのやり取りで起こる
[地獄③英語での病状説明]

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英語に関して、日常生活を送るのに不自由のない程度には話す事はできます。

しかしこれが、
体力の無い状況で、
クセのある英語で、
普段使わないような病状を説明しなければいけないとなっな場合、
想像を絶する様なパワーを使うんです。

しかも相手は
冷房を寝てるうちにつける様な、看護師。

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この地獄ポイントを抜けた8日目の夜、
母が近くのショッピングモールで買ってきた冷凍のうどんをチンして一本食べました。

そこから、徐々に食欲が戻り、
自分の口から食べ物・水分を取る様になり、
自主的に解熱剤の量を減らしたあたりから(海外の解熱剤はキツいので…)体調が回復して、遂に入院10日目念願の<退院>です!!


この記事で完結させるつもりでしたが、
長くなってしまいました…。

次回、遂に最終回
《退院編》+伝えたい事 です!












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