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ジム・モリソンに射抜かれて

世界に躍り出たジム・モリソンは、
ドアーズのファーストアルバムの一曲目「Break on through」で"Break on through to the other side"と絶叫した。
暗闇の中で浮かび上がるジム・モリソンは、
物憂いような、睨むような、どこか遠くを見ている色気のある目つきで
「向こう側へ突き抜けろ」と歌っていた。
僕がその叫びを聴いたのは16歳。
その時、彼の肉体はとっくに消え去っていたが、
記録された彼の声と言葉は全く死んでおらず、
それは僕を串刺しにした。僕の胸をえぐった。
絶対に元通りにならないくらい、深くえぐった。
その日から彼の声と言葉は僕の胸に刺さったまま。

「向こう側へ突き抜けろ」

音楽や詩、表現は突き刺さるものだ。
突き刺そうとする意志のない音楽や表現は、僕にとっては意味がない。
極めて主観的なことだけど。
作品や表現に突き刺されたことによって、僕は別の人間になってしまう。
もう元には戻れない。それが音楽や芸術の力だ。
僕にはたくさんの音楽や芸術や表現に刺された跡が無数にある。

音楽や芸術を浴びて興奮していた子どもの僕に、初めて言葉である方向を指し示
したのがジム・モリソンだ。
「向こう側」という場の存在を知らされてしまったら、もう引き返すことはできない。僕は、ジム・モリソンの一突きによって覚醒させられた。

「向こう側へ突き抜けろ」

この歌を初めて聴いたときから長い時間が経った。
今、僕らの世界や社会や日常は、異様な音を立てながら軋んでいる。
僕ら人間は今、大きな変化と激流の中で右往左往し、さもしさや浅ましさを剥き出しにして混乱している。
確実に何かが崩れていくのを日々感じる。
確実に崩れ始めている現実に対して、人々はヒステリックになったり目を背けたり無理矢理眠って逃避しようとしたりしている。
そうやって「ここ」が崩壊しようとしている時、また彼の声が響く。

「向こう側へ突き抜けろ」

世界も人間も狂っていて度し難い。
僕もその愚かな人類の一部であるという事実は本当に辛い。
だからと言ってその愚かさに身を任せることはしない。
僕たちは世界からも時代からも逃れられないが、
そこをこじ開ける意志はどんな時も持ち続ける。
たとえどんなに徒労に終わろうとも。
どうせ無駄な抵抗だから自分の尊厳も魂も売り渡そう、とは思わない。
そう決意できるのは、僕の胸に、ジムの言葉をはじめとする無数の音楽と芸術が突き刺さっているからだ。突き刺さったままの音楽や芸術が、僕の目を覚ましてくれる。正気になれ、と。
「向こう側へ突き抜けろ」という彼の言葉は、現実からの逃避を呼びかけるものではない。むしろそこに正面から向き合って、突き破ることを呼びかけている。僕はそう思っている。
(2022.3.26)

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