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「いいな」と思う気持ち

1月17日。

「いいな」の日

勝手に作ってみました。
語呂合わせではありますが、
思い浮かんだ「いいな」という言葉について、いろいろと考えてみました。

いいな

同じ意味で「いいね」もあります。
あくまでも主観ですが、ニュアンスが微妙に異なると思っています。
「いいね」の方が良いと思った気持ちを強調させ、さらに同意を求めた物言いというか、他者の評価も気にしているように感じられます。
Twitterのイメージも影響しているのでしょうか。
「私はこれが良いと思う。あなたも?」
と問いかけられているような感覚です。

一方、「いいな」の方は気持ちが己だけで完結していて
「私はこれが良いと思う。」
と素直に吐き出して終わり。それ以外はとくに求めていない、そんな風に感じられます。

何となく「ね」の方が堂々としていて、人に勧めたいという気持ちも隠れているのに対し、
「な」の方はベクトルが自分に向いていて、自分が良いと思った気持ちだけを肯定している。あくまでも主観です。
皆さんは、使い分けていらっしゃるでしょうか。

「いいね」も素敵な言葉ですが、私は「いいな」の方が気に入っています。
「いいな」は、少しでも心が動けば使える言葉だと思っていて、

ちょっと素敵
ちょっと好き
ちょっと良さげ

という曖昧な境界線でふわふわと浮いた気持ちをまとめてくれる、便利さがあります。

ひとつでも「いいな」と思うものを見つけられた日は、強いです。
嫌なことがあってもそれを思い出せばご機嫌になり、その日は「ちょっと良い日」になります。
今日は夜になって落ち込むことがありましたが、“今朝は青空に月が見えていてきれいだったな”と思い出し、心を持ち直しました。

物だけではなく、人に対しても使いやすい言葉だと思います。
「いいね」は、羨望だけでなくほんの少しの妬みも含まれているように感じますが、
「いいな」は純粋に羨む気持ちを表しているというか、相手と自分を比較しないでいられるというか。
(あくまでも、私が使うときの見解です。
誰かから頂いた「いいね」や「いいな」という言葉は、有難く受け取って心に留めています。)


素敵だと思うけど、そこまで強い思いではないから違うかもしれない、
好きだと思ったけど、人に勧めるほどではないから違うかもしれない

と気付かないうちに気持ちに境界線を引いて、自分の「好き」を無かったことにしてしまう。それは、とても悲しいことです。
良いと感じたその気持ちは、誰かに遠慮するものではありません。

私は、「いいな」と思うことを増やしたい。
少しでも心の琴線に触れたものに、
正直に「いいな」と感じたい。

そうして積み重なった「いいな」を
なりたい自分や目指したい未来をつくる原動力にする。
そうした先にある自分自身も
「いいな」と思えて、好きになれる。


noteもたくさんの「いいな」を感じられる場所です。
私は「いいな」と思う方を尊敬し、
自分が「いいな」と思える文章を書き、
誰かが綴った「いいな」と思う言葉に、
ささやかながらスキを送りたいと思います。


おまけですが、明日(投稿時間では今日になってしまいますが)1月18日は、「いいや」の日、
と語呂合わせで勝手にちなんで、
自分が無理していると思うものは思い切ってやらないと選択する、その勇気も大切にしたいと思います。

2023.01.17 深夜

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