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天才

天才の反対って平凡だと思うけど、真面目の人たちって、真面目に努力することを平凡さと思ってる...?もしかして

とか言ってる奴がいたんですよ〜

なぁーにぃー!?やっちま(ry


天才の反対は平凡とかいう単純な話じゃなくて、天から与えられた才をこの次元でどう扱うかってところにどうしても努力の要素が入ってくる
才を潰さず財にするには、才一本ではやってけないわけ



って書いちゃったんで、仕方ないから書きます。なんやこれリンク1個しか貼れないやんけ。


鬼ツッコムからな。

私は天才なんですよ。天から与えられた才を持つ。

誤解しないでほしいのが、天から与えられた才を持つのは私だけじゃないというところ。誰でも持っている。ただ、何の才を持っているかが十人十色。絵とか歌とか料理とか笑いとか多種多様。

あと天才が評価を得られるとは限らない。鳴かず飛ばず、どうにもならないような才を持つ場合もある。ただどんな才でも鳴かせて飛ばすやり方は多分ある。

そして、天才とは1強って意味じゃない。絵の天才が五万といたりする。




天才の反対は平凡か

天才つまり天から与えられた才、これを持ち合わせてないことを平凡と呼びがち。

だけど本当のところ、才がひとつも無い人間っていないのよ。誰でも何かしらの天才。

つまり、天才の未発掘が平凡。天才の持ち腐れこそが平凡。見つけらんない、掘り出さない、掘り出そうとも思わないで放ってる状態を平凡と定義できる。

「好きこそ物の上手なれ」とは言ったもので、好きという想いは才を発掘するセンサーになりうる。が、センサーが反応しても掘らなければ発掘には至らない。掘れよ、天才になりたきゃね。


平凡とは

平凡とは、凡そに平たいこと。つまり世にありふれて平均的なこと。抜きん出ていないこと。

持って生まれた天の才を、掘り出さず磨かず埋めたままなら平凡だな。才能は眠ったまま。

原石を石ころたらしめるその振る舞いが、平凡を平凡として保つ。


真面目とは

真面目とは幻。

“真面目さ”というこいつは尺度でありながら、目盛りを持たない尺を取る。

私の普通が貴方の真面目。裏を返せば、あなたの普通が私には怠惰に見える。

こんなふうに“普通程度の真面目さ”という基準がそもそも人の数だけある。

「真面目」という曖昧模糊を極めた言葉で他者をラベリングする意図を問いたい。


努力とは

努力とは目標実現のために励むこと。

目標を実現したけりゃ、真面目でも不真面目でも励むやろがい!

目標に対して怠惰なのは、実現したいという意識が薄いだけ。

念のため言うけど、良い悪いとかない。目標の質とか実現にかける意気が違うっつーだけ。


真面目に努力することを平凡だと思うか

ここ、何言ってるかぜんぜん分からない。

平凡さから天才をぶち抜くべく労するのは、ただ目標実現のため。この天からの才能を掘り起こして磨いて、何かしらの結果を残すために、労する。その労を努力と定義する。

目標を実現するぞー!って意気を持ち、天からの才を磨き尖らせていく。

そこに、まず本人がどんな性質かというのはあんまり関係無いね?努力するのは真面目でも不真面目でも同じこと。

そのうえ、真面目さ不真面目さという極めて個人的な基準で、自分より勤勉な人に真面目とラベリングしたんだろうけど……意図が見えない。

どんな性質の人であっても目標を掲げていいし、実現したい気持ちが強ければ実現に向けて努力するだろうさ。

つまり、真面目と努力には本来関連性が無いの。

「真面目だから努力をする」「真面目じゃないから努力できない」は、煙のような思い込み。

その思い込みがどっから来てるか知らんけど、実態がないものを定義ぶって扱ってるところにそもそもの難がある。

努力は、目標実現のために誰でもする。できる。していい。


天の才を財にするには努力の要素を避けられない

天から与えられた才が何かは人それぞれだけど、それを財産(お金でもあり、それ以外でもある)にするには努力の要素が避けられない。

例えば絵の天才。絵が得意だなと思うだけじゃなくて、実際に手を動かして絵を描かなきゃ天才かどうか傍目に分からない。

描かないことには物として存在しないし、天才が発揮される場が存在しないなら凡人と区別がつかない。平凡である。

凡庸さから抜けるには、才を“すぐれた点”として現す必要がある。

これは何の才を持ってても同じこと。行動しなきゃ。他者に認識される程度にはやらなくちゃ。じゃなきゃ有るのか無いのかわからない。


まとめ

天才の反対って平凡だと思うけど、真面目の人たちって、真面目に努力することを平凡さと思ってる...?もしかして

天才の反対は平凡じゃない。天才の前段階が平凡。

真面目は幻、非常に個人的な尺度。極めて恣意的な基準。

努力することは平凡じゃなくて、平凡から一抜けして天才を発揮するための過程。それには真面目も不真面目も関係ない。

努力ができないのは、不真面目だからではなくて実現したい目標が無いから。あるいは、目標に対して実現したい気持ちが乏しいから。簡単に言うと「本気度が低い」。


だからこそ、天才ほど「この才一本ぶち抜くぞ」っていう気概があったりする。知らんけど。

私の推しぴのDJ松永さんとか、そうですね。

天才の、天才ぶりが発揮されるには、努力。

天才の持ち腐れを平凡と言えるなあ。って話。


私はこの才能が無かったら社会で生きていけないから、天の才をフルで財にすべくこうして必要に迫られて努力をせざるを得ないんだよ。あんまなめんな。平凡のまま生きられるって幸せじゃねーか。

努力を重ねてまで才を磨く必要が無かったんでしょ。そのままで満たされてるってことじゃん。

じゃあね。

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