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どうやら生まれる次元の選択をミスったっぽい。

装備が不十分な感じだと気づいたのは、物心ついたあたり。

その不十分さも実に中途半端だったので、なあなあでやってきて今に至る。プレイ時間およそ30年。


ここに生まれてきたのは、ここのルールを楽しむためだというような話を耳にした。

テーマパークで絶叫系に乗るように、一見最悪そうなアレコレすらわざと楽しみに来てるらしい。



しばらく前に、VRゲームを体験させてもらう機会があった。

VRゴーグルを装着して立つ。

すると(ゴーグルをした)目の前にエレベーターが現れる。乗り込む。

ぐんぐん高度を上げて停止したエレベーターの扉が開くと、空中。に延びる鉄骨。の先に子猫。

助けにいけと告げられ、恐る恐る歩を進める。

抱き上げたら一安心。

ではなくて、引き返さなければいけない。

とかいうVRゲームをやらされたんや。なんでだよ。


そんなふうに、わざわざスリリングなことをやりに行く。楽しむ。

これがゲームをプレイするということ。


人生というものもゲームらしい。

ゲームにはルールや縛りがある。何でもアリでは成立しないからね。途端につまらなくなるから。


私はぷよぷよとかテトリスとかパズルゲームが好き。

でもやりまくって熟練してくるとぬるく感じて、ハードモードを求めていく。

縛りが多いほうがおもしろい。

そういうこと。


パズルゲームは難しく感じる場面で、視点を変えると驚くほど簡単にクリアできることがある。

そういうことだ。

ちなみに視点を変えること、つまり思考の転換を「パラダイムシフト」と呼んだりする。気がする。



“制限やルールの多い縛り地獄であり、その中で僅少な喜びや感激に光を見出す楽園づくりの作業でもある。 還るときにわかる、地獄の中に自分がどれだけ楽園を築いたかということが。 できれば楽園だらけでクリアしたいってこと!”



上手くいくから楽しいのではない。

一見して上手くいっていないように感じることを、どう楽しめるか。

あるいはどの視点から見れば“よしとする”ことができるか。

こういう発見を楽しむことこそが、ゲームの醍醐味だと感じる。




余談だけど、パスドラをただのなぞり作業にまで落としてくれるアプリかなにかがあるらしい。

人生というゲームに例えたら、墓穴の掘り方を教えるサービスといったところかも。

ゲームの終了=寿命を終える時、とすれば。

おもしろすぎて笑っちゃう!

ラクな人生、やる意味ある?ってこと!



楽園づくり地獄ゲーム、神ゲーかも。

またね。





立て込んでる時ほど部屋の片付けに気が向くように、

締め日の連続でマジギリすぎてやべぇ時ほど思考整理に意識が向くよね。

それで更新が多い。頭の中掃除してる。



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