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026.incの創業秘話

まず初めに、私のパーソナリティをお話しするために、軽く学生時代の話をさせていただきます。

中学・高校時代はサッカー少年

学生時代はThe・サッカー少年でした。帰りのチャイムが鳴ったら誰よりも早く校門を飛び出して、家に帰り、サッカーボールと水筒を持って公園に行き、クラブの練習に通っていました。

サッカーは、ゴールを決めるのはもちろんですが、何より組み立てるのが好きでした。低身長ながらサイドバックとトップ下あたりをプレーエリアとし、ゴールへのプロセスをいかに面白く、アートにするかばかりを考えてました。

一方で、家系はというと、祖父が会計事務所を経営、叔母がサンフランシスコで起業など、割と自分たちで事業を作る家系でした。特に、私は祖父大好きな子供でしたので、仕事中も引っ付き周り、よく商談の横で麦チョコを食べてました。

大学時代で渡米後に変化

大学生になって、サンフランシスコに約1ヶ月いきました。当時は大学3年生でゼミ活動が始まったばかりでした。ゼミは起業アイデアコンテストや地元企業の経営支援をするような環境でした。起業アイデアコンテストに関しては、4人グループでアイデアを出し合い、内容を作っていくのですが、そのメンバーに「来週からアメリカ行ってくる」と急なカミングアウトをかまして旅立ちました。当時は申し訳ないなと思いつつ、サンフランシスコでの経験は今しかできないと思い、すぐに決断しました。

サンフランシスコでは、叔母の家に滞在してました。家族は外国人ですので、やり取りは英語です。テキトーな日常英会話で日々アメリカンチックな食事を食べてました。昼間は、外出です。サンフランシスコ市内はもちろんいきました。ただやはりビジネスの現場の空気感を感じたかったので、叔母が経営している会社にいったり、Googleや facebookの本社を見に行ったりしました。叔母の家がサンノゼというエリアで、シリコンバレーまではチャリで1時間ほどでした。なので昼間はチャリを漕いで、いろんなところに行きました。特にGoogle本社は魅力的でした。何より、社員が自分の仕事に誇りを持ち、パソコンでコードを見せ合いながらアイデアをぶつけ合い、良いと思ったらハイタッチでコミュニケーション。そのような、自分が関わるサービスに想いを持って取り組む姿には、感銘しました。

さて、サンフランシスコから帰国して、ゼミに戻り、起業アイデアコンテストも中盤に差し掛かり、これからプレゼンに向けてより具体化していくフェーズでした。サンフランシスコの経験もあってか、好奇心と熱量の塊となって、ひたすらにアイデアを出し、議論し合いました。大学卒業してから友人に聞いたのですが、サンフランシスコに行く前といった後は、別人だったようです。笑

社会人スタートは不動産業界から

社会人になって、不動産ベンチャー(とはいえ、従業員1,000人オーバー)に入社しました。地図に残る仕事をしてみたいなと思っていたので、不動産の営業をキャリアスタートにしました。一応、学生のうちに宅地建物取引士の資格を取得し、入社祝い金ももらいました。笑
いざ入社して、約2週間の研修を経た後、配属先が決まりました。「営業企画部…? なにそれ?営業じゃないの?」と衝撃をうけた通達でした。実際に何をしたかというと、これが実は今の仕事に繋がっています。

営業→プロマネ業へ

初め1年は営業活動ができました。本社で最速契約をいただいたり、社長の目の前の仕事で何か止めをつけられたり、良くも悪くも充実した一年を過ごしました。その後、CRM導入や事業計画システム刷新のプロマネなどを経験しました。なぜこんなキャリアになったかというと、入社前にお世話になった人事の方に「将来はITにも関わりたい」と強く伝えていたからのようです。その背景もあった中で、あるときに勝手に自分の顧客分析や営業分析をエクセルで行っていたのを上司に見つかりました。後ろから肩トントンとされ、「やべ、怒られるか?」とビクビクしてたところ、「ちょうど似たようなことを始めるんだけど、やってみる?」と言われ、プロマネ業がスタートしました。その会社は営業力に自信があったものの、システマチックに管理できずノウハウが属人化する傾向がありました。営業力の底上げを目的に、CRM/SFAの導入からスタートし、私は主に全国を飛び回り現場のヒアリングから基本的なシステム設計、導入支援まで一貫して行いました。そのあたりから経営層と近いポジションで仕事をさせていただいて、IT戦略まで携わらせていただきました。そこから、「事業に関わる×ITを活用する」ことに魅力を感じ、いざ独立しました。

独立後の初上流工程は至難ばかり

独立して最初のお仕事は、某チケット会社の経費精算システム刷新プロジェクトの上流サポートでした。これが大変で、物とお金の動きを正確に理解しないといけないプロジェクトだったので、元々経費精算の仕事をしていなかった私にとってはとても難易度の高いプロジェクトでした。当時は、業務フローすら正確に書くことができず、メンバーから叱咤激励をもらった日々でした。納期が近づき、朝の5時まで業務フローを書き、朝イチで松屋を食べてほぼ始発で帰宅という、THE・駆け出しのような仕事っぷりでした。それでも、仲間に助けてもらいながらなんとか上流工程を完了させました。
この経験は、物とお金の動きを学ぶのに最適でした。今でもこの経験が最高に活きています。

6ヶ月エンジニア経験で、技術への好奇心が爆あがり

この後、エンジニアの仕事を半年ほど行いました。
React、TypeScript、Laravelと、最先端のフロントエンド開発に携わりました。正直、エンジニアの仕事は面白かったです。必要な機能を洗い出し、効率よく実装するにはどう組み立てるべきかを考えさせられました。この経験は、実装方針をその場でパッとイメージして見積もりを作る能力にかなり活きています。

EC開発支援事業にどっぷり浸かる

その後は、もっぱらECに関わるようになりました。
ECは、面白いです。目標や課題が明確なクライアント様が多く、一緒にビジネスを作っていくパートナーとして、妥協することなく向き合えるからです。ECは、ヒト・モノ・カネ・情報を正しく整理し、あるべき姿と現状のギャップを見極め、優先順位を整理してアクションを起こすという事業づくりの基礎が必要になります。それをクライアント様と共にコミュケーションを取り、整理してアクションを起こしていきます。この仕事は、事業作りに携わりたい人にとっては、本当におすすめのお仕事です。

長くなってしまったのですが、こんな感じで、目指すゴールに向かって熱量を持って取り組める仕事が性に合ってるなと思い、今に至ります。

026は、事業づくりが大好きなシステム開発会社

株式会社026は、システム開発会社ですが、「事業づくりが大好きなシステム開発会社」です。私だけでなく、メンバーも好奇心が強く、サービス作りにワクワクして取り組んでいます。だって、自分の事業を作りながら、様々な事業の一端を担えるってこんな幸せなことありますか?なんて幸せなことなんだろうとつくづく思います。結果的に、事業づくりに関わっていたらEC系の案件が多くなっていました。

026の基本的価値観は、「好奇心×熱量」

私が考える組織の理想は、サッカー日本代表W杯でゴールを決めた瞬間みたいな一体感にワクワクできる組織です。026の基本的価値観は、「好奇心×熱量」です。サッカーで言えば、どうゴールまで結びつけるか、どうやったら勝てるかを研究し、それにコミットできる想いを持ち続けること。事業が成功したらみんなでハイタッチして喜ぶし、上手くいかないことがあればブーイングを受けようがしっかり改善していく。そんなワンチームでいたいなと思っています。

026の基本的な姿勢は、「良い仕事をする」

026の基本的な姿勢は「良い仕事をする」です。
・お客様が喜ぶこと
・仲間が喜ぶこと
・工夫をすること
これに結びつかないことは、自己満足でしがないと考えています。

026のミッションは、「世の中に熱狂と感動を届ける」

私は、026で「世の中に熱狂と感動を届ける」をミッションとし、フルパワーで活動していきたいなと考えています。そのミッションを達成するには、自ずと事業づくりに関わることが増えます。自社の事業はもちろん、クライアント様の事業に本気でコミットしないと、そのミッションは達成できません。まだまだ、至らない点ばかりですが、それでも前に進むために、尽力して行きたいと思います。

以上、長くなってしまいましたが、026創業秘話でした。

026のホームページはこちら


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