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丁寧に生きるとは

高校時代、小西先生という古典教師がいた。
見た目は40代程のシングルファーザーで、出勤前に子供を保育園に預け、終業後に迎えに行っているようだった。
子供のものであろうアンパンマンが描かれた巾着袋を揺らしながら駐車場へ向かう姿が印象的だった。
小西先生は物腰がすごく柔らかく、言葉一つ一つを丁寧に紡ぎ出すように話をしてくれる人だった。
古典の授業の中でも"この言葉にはこういう意味もあります。昔の人はこの言葉にこういう思いを乗せていたのかもしれませんね。"とか、言葉の一つ一つを愛でている感じがすごく好きだった。
小西先生の言葉でよく覚えている話がある。
"私は言葉を集めるのが好きで、特に言葉の化石を探しています。例えば、下駄箱という言葉ですが、下駄という名詞は現代ではすでに使われていません。ですが下駄箱という言葉の中に入り込むことで長い年月の間使われ続けていて、現在も残ってる化石のような言葉です。私はそういう言葉を集めていて、もし皆さんも見つけたら私に教えてくれたら嬉しいです。"
言葉への向き合い方が本当に素敵な人だと思った。
一方で小西先生は厭世的な雰囲気を纏っており、授業中にぼそっと”生きているとつらいことが多いですね”と漏らすのを聞いたこともあった。
目の前の生活を必死に営みつつ、だからこそその中で幸せを丁寧に掬い取っている人なんだなと感じた。

最近、丁寧な暮らしとかいう言葉になぜか反抗したくなる自分がいる。
丁寧な暮らしというのは、無印のコットンシャツを着ておしゃれなBGM流してコーヒーをすすることではない気がする。
感情をかき回されながらも必死に現実と向き合って生きていくなかで、日々の生活や出会う人間、自分自身に対して丁寧に向き合っていくことなんだと思う。

小西先生、元気してるかな。
ネットでフルネームを検索してみたがやっぱり意味はなかった。


今日は載せる写真がなかったのでモノクロで家の中を撮ってみました。

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忘れられない先生

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