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主体性とはなにか?僕の感じる違和感

主体性とは、自ら行動する能力や意思を指す。
ウェイコンを立ち上げてみて感じるのは、自ら行動できる人とそうでない人との間に大きな差があるということ。何が起こっているのかわからないけれども、僕からすると理解できない存在になっている。適切な例が思いつかないのですが、僕の感覚としては、例えば暑い部屋に放り込まれた場合、普通なら温度を下げたり出て行ったりするはず。これは、仕事や給料など不満がある状態で、自分の人生や動きに対して積極的に取り組もうとしない状態を指しています。でも、彼らはなぜか熱くないフリをする。何なら我慢しだすんです。何故・・?暑い部屋への対処法は、「クーラー」かもしれないし、「扇風機」かもしれないし、「アイスキャンディー」「そもそも部屋を破壊する」なのか、それは動いてみないとわからない。自分の能力や人脈、縁などを活かして、その熱い部屋から出る手段は万通り存在する。しかし、なぜか彼らは行動しようとしない。僕からすると熱い部屋で我慢してても人生は変わらないし、楽しくないから一緒に出よう!と言っている感覚が何となく伝わってるけど琴線に響いていない感じ。難しい。

ウェイコンって、金銭的な自由を目指すのはそうなんだけど、自己実現の場だと考えています。それは面白さや場所、金銭的感覚などの要素があります。色んな人に相談すると、「まず山田君が暑い部屋からでないと」暑い部屋から出ない人々を放置し、出ようとしない人々を捨て去るように言われます。出ようとしない人を組織に入れないためにも、例えば、自分で魅力ある企業を見つけ出し、その株を買うという入団テストをしてみてはどうか?と提案されました。これができる人材は、自ら動き出し、リスクを冒す覚悟があります。しかし、暑い部屋から出ようとする人々の数は少ないです。そういう人々だけを集めて、暑い部屋から出る方法を試みることは論理的には正しいかもしれませんが、その人材が少ないため、組織が大きくなると出ようとしない人々が多数派になります。このような場合、その集団を放置するのか、救い上げる?のか、どちらがよいかよくわかりません。

5月中に判断するつもりですが、暑い部屋から出ようとする集団だけでやるのか、我慢する集団も含めてやるのか、迷っています。個人的には、後者でもうまくいくと信じていますが、時間がかかりすぎるようであれば、出ようとする集団だけで進めるのも考える必要があるかもしれません。最近、多くの人からそう言われているので、心が揺れる瞬間もあるのが正直なところだと思う。動き出してみると世の中は広い。本気で少数精鋭でやろうと思えばきっと人材も集められる。ウェイコンを始めたきっかけに「このワクワクをみんなにも体験してほしい」という願いがある。最近旧友と喋った。昔はしょうもないことで笑ったりしていたのに、彼の言葉が全て宇宙語に聞こえた。何もかもの価値観が合わない。金銭感覚、会社の愚痴・・。あそこまで遠くなってしまうと僕は何も言わなくなったし、言う気も失せた。少なくとも、僕は他人の人生生きて他人を批判するような人とは相いれない。でも、きっとこれは彼とあまりにも住む世界が離れてしまったことが原因だと思う。色んな人が「山田くんが先に暑い部屋からでたらいいんだよ」と言うが果たして正しいんだろうか。自分の性格を考えると、本当に自分が先に出てしまうと今の仲間を平気で捨てる(暑い部屋を出た後、さらに何かを志向して理解できる人間をまた誘うため)。資本主義的には正しいのかもしれないけど、それ以前に何かが違うような気がする。

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