「ニコライの日記」

ニコライとは、東京・お茶の水にあるロシア正教会のニコライ堂の創設者であり、維新後の日本で身命をかけて布教活動に生涯をかけたロシア人僧侶のことである。

岩倉使節団に関する書を読んだその延長線で、当時の日本を外国人がどのように見ていたか、という視点で本を読み始めた。その2回目。日本の地方の現状が、ニコライの説教活動による出張のおかげでかなり詳しく描写されている。又、秀吉の故事や、西郷隆盛崇拝など、耳学問であろうがよく知っていることには驚かされる。
ロシアから日本へ行く英国船で見聞した中国労働者への英国船員のむごい扱い(辮髪を竿に縛って切符の有無を調べる)や、中国の豊かな未来像を想像しているところは彼の優しい性格を思わせる。
以下、私に印象を残した記述を記すと;
・    西郷の挙兵と死を「瀉血」と理解。
・    日本の信者への重なる不満。経費を含め自立精神がないと批判!
・    北関東や東北、更には最初の土地である函館だけでなく、中部、関西、山陽、山陰、九州等日本全国をくまなく宣教している。カソリックやプロテスタントの競争。彼らの母国が先進国として日本から評価され布教に便利なのに対して、日本人のロシアへの低い評価を嘆く。
・    沢辺(土佐)の反教会的動きへの怒り。ニコライは怒りやすいことを自認し、抑える努力に努めていることが日記にたびたび登場してくる。尚、この沢辺は坂本竜馬とともに土佐藩を一緒に脱藩した者である。曲折を経て正教会で重要な役職についている。
・    1869年、信者は3人。10年後は4,000人。89年には15,000人。
・    布教に耳を傾ける庶民の中に潜むナショナルな気持ちへのニコライの注意。神道への警戒心。

「日本人が教会に通うのは専ら教育を受けるため」(米国人宣教師)を引用しているのは、ニコライもそのように日本人信者を理解しているのであろう。


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