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わたしが死んじゃうまで

メンタルが消しカスだった時の文章がだいぶ面白かったので供養しておきます。


甘ったれたことをずーっと考えてる。人の心の柔らかいところには鈍感に踏み込もうとするくせに、自分の心のぐずぐずなところには決して触れられたくありません。わたしの泣いちゃいそうな話題はできるだけ退けたいし、自分の都合のいい時に会いたい人とだけ会いたいし、わたしのこと好きな人とわたしのこと拒否しない人とわたしのことバカにしない人だけが好きだし、ちょっとでも見たくない顔たちは全ての繋がりから一斉削除&ブロックしちゃいたい時があるのです。どうせみんなわたしのSNSしか知らないんだから、一度切っちゃったらそれまで。かんたんに、ハサミでぷつん、みたいな? まあそんなことしたら、わたしは寂しくて寂しくてきっと死んじゃうんでしょう。だからしません。それにわたし、理性は保てる方なんです。嫌なことがあっても、人並みには……必要な時には人並み以上にだって我慢できるし、顔とか態度に出さないように振舞えるんです。すごいでしょ? ずっとそういうふうにしてきたから、簡単にできます。結局のところ、いい顔しいなんです。
それはそうと部屋が片付けられません。人間には掃除型と料理型の二種類があるとはよく言ったもので、わたしは確実に後者ですね。あーあ。小さい頃から母に、こんなんじゃ汚部屋の住人になってしまうよ、ほら見て、と汚い部屋を片付ける特殊清掃員のドキュメンタリーを見せられていました。こういうふうになっちゃだめ、ちゃんとしなさい、と言われてきたけれど、ああ、わたし最近全然ちゃんとできてないよ。もちろん部屋は片付いてないし、適当なご飯を適当な時間に食べて、嫌なことが断れなくて損ばっかりみて、まいにち自分を追い詰めて、夜は日記もつけられないくらい疲れ切ってベッドに倒れ込んじゃうんだ。気がついたらもう陽は高くのぼっていて、そういうときに自分にいっとう絶望する。悲しいことに大丈夫なふりすることだけ日々上達していて、わたしがやりたいことって何だっけ? これって、お母さんとお父さんの期待していた、ちゃんとしているわたし、とはずっとかけ離れているよね、ごめんなさい。想像できないくらいお金と手間をかけてもらって育ててもらっているのに、もっと想像できないくらいの迷惑をかけてるよ。小さい時の色んな失敗を今でも毎晩思い出して、布団の中で心臓がばくばくするんだ。きっとこんな娘は失望されてしまうね。本当は顔を見るたび、電話するたび、連絡が来るたび、謝りたくてしょうがない。
ほんとうに言葉にしたいことは、どんな時も誰に対しても口から出てこないんです。わたしの口から飛び出すのはいつも、適当なおべんちゃら、人がわたしに求めていそうな言葉、「わたし」という着ぐるみが喋りそうなこと、そういうのを想像して頑張って言語化したあれこれで、ほんとうに話したいことなんかこれっぽっちも伝えられている気がしないんだ。
大学の勉強を3年間なんとなくやってきて、ひとつ悲しくなったことがある。幸せになる方法は、究極的に考えればひとつしかないらしいのです。この幸せって、散歩をして自然を浴びて感じる一時的な心の満ち足りた様じゃなくて、絶対的な、神的な、尊いやつ。ずっと昔の、世界中の哲学者の本をちょっとずつ読む勉強をしてるけれど、みんな同じことを違う言葉で説明しているように読めてしまう。そしてその絶対的で神的で尊い真理には、こんな腐った文章をこたつにもぐってねちねちSNSに垂れ流しているわたしなんかが到達できるわけはなくて、つまりわたしは幸せにはなれないのです! どこから間違えてしまったんだっけ。思い出せない。嘘をつくのが上手になった時から? 手を抜くことを覚えた時から? 大丈夫じゃないのに大丈夫って言ってしまった時から? わからないから教えてほしいよ。全部の分岐点で間違え続けてる気がする。
幸せの絶頂にいるときに死んじゃいたいって物心ついた時から考えていたけれど、最近はもっとそんなふうなことばっかり考えていた。でも幸せになれないなら、そんなの関係なくなっちゃうね。いつ死んでも一緒だ。

2022.01.22

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