見出し画像

選択は続く、どこまでも

 こんにちは、お元気ですか。
 私は5月の終わりに、大学卒業後に進む道を選択しました。選択までの1年弱、私が考えたことや出会った人のことを書き残しておきます。
 あなたはいつかこれを読んで、かつての自分に起こった変化を思い返してください。なにか役に立つかもしれません。立たなかったらごめんね。

大学3年生 夏

 大学3年生の夏以降、私はたくさんの大人から人生の選択について話を聞きました。そのとき私は、学校の先生になるか、一般企業で働くか迷っていました。あと、大学院への進学も。

 私をたくさん支えてくださったある人が言いました。

私も学校の先生になろうと思ってんだけどね、自分のやりたいことは ”教える" ことじゃなく "支える”ことだと気づいたんだ。

なるほど。教え導くことと、人を支えることは違うのか。
私がやりたいことは、”教える” なのかしら?

 また、ある人が言いました。

私は新卒の段階では一般企業に勤めると決めたけれど、いつかは先生になるつもりだし、いつかは大学院にいくつもりだよ。今じゃなかっただけ。

大学卒業後の道を決めることは、他の選択肢を捨てることじゃないんだ。
私が「今」やりたいことはなんだろう?


   またまた、ある人が言いました。

私は今20代の間に、大学院へ行って、NPOで働いて、学校の先生にもなったよ。やろうと思えば、意外とできるんじゃないかな。

まじか。

   またまたまた、ある人が言いました。

私は今年30歳になったけど、がむしゃらに挑戦できるは20代のうちだけ。
家族ができたり、場合によっては子どもを産んだりして、自分のことだけでは生きていけなくなるよ。それは悪いことじゃないけど。

何歳になっても挑戦はできる。でも、挑戦しやすい年齢というのは、確かにある。
私は、私の20代をなにに使おうか?

 たくさんの問いが生まれた夏でした。3つあるレールのうちの、どれを選ぼうか。たくさんの問いによって揺さぶられました。

まあそうは言ってもさ、なんとかなると思うんだよね。そうつぶやいた私に、友人が言いました。
「そうやなぁ。でもなりたいようになりたい」

うわ、確かに。かっこい。

大学3年生 秋

 教育実習に行った私は、「大学卒業段階では、先生にはならない」と決めました。今でも「なぜ先生にならないの?」とよく聞かれます。
 その場にあわせて、いい感じの答えを返してみます。もちろん、そのどれもが本当です。でもあの時の私をあっさりと選択させたのは、とてもとても単純な気づきでした。

 私の実習は、とても恵まれていたと思います。指導してくださる先生を尊敬していたし、1年2組のみんなはかわいくてかわいくてしょうがなかった。実習仲間はみんな真剣で、私だって真剣だった。
 ただ、本当に夢中になれる瞬間が来なかったのです。常になんとなく距離を感じてしまって、少し冷めてしまっていて、「ああ、今やりたいことじゃなかったんだな」と思いました。

 私のやりたいことは、夢中になれることは、どこでできるのだろう。そう悩んでいた私に、ある人が言いました。

起業は考えてないの? 自分で、自分のやりたいことができる場所をつくればいいじゃない。

え、起業? 考えたことないし、正直そんなに魅力も感じてないな。
でも、どうしてだろう?

大学3年生 冬

 私の悩みは続きます。
 先生をやめたはいいものの、一般企業で働くか、大学院へ進学するか。どちらもを並行させながら、卒業論文に頭を抱えながら、毎日が過ぎていきます。なぜか後輩から「結局ゆづきさん、進路はどうするんですか?」とくり返し聞かれます。ほっといてくれ(笑)

 誕生日おめでとうと伝えてくれたあの人は、電話越しにこう言いました。

個として、強くなれ。


   書初めでは、「一歩を生み出す」と書きました。書道の先生は、じっと見て、黙ってうなずきました。字形に満足したのか、私の決意のようななにかを感じ取ったのか。

 次第に、私の心は大学院進学へ傾いていきました。理由やきっかけはもう思い出せませんが、戦争や平和のことが1番の関心ごとである私にとって、それは自然なことだったのかもしれません。

大学4年生 春:4月20日

 大学院へほとんど心が傾いていた私に、ふたつの転機が訪れます。
 奇遇にも、そのふたつは同じ日にやってきました。

 ひとつは、聴講していた大学院の授業で、ある人に出会ったことです。
 その人は東北にルーツを持たないにも関わらず、アートを通して3.11の記憶継承に取り組んでいました。彼女は、私にとって、ひとつの「答え」でした。もともと自分の答えなんて持っていなかったくせに、そう確信しました。
 漠然と大学院に行けばやりたいことができると思い始めていた私は、自分のやりたいことが研究であるのか疑問を持ちました。自分がどうしたらよいか分からなくなりました。
 とにかく、その人は言いました。

昨日ちょうど丸木美術館にはじめて行って、すごくよかったんです。
これだ、と思いました。


   もうひとつは、一般企業の最終面接を受けたことです。面接をしてくださったある人は、内定を出すと告げてから、私にこう言いました。

大学院を受けたいなら、合格発表まで待つことはできる。でも残りの学生生活の過ごし方は、それで後悔しない?

 そうか、私、いつかは学生じゃなくなるのか。学生だからできることって何だろう。なににも縛られない空白の時間ができたら、私は何に使うだろうか。


 迷った私は、丸木美術館に行ってみました。
 ある人が言いました。

権威を持つことができない若い人は、新しい挑戦ができるという特権を持っています。

私は自分の特権を、どれくらい行使しただろうか。大学院へ行くことは、自分が今持つ特権を行使する前に、権威を獲得しようとすることにならないだろうか。

   私が今やりたいことは、なんだ
   もっともっと、見てみたい
   もっともっと、感じてみたい
   今はまだ知らないなにかに、身を浸したいの

そして、選択

 そういうわけで、私は大学を卒業したら、半年間フリーターをしてから、一般企業で働くことにしました。
 3つのレールのうち、どれを選んだのかはよく分かりません。なにせ、卒業してから半年間はやることが決まっていません。研究は働きながらも続けるつもりです。でも、企業で働くことも選びました。少ししたら大学院へ行きたいとも思っています。と言いながら、今は学校でインターンをしています。

 なにも選んでいないようで、選んでいる。
 なにかを選んだようで、選んでいない。

 1年間弱で、私はたくさんの大人から人生の選択について話を聞きました。そして、そのどれでもない道を選びました。ただどの大人とも共通していることは、「これからも選び続ける」ということを選んだということです。

 大人って、もっと安定していて、もっと迷いのないものだと思っていました。そうじゃない大人がたくさんいるのですね。
 不安定な大人は、学び続ける大人だと思います。学びによって自分を揺さぶる嬉しさを知っている大人なんじゃないかと思います。
 あ、これは私が大人だから知っているというわけじゃないですよ。私はまだ、大人じゃありません。

 少ししゃべりすぎてしまいました。とにかく私は、今の私が想像できないような未来の私であることを望んでいます。

 学びは続く、どこまでも

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?