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ビートルズ風雲録(14) カスバ・コーヒー・クラブ

母ジュリアの死はジョンの心に大きく暗い影を落としますが、クオリーメンの前進を止めるわけにはいきません。彼らはライブやコンテストに積極的に取り組みます。そして、一つの活動拠点に巡り合います。


1959年 カスバ・コーヒー・クラブ開店

1959年8月29日、カスバ・コーヒー・クラブ開店

1959年8月29日、この日、のちにビートルズの最初のドラマーとなるピート・ベストの母モナ・ベストが経営する会員専用クラブ「カスバ・コーヒー・クラブ」が開店しました。
彼女はエプソン・ダービーという競馬レースで勝ち、その配当金でここの土地と建物を購入していたのです。
このクラブは事前に会員権を売ってソフトドリンクやケーキ、スナック類を提供し、店内でライブ演奏を見せる「若者たちの社交場」といったものでした。
開店日にも、もちろんライブ演奏が用意されています。出演予定はレス・スチュアート・カルテット。ジョージ・ハリスンがギターを担当する4人組です。ジョージとともにギターを担当するケン・ブラウンは、当時のクオリーメンのメンバーでもあります。なんだか、小さな世界です。
しかし、カスバ・コーヒー・クラブは開店準備の真っ最中。ケンは店内装飾を手伝っていて、バンドのリハーサルをすっぽかしてしまいます。その結果、ケンは怒ったレス・スチュアートと大喧嘩。レスはグループの出演をキャンセルしてしまいます。
開店日にライブ演奏がないなんて! すかさずジョージがクオリーメンの出演を店側に打診。交渉成立です。
この時のクオリーメンのメンバーはジョン・レノン 、ポール・マッカートニー 、ジョージ・ハリスン、それにケン・ブラウン。
ジョージはジョン、ポールをつれてモナのもとを訪れます。
もちろんモナはメンバーを大歓迎。
しかし、店はケン・ブラウンとレス・スチュアートの大喧嘩のもとになった開店準備の真っ最中です。
来週がクラブの開店だというのに、地下室の壁のペンキ塗りがまだ終わっていません。しかたなくメンバー4人はペンキ塗りを手伝うことになります。
ジョンの美術学校の同級生、シンシア・パウエルもいっしょに手伝いました。
そして開店当日になんとか店内装飾を間に合わせた彼らは、初日のライブも成功させることになります。
ギター4人で、ドラムもベースもなし。しかし、2時間の演奏はたいそう盛り上がり、会場は息苦しいほどの熱気に包まれました。
この日のショーの成功により、クオリーメンは土曜の夜のレギュラーの座を与えられます。なんと連続7週に渡ってカスバで演奏することになります。
そしてまた、重要な出会いもありました。
その夜、彼らはニール・アスピノールとマル・エヴァンスに初めて出会います。
ニールはのちのビートルズのロードマネージャー。1968年にビートルズがアップル・コア社を設立すると、その代表を務めます。
マルは体が大きく、キャバーン・クラブの用心棒となり、のちにブライアン・エプスタインにスカウトされてビートルズのロードマネージャー兼パーソナル・アシスタントになります。
二人ともピート・ベストの友人で、その縁で会場に来ていたのです。
ひとつひとつの縁が、ビートルズに繋がっていくように感じられます。

カスバ・コーヒー・クラブは音楽ホールとして1962年まで営業。
現在はリヴァプールの観光名所となっています。
そのオリジナルの室内装飾は今も変わらず保存されています。
シンシア・パウエルが例の室内装飾を手伝ったときに描いたというジョンの真っ白なシルエット画も見ることができます。


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