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ビートルズ風雲録(7) ジョージ・ハリスン

そしてメンバーの四人目、「静かなビートル」と呼ばれた、ジョージ・ハリスンの登場です。

1941年 ジョージ、誕生!

ジョージ・ハリスンは1943年2月25日、リバプールのウェイバートリー地区のどん詰まり、アーノルド・グローブ12番地にある小さな家(テラスハウス)で生まれました(実際に生まれたのは2月24日という話もあります)。

父はハロルド、母はルイーズ。ハロルドはバスの運転手でしたが、かつてはホワイト・スター・ライン社の船員(ボーイ)でもありました。ホワイト・スター・ライン社は、あの「タイタニック号」を所有していた海運会社です。ルイーズはリバプールで働く店員でした。やはりジョージも労働者階級出身となります。
彼は4人兄弟の末っ子で、ルイーズ(1931年生まれ)という姉と、ハリー(1934年)とピーター(1940年)という兄がいました。

ハリソン家は1950年までアーノルド・グローブに住んでおり、その後はスピーク地区のアップトン・グリーン25番地に移りました。ポール・マッカートニーもこのスピーク地区に住んでいて、二人はスピーク地区とリバプール中心部の間を走る同じバスを使って学校に通っていました。

ジョージは小学生のときは成績優秀でしたが、1954年に進学したリバプール・インスティテュートの古臭い校風になじめず、学業はそっちのけでロックンロールに熱中していました。
兄のピーターとデュオを組んだジョージの担当楽器はウォッシュボード(洗濯板!)。ピーターがギター担当だったからです。しかし「やっぱりギターが弾きたい!」。
そんなとき、1955年の末頃ですが、ジョージは腎炎にかかって入院します。ある日、見舞い客の一人から以前のジョージの同級生がギターを売りたがっていると聞かされ、いてもたってもいられなくなります。ジョージは母に相談、お金を出してもらってそのアコースティック・ギターを購入。ついに自分のギターを手に入れます! ジョージはそのギターで懸命に練習しますが、安物だったせいかネックのネジをいじっただけで壊れてしまいます。ジョージはそれを戸棚にしまったままにしていましたが、しばらくして兄のピーターがそれを修理してくれます。ジョージは再びギターを毎晩練習! さらに同じ学校の生徒から中古のエレキギターを購入し、ピーターと友人のアーサー・ケリーとスキッフル・グループ「ザ・レベルズ」を結成しました。

そのころ、同じバスで通学していたポール・マッカートニーとはギターの腕前を競い合うくらいの仲良しになっていました。ジョージはポールに紹介されて、ジョン・レノンのバンド「クオリーメン」に加入することになります。

ビートルズ風雲録(8)に続きます。


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