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ガキの頃の記憶がフラッシュバックする(日記)

急に気温差が激しくなった日とか、前日に出かけた疲れが取れていない日とか、シンプルに体調が芳しくない時は未だに幼少期に傷ついた記憶がフラッシュバックしたりする(以前は体調とか関係なく普通に作業してる時とか仕事中にも突然フラッシュバックしてたのでマシになってるとは言える)。

例えば今日のはこんな感じ。
まだ小学校に入るより前の記憶。そもそも最近の良かった記憶なんかはすぐ消えるのにこんなに昔のいやなことに限ってずっと残っているというのもムカつく話だ。
母親は「自分が考える『世間的に良いとされている母親像』『外面が良く見える母親像』『世間的に育ちが良いとされる教育』」に固執している人間だった(と、自分が三十路にもなった今なら冷静に考えることができるけど年端も行かないガキだった頃にはそんなの分かるはずもない)。
子供である私が大切だからこうしてあげたい、とか、子供のためにこうしたい、みたいな考え方はしていなかったように思う。正確には一方的に「あんたの為にやってあげてる」とか言ってた気もするが、それはあくまでも「世間から見た『子供のためになにかしてあげている母親像』をやってる」だけで、本当に私のことを考えているとは言い難かった。家族という小さな社会にしかまだ属していないガキの環境がこれとか正直たまったもんじゃない。
前置きが長くなってしまった。で、まだ小学校に入るより前の、世の中のことも何もかもまだ分からない田舎のガキに「習い事をするなら水泳と英語と音楽とそろばんとの中でどれがいい」みたいなことを母親が聞く。そもそも私は「習い事をやりたい」とは言ってないし思ってもないが、「子供のために習い事をさせる」のは世間的に見て良い親とされるので「『子供である私のために、私のことを思って』習い事をさせてあげる」。
先ほど挙げられた習い事の種類だって何がなにやら分からない。どんなことをするのかとかも何も知らない。だけど私は選ばなくてはならない。それで水泳とエレクトーン(ここでピアノかエレクトーンかみたいな選択肢があったと思うのだが、まだ完成していないふにゃふにゃキッズの脳みそで判断を強いられてなんとなくエレクトーンに進んだんだと思う)の教室に通うことになった。
水泳は先生も厳しくなくてマイペースに通うだけだったので意外と嫌いじゃなかった。レッスン中は母親も別の場所にいて無関心だったので監視の目が無い感じも良かった。
エレクトーンは本当につらかった。教室自体は同い年くらいのキッズと歌ったり幼稚園の先生みたいなノリの先生が指導していたりで和やかなのだが、まだキッズなので付き添いで母親が一緒にいる。これがつらい。
家で練習しろとキレる。練習用のエレクトーンを購入していたから、高価なものが置物になるのはムカついたんだと思う。そもそも私は買って欲しいと頼んでないしエレクトーンを習いたいと思っていたわけでもないのだが何故か「あんがやりたいって言ったんでしょ!」ということになっている。習い事をやる前提で親(子供からしたら随分上の立場の存在だ)から中身もよく分からない状態で選ばされて「あんたがやりたいって言った」はもはや詐欺の手口だろと今は思ってしまう。
それでも、家で自分の望まない練習の時間を取ることや母親(音楽未経験で自分はよく分かってないのにキレるというところも私をイライラさせた)にキレられる、という以外について、エレクトーン自体はまあまあ興味深くて楽しかった。なので成長して集団の教室から個人レッスンになって、引越しをしてもレッスンは続けていた。まあやめたいと主張する権利は多分どっちにしろ私自身には無かったんだが……。
小学校3年で引っ越した先の個人レッスンの先生がめちゃくちゃ厳しくて、しかも厳しさにムラがあるというか圧をかけてくるというか機嫌が悪い日にキレる……みたいなタイプの人でものすごくつらかった。その先生はしばらくして鬱病で退職したらしいのでただただ「こっち側」の人だったのかもしれないが……。
それでも小学3年のガキの頃なんて大抵の大人は自分より立場が上で立派な存在だと思っている頃なのだからキレられるのはまあ悲しかったしつらかったしでよくレッスン室でも泣いていた。
親には当然そんなこと相談できない。辞めたいとは言えない。そんなん下手くそなお前が悪い、で終わり。私は守ってもらえないどころか親からもキレられ、Wキレられで損するだけだ。
でも本当にストレスで、遂にレッスンの日、行く直前に泣きながらゲロを吐いた。人生で初めてストレスの高まりで吐いたのであのタイミングで実績「ストレスゲロ」が解除されたと思う。小学生でストレスゲロの実績が解除されるなんて……三十路ババになった私からしたら(私の事ながら)普通に可哀想だ……。
小学校低学年の娘が泣きながらゲロ吐いてエレクトーンやだー先生こわいーなんて泣いてたらさすがに多少心配とか可哀想とか動揺するのが一般的な反応じゃないのか!? と、これも今なら分かるからそう言えるだけなんだが、それでも母親は「本当に先生がこわいのかお前の甘えなのか分からんから今日は一緒にレッスンを見に行く」的な対応だった。
この時に私はもう強烈に「私がどんなにつらくてもつらすぎて吐いちゃっても親は守ってくれない、味方してくれない」という記憶と悲しい感情を刻みつけられた。多分これがトラウマのひとつとして残っている。
事象はさまざまあるけどだいたい似たような感じでとにかく私の家族は私の味方では無い(むしろ高確率で攻撃に参加してくる)し守ってくれる存在では無いんだ、という実感とトラウマを積み上げていった。いろんなトラウマが、体調の良くない日に突然ぐおおと浮上してきてそのたびに私は悲しみと向き合うやつをやっている。
ちなみにこのエレクトーン付き添い回では先生が親という存在とクレームを警戒したのかいつもと全然違って優しかったので結局問題は解決しなかった。しばらくしてなんとか先生を変えることが出来、その先生は本当に優しくて10年以上お世話になった。今はもう連絡先も分からないけど親よりたくさん優しくして頂いたので穏やかに暮らせていることを祈るばかりである。

フラッシュバックの悲しみと向き合う時、でも今の自分は別に人に大切にされたいとか守ってくれる人が欲しいとかは考えてなくて(本当に、人間と関わりたくない)、親に優しくされたかったともあまり思ってなくて(いやまあ順当に平均的な優しさを持っている親だったら今手に入れられなかったいくつかのものが手に入っていたかもしれないから悔しいな……的な感情はある)じゃあ私が望んでいるものって何だ? と思った時、それはフラッシュバックで浮上してくる記憶の喪失と、親への復讐……だよな……という話になってくる。
記憶喪失が一番いい。今わりと毎日幸せに過ごしてるので、突然現れるトラウマの記憶たちを忘却することが出来ればかなり楽になる。でも記憶喪失って人為的に可能なのかよく分からないので実行できていない。
復讐も厳密には無理なんだが(親の現在の所在を知らない為)悲しかったことを伝えたいとかもはやそういう領域ではなくて、マジでムカつくから私がスッキリするためにやり返したいと思う。私がスッキリするために謝らせたいし、私がスッキリするためにぶん殴りたい。復讐は……何も生まないがやるとスッキリするんじゃぁ……。インド映画でもよくそう言っている(諸説あり)。
正直死に顔を見るまでこのフラッシュバックは癒えないと思う。でも葬式に行くかどうか(死んだという連絡が来るのかどうかがまず不明)分からないのでもしかしたら一生呪われたままなのかもしれない。やだー。

家族関係で幼少期にトラウマがある人でも家族を持ちたいと思っていたり、人から優しくされたいと考えることができたり、守ってもらいたいと思えたり、或いはお互いに優しくできる人と一緒になりたいと思える人達、まじですごいと思う。すごいし、えらいし、めっちゃ人間のこと好きじゃん!? ってビックリする。本当に人間が無理なので全然そんなこと思えないよ……復讐が一番の望みよ……。

世の中の人たちは意外とちゃんと人間を必要としてて人間のことが好きなのでえらい。

記憶喪失になれたらいいのになと思いながら今日もべそべそして過ごした。おわり。