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唯一無二にお金を払う

引っ越しの準備と仕事の引継ぎと通常業務で忙殺されてそろそろ息が切れてきたせいか、最近ある考えが頭を占拠している。

もともと30歳になったときに、なにかしら記念のジュエリーを買いたいなあと思っていた。思いつつそこから3年が過ぎ、その間にいわゆるハイブランドの貴金属は値上げに値上げを重ね、そろそろ本格的に手の出ない値段になっていきそうな今日この頃。

この3年間で学んだ。本気で欲しいと思ったら、そのときに買ったほうがいい(特にブランド品は)。

というわけで最近いろいろとお店を回っていて、そのあたりの話もいずれ記録に残したいと思ってはいるのだけれど、今日はその中で印象に残っているある指輪の話。

***

フランスのジュエリーブランド、Boucheronの有名なデザインに、キャトルというものがある。
フランス語で"4"という意味を持つ名前のとおり、素材や加工の異なる指輪が4本重なったような、独特のデザインである。

たぶん一番有名な組み合わせ(公式HPより)

で、私が欲しいなと思っていたのがこれのハーフ、つまり4本中の2本が分離したようなデザインのものだ。

キャトル ラディアント リング ハーフ(名前が長い)

細工がとても繊細で、美術品のような美しさ。それでいてエタニティ部分がとても細いので仕事中つけていても悪目立ちはしなさそうだし、素材的にはつけっぱなしも可能。
重ね付け前提みたいなところがある指輪なので、次の節目に別のデザインを買い足し、重ねたり別々につけたりするという楽しみもあって、記念として持つにはとてもよいお品だと思う。
実際お店に行って試着させてもらうと、手が一気に優雅になって感動した。

感動したのだけれど、お値段を見てふと冷静になる。
ものを選べば、ふつうに0.5~0.7カラットくらいあるダイヤの指輪が買えちゃう値段なのである。

いくら質の良いダイヤとはいえ、細いエタニティと地金のリングでXX万円というのは、よく考えなくても庶民には分不相応な気がする。

そこまで考えたところでふと気づく。ブシュロンにはもう1本、気になっている指輪があった。

キャトル グログラン リング スモール

見てわかる通り、キャトルのうち一番上の1本だけが分離した形である。グログランリボンがモチーフらしいけれど私にはどうしてもタルト型に見えてしまい、お腹の空くかわいさ。
石がついていないので、お値段も先ほどの指輪と比べるとだいぶ可愛め。


え、これとお手頃なエタニティを重ねたらさっきの指輪にならん???


……結論、ならんかった。

細身のエタニティリングを出してもらい(ちなみに本当に重ね付け作戦をとるとなればほかのお店でもっと手ごろな価格のエタニティを探す魂胆であった)、グログランと重ねてみたものの、キャトルラディアントほどの一体感がない。
ゴールドの部分がエタニティよりもだいぶ太くなってしまうせいか、なんとなくバランスが取れていないように感じる。もちろんこの組み合わせもとても素敵なのだけれど、先ほどのリングと比べるとどうしてもそう思ってしまう。

ならばエタニティをもう少し太いものにしてはどうかと思って試してみたら、ボリュームのある地金と迫力のあるダイヤが相まって、今の私の手では完全に指輪に負けてしまった。もう少し年を重ねて手に貫禄が出たらぜひ、検討したい組み合わせである。

なるほどなぁ、と思った。
このゴールドとダイヤの繊細な調和は、キャトルラディアントにしか醸し出せないものなのだ。たとえ同ブランドの、太さ以外は全く同じデザインの指輪を重ねたとしても。

グログランもそうで、実はその少し前にお手頃な宝飾店でそっくりのデザインのリングを見つけ、かわいいじゃーんと試着していたのだった。
お財布に優しい価格帯といえどきちんとした素材ではあったのでその指輪もよく光って、ジェネリックもなかなかよいな、と思っていた。けれどいざ本家をつけてみると、溝が作り出す陰影の繊細さやぷっくりとした曲線のなめらかさがやはりまるで違う。もしかすると遠目にみれば区別がつかないのかもしれないけれど、もっとも近くで見ることになる自分自身はずっと、細かな違いが気になるのだろうなあと感じた。

ハイブランドのジュエリーの価格には、いろいろな意見がある。私も、バッグやジュエリーが数年前より平気でウン十万値上がりしているのを見ると、複雑な気持ちになることもある。
石や地金本体の価格のほかにも、さまざまなものの値段が乗っているのは確かだと思う。広告費や一等地に広い敷地を持つ店舗の場所代、豪華な内装、うやうやしく差し出されるガス入りのミネラルウォーター、それ自体芸術品のようなボックスや紙袋。

そんなものにお金を出すのはばからしい、似たようなデザインであればそれでよい、ということであれば、ほかのもっと手ごろなブランドで調達することもできる。アルハンブラとかポメラートのヌードリングとかは特に、「それっぽい」ものを至るところで見るし。
倫理的にどうなの、という気もするけれど、ハイブランドのコレクションラインからリアルクローズ、そして一般のメーカーへ……とデザインが変遷していくアパレルの仕組みを見ていると、そういった行いはもう、ある程度普通になっている業界のように感じる。

でももし「本元」に惚れこんで、どうしても手に入れたいと思ったなら、その瞬間それはもう「お手頃な価格かつデザインも好きなアイテム」ではなく、単なる代替品に成り下がってしまう。

もし私がキャトルラディアントを買うとして、その対価を払う対象はゴールドやダイヤだけでない。質の高い素材というだけなら、もっと安価な選択肢がいくらでもある。むしろ、繊細な彫りや、天面のふっくらしたカーヴの連なりや、絶妙なバランスに整えられた幅や、なめらかな指当たり――その集大成として現れた唯一無二の意匠こそ、自分には分不相応な金額を支払ってでも、手に入れたいもの。そういうことなのだと思う。

普段からハイブランドに触れている人には当たり前のことなのかもしれないけれど、自分一人でジュエラー巡りをしてみて初めて、なぜ私はこれに対価を払おうとしているのか、ということを整理できた気がした。

たぶんこれって、人によって答えが違うんだろうな。
ブランドっておもしろい。

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ちなみにここまで語ってなんですが、どうやら今回はキャトルラディアント以外の指輪を手に入れることになりそうです。
その話もまた今度、書きたい。



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