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33歳、ジュエラー行脚で過去と未来にハグされる(前編)

先週から引き続き、指輪探しの旅の話。

先日の記事では探している指輪の条件にちゃんと触れていなかったけれど、一応以下のようなものが手に入ったらいいな、と思っていた。
お守りとしてずっとつけられるような、そんな指輪。

・右手の人差し指か中指につけられるサイズ
・特別感がある
・流行り廃りのないデザイン
・仕事中もつけられる
・ボリュームしっかり(何歳になってもつけられそうなもの)
・目に入るたびにときめく

いわゆるハイジュエラーの定番品なら、上記を満たすものが多そう。仕事中もふくめてずっと着けられるものとなると、地金だけのものがいいかな。石がついているとしても、メレダイヤくらいで。

そんなイメージで情報収集をし、いざお店へ。

まずは百貨店で、漠然と憧れを持っているブランドへ片っ端から入ってみる。ティファニー、カルティエ、ブルガリ、ショーメ、シャネルにブシュロン、ダミアーニ。なんかポケモン言えるかなみたいなリズムになってしまった。

いずれも、ふだんは前を通るだけで微かに緊張するブースである。ひとりで乗り込むのは最初勇気が要ったけれど、2、3軒こなすうちにだんだん慣れてきた。
これが欲しい、というものを決めて見に行っていたことが味方してくれたのだと思う。
なんとなく目の保養をしに来たという意識だったら、店員さんの「よろしければお手伝いを」という言葉にとんでもなくおどおどしてしまっただろう。なにせ、場違いなのを自分でいちばんわかっている。でも今回は場違いなりに、気に入るものがあれば購入したいと本気で思っているから、それなりに堂々と「こんな指輪を探している」と言うことができた。

そうしていくつかのお店を回るうち、少々方針の修正が必要になりそうだ、ということがわかった。
事前に設定した条件のうち、「目に入るたびにときめく」というのが曲者である。
どうやら私がときめく対象は基本、「石」らしい。

当初有力候補として想定していた地金のみの定番リングたちは、当然のごとくそりゃあ素敵だった。セルペンティのとぐろの、たっぷりした量感。トリニティの三つの輪が、するすると指をくすぐりながらすべっていくときの官能的な感触。ココクラッシュの潔いのに柔らかな彫りと、シルクみたいにとろりと滑らかな艶。

けれどたとえば婚約指輪を初めて嵌めたときや、ピアスホールをあけたきっかけのピアスに出会ったときのような、決定的な衝撃はそこにはなかった。これを人生のなかに取り込まずにはいられない、という渇望も。
ただ静かに、素敵なものはやっぱりとても素敵だなぁ、と思う、そんな感じ。

確かに持っていれば毎日が豊かになりそうだし、ずっと着けていられそう。
……でも。
でも、そういう意味で「素敵」なものは例えば、本当に欲しくなれば誕生日とかボーナスが出たとか、そういうタイミングでも買う理由にはなる。今回手に入れる指輪にはもっと、今の私にはこれ以外にはない! という確信が欲しい。
思ったより自分が、この節目を特別なものだと考えていることに気づいた。

そんなことを考えながら入ったブシュロンで、差し出された指輪にギャと叫ぶ。前回語りに語ったキャトルラディアントハーフ、そしてこちら。

セルパンボエム スモール ロードライトガーネット

前から気になっていた品で、条件には合わないけれどこの機会に……と出してもらったのだが、見た瞬間「カワイーーーッッッ」と黄色い声が出てしまった。ポメラニアンの子犬を見たときと全く同じ顔になっている自覚がある。

光を透かしていちごジャムのように甘やかにきらめくガーネットの赤色は、指に載せた瞬間あでやかな濃紅へと深まる。どちらの表情も柘榴石という和名にふさわしく、匂いたつような色香を湛えていて、いつまで眺めていても見飽きない。

はー、とため息をつきながら名残惜しくもそれを外し、もうひとつ出していただいていた地金のみのリングをつけると、一気に気持ちがクールダウンした。

そこで初めて自覚する。指輪をつける目的っていろいろあると思うのだけれど、私にとってはどうやら「石を愛でる」ということが、大きな目的になっているらしい。
考えてみれば、手持ちの指輪に地金のみのものはひとつもない。みな貴石なり半貴石なりがついていて、しかもそれらが主役のデザインになっている。そもそも今まで自分で指輪を買ったときの動機を思い起こしてみると、「この石かわいい! ほしい!!」というものがほとんどだ。

セルパンボエムをつけたとき、私の目線はぎゅっと「石」に寄った。思えば石付きの指輪をつけたときはいつもそうだ。土の中で形作られたことが信じられないような、奇跡のごとき色彩やきらめきやツヤや質感、インクルージョンによってできた景色なんかをひたすら、かわいいねぇうつくしいねぇ不思議だねぇ、と愛でてしまう。
石がほしいというだけならルースを買えばいい気もするけれど、でも、リングとしてつけるとなんだか、自分の指がミニチュアの美術館や博物館になったように思えるのだ。それがたまらない。

対して地金のみの指輪をつけると、視界が少し広くなり、指輪をつけた手全体が目に入る。私は自分の手の見た目があまり好きではない(手のひらが大きすぎるし、指は短すぎるし、爪の形も丸すぎる)。だからその分、石のついた指輪に比べて感動が間引かれてしまうのかもしれない(我ながらなんて理不尽な!)。

そういえば先ほどリンクを貼ったピアスの記事に載せている「ほしいものリスト」も、見事に石がメインのデザインばかりだな。なかなか根深い志向のようだ。

なんで石は単体で愛でられて金属はそうできないのさ、とおっしゃる向きもあろうが、そこは私にもよくわからない。すみません。
先程美術館の例えを出して思ったが、たぶん風景画と宗教画どちらが好きですか、というような話なんじゃなかろうか。

これはもしかしたら、石から選んだ方がいいのでは……?
そんな疑念を抱きながら、その日は百貨店を後にしたのだった。


(後半へつづく)


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