僕の始まりの部屋

他者のnoteで「#はじめて借りたあの部屋」のハッシュタグを見かけて、自分の初めての賃貸を振り返るnoteを書こうと振り返ったら、人に支えられ続ける人生のスタートだった。

大学を出たのは99年、国も認める就職氷河期時代。学校に籠もって制作に没頭し社会を知らない学生に仕事があるわけもなく、大学生という肩書がなくなると、ただのフリーターになった。
ずっと実家で暮らしていたのだけど、世間体からやっぱり居心地も悪くなり、「もう知ってる人の居ない地へ」ということで、突如脈略なく北海道へ向かった。

初めは知り合った人のアトリエに居候していたのだけど、その人がアトリエを移転するタイミングで僕もそこから退出。ここで初めて部屋を借りることになった。
住んだのは札幌のアパート。6畳の和室と6畳のダイニングキッチン、それとバス・トイレに駐車場が付いて3.5万だった。2F建ての2F、L字型のアパートの角の部分の部屋だった。

不動産屋さんのサイトを通して見つけた物件だったけれど、電話をすると直接大家さんの自宅に繋がった。

契約をする為にハンコ持っていった日、炬燵のある居間に通されると、書類を書いたらそこでそのまま夕飯をご馳走になるというスタートだった。五目寿司だったかな。
その上「アパートの住人に挨拶しなさい」と引っ越し挨拶用のタオルやら一式くれたりと至れり尽くせり。

頼る宛もなく、そもそも社交的でも無かったのにとても優しくしてくれた。

そんな感じで当時はお金が無かったから、北海道に行ってから仲良くなった友達を呼んでは、鍋パーティーだなんだと飯を囲んだ。皆適当に食材を持ってきてくれるから、一度開催すると一週間は食事に困らない。

簡単な仕事も、知り合った人たちが持ってきてくれて、小さな個人店のサイトを作ったり、お金持ちの人の趣味のサイトを作ったりして。そこから色々と広がって、竹中工務店さんやら、Docomoさん、角川さんの仕事なども携わるようになっていった。

友達も増えたし、皆が僕のわがままを受け入れてくれたし、愚痴を言っても聞いてくれるし、その上でちゃんと僕の悪い部分は優しく指摘してくれた。

でも、そんな居心地の良さにかえって物足りなくなり、そこから僕は東京に帰りたくなってしまう。甘えであり、完全なホームシック状態でもあった。

東京に戻ると北海道での実績が買われて、仕事を得る様になってくる。
そして、その延長線上に今があったりもする。

そんな振り返りをしつつ感じるのは変わっていない自分。仕事の取り方もそうだし、周りにいてくれる人たちはいつも優しいし、間違ったことはしっかり指摘してくれる。
ずっと僕は皆に頼り続けて生きている。

これからも変わらないし、ずっとこのままなのだと思う。
誰にも何も返せないんだけど、本当に素晴らしいことだと思っている。

#はじめて借りたあの部屋

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