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千夜一夜物語〜雪を血に染めた部族の男〜

8月25日はある部族出身の男の命日だ。2017年の夏、その男は夏の終わりを待たずしてこの世を去った。「Kurutteru」という日本語をひどく気に入り、女にそのあだ名を付けるいたずら好きで人を守る正義感だけで生きていた男だった。

その男と女の出会いは出会い系アプリだった。出会い系アプリの人気の波は中東でも押し寄せてきていて、特に欧米からの駐在者たちの間でカジュアルに使われていた。女は海外生活も4年近くとなり、ただ新しい友だちを探していただけかもしれない、仕事で会う人には日本人女性ということや肩書で自分を判断されてしまう、表面上の付き合いではなく、何者でもない素の自分との話し相手をただ単に探していたのかもしれない。アプリに登録した数日後に男から連絡があり、初めての利用で緊張しながらお互い連絡しあい、モールのカフェでお茶をすることになった。

待ち合わせて、カフェに入ると男はオレンジとパイナップルとマンゴーといちごの甘ったるそうなフルーツカクテルジュースを注文した。なんでも好きなものを頼んだらいいよと言われたけれども、女は甘いものの気分ではなかったのでカフェラテを頼んだ。

日本人に会うから弟の日本車で来たんだと、くったくない笑顔を見せる男に女はすぐに打ち解けた。お互い海外駐在経験や旅行が好きだという共通点があり、男がインドに赴任していた時の話や、旅で経験したこと、感じたことを話しながら、これからしたい夢を語り合って時間はあっという間に過ぎていった。これからシーシャ(水タバコ)を新調しに行くから一緒に行こうと誘われ、少しドライブをして、郊外の店でピカピカと電気が光るおもちゃみたいなシーシャを買った。

楽しいお友達の一人ができた、そう思っていた。お互いバイバイをして帰ったその日の夜、男の父が突然意識不明で倒れた。家族がすぐに見つけ急いで病院に搬送し、10分で病院に到着、心肺停止状態から一命をとりとめたが、昏睡状態が続いているとの連絡があった。突然のことで何が起きたのか、全くわからない。

二人はお茶をして未来を語りあって買い物に行っただけ。少しお互いいいなと思う部分もあったけど、まだこれから先のことはわからない、そう思っていた。

それから数日間、仕事から帰ってくると男から連絡があり、まだ父は昏睡状態だという連絡を受けた。何も食べていないというので心配で、せめて甘いものなら喉を通るかもしれないとチョコレートを持ってお見舞いに会いに行った。このまま帰らないで、そう二人の関係は始まった。

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空気の重たくしんどい2週間が経ち、父の意識は戻らないままロンドンに搬送されることとなった。9人兄弟のうちひときわ責任感が強い彼が仕事を休んで看病に付いていくこととなり、しばらくメディカルビザの発行で渡航手続きに振り回されていた。どんな煩雑な手続きも、ロンドンに行けば最先端医療を受けて、父は閉じているその瞳を開き、その瞳にこの世界を映しながら話し始める、たった一言でだって構わない、どんな音でも発した声を記憶に留めておく、そんな祈りとなった。

もともと航空会社のセキュリティの仕事で、ロンドン出張も毎月のようにあったので、ロンドンでの生活はすぐに慣れたようだった。1ヶ月半ほどして父の意識も戻り、ロンドンにいる友だちや親戚たちと集まっては楽しそうにしている動画や写真が送られてきた。夏に入り、女も仕事の休暇をとってロンドンに会いに行くこととなった。男は空港からの迎えや泊まる場所を手配した。

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ようやく女がヒースロー空港に着いた時、空港まで迎えに来ていたタクシーの運転手がそわそわしている。荷物をおいたら病院に行くよと告げられ、てっきり男の父がいる病院に行くものだと思った。アパートについても誰もおらず、彼はどこ?と運転手に聞くと、病院にいるからとそっけなく言い、またタクシーに乗せられた。病院に着くと無口な運転手が、ここにその男が入院しているとだけ言い残し去っていった。だって、5時間前にこれから搭乗するというときは電話口で元気そうだったのに。女は狐につままれるような気持ちで病院に入っていった。

受付に行くとICUに入っているから簡単は会えないと、男の本名、生年月日、関係性をしつこく聞かれ、ようやく病室を教えてもらえた。病室のベッドでは医師と看護師が取り囲んで緊迫した面持ちでなにか話しをしている。話が終わった医師に何が起きているのかと聞くと、専門的な用語がたくさん出てきて、とても重大なことが起きているということだけがうっすらわかった。分けが分からず、どうしたのか本人に聞いても本人もまだ混乱状態にあった。君が出発する時間だ、そう思った瞬間に意識を失って倒れていた、幸いにも周りにいた友達がすぐに病院に連れて行き、そのまま検査入院となった、と。

その時、二人とも看病疲れによる過労じゃないかと必死に笑おうとした。父が倒れて必死の看病からようやく意識が戻ったと思ったら、今度は息子が意識不明になるなんて、重い病が原因であるはずがない、まだ若くもある、さすがに神様はそんな無慈悲なことはしないと思っていた。女がロンドンに着くまで、男の父の容態が良くなっていたら、そのままロンドンで彼を拾って、一緒にヨーロッパを旅行しよう、そういう話までしていた。二人共倒れてしまった今、なすすべもなくロンドンでの数日間の滞在期間はあっという間に過ぎ、良くなる兆しも見えぬまま女はロンドンを後にした。

男はその後一向に検査結果も出ないまま、数ヶ月ロンドンでの入院生活を続け、いよいよこれ以上悪化すれば母国で治療を行うからと、病院側に無理を言って帰国した。帰国後は体調も良かったのか仕事にも復帰した。しかしながらすぐに癲癇を繰り返すようになり、また検査入院することとなった。

女が日本へ帰る直前、検査結果がようやく出て、悪性の脳腫瘍だということがわかった。男はすぐにまたロンドンでの治療を受けるための手続きをとり、最後は二人で一緒に過ごすこともできないままの別れとなった。

二度目のロンドンでの入院生活中、次第に連絡頻度も減ってきた。顔がむくみ、数週間に一度メッセージを打つのが精一杯だった。女の方も新しい環境で新しい仕事が始まり、二人はだんだん疎遠になっていった。ロンドンできっと治ると信じたかったのかもしれない。男の部族から看病する人が現れたほうが向こうの幸せになると思って遠慮した部分もあったかもしれない。心のどこかにロンドンに行きたいと思っていても、現実はドラマのようにはいかず、やっと立ち上げた日本での生活からなかなか離れられなかった。そんなもどかしさもあった。

きっと冬には会いに行こう、そう思いながら8月も終わる頃、男の従兄弟から彼は息を引き取ったよとのメッセージを受け取った。

昔、男の部族は異国から襲撃を受けた際、首長家を守るために雪の中前線で戦った。「真っ赤な雪」、雪を血に染めたという部族のスローガンを誇りに生きていた。射撃のオリンピック金メダル選手を親族に持ち、本人も射撃の腕前は特殊部隊の同期の中でもトップクラスだった。いたずら好きで無頓着な性格にも関わらずやたら手先が器用な男に、神はどんな使命を与えたかったのだろうか。物騒な事件が多い中東であらゆる国からの弾薬や麻薬ルートを撲滅するため、命を顧みず世界を駆け巡っていた。そんな男のスーツケースにはクラッカーとチーズのチューブと拳銃が無造作に入れられていた。

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新盆はあっけなく神に召された無鉄砲で正義感だけで生きた男を弔おう。四苦八苦、生きていると愛別離苦がついてまわる。この泥があればこそ咲け蓮の花。

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