見出し画像

ゴジラの記憶 #25 「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」

「ミレニアム・シリーズ」3作目のゴジラである。同時に、この映画から次作の「ゴジラ×メカゴジラ」「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」は、「劇場版とっとこハム太郎」との併映になり(2本立てではなく1本立て扱い。シネコンで2本続けて上映された)、「ゴジラ」を観るためには「ハム太郎」も観なくてはならない。いきおい、年季の入った怪獣ファンで子供が居る人なら、子どもをダシに使って観ることになる。我が家もそうだった。

幸か不幸か「ハム太郎」というキャラが男女両方いけるものだったために、女の子をお持ちの怪獣ファンでも、「ハム太郎」を観に行くということで映画館に行くことができた。しかし、「ハム太郎」の後にでてきたのは、シリーズ屈指の凶悪さを誇る白目のGMKゴジラである。きっと怯えて泣いた子も、トラウマとして引きずった子もいたのではないか。ゴジラシリーズが興行的に振るわなかったための苦肉の策だったとはいえ、よりによって一発目がこの映画でなくてもよかろうもん、と思うけど、「ゴジラ=怖いもの」とい潜在意識を植え付けるにはよかったのかも知れない。それが、「シン・ゴジラ」「ゴジラー1.0」のヒットの下地になったりして(んなこたないだろうけど)

でも、平成以降のゴジラシリーズの中では、この映画が私は一番好きである。やっぱり、ゴジラは怖くなきゃ~。一応、先の大戦で失われた人命の怨霊の集合体みたいな説明がされているのだが、私に言わせれば白目である所為もあるけどあれは核実験で死んだ恐竜の生き残りに戦争の怨念が乗り移ったゾンビみたいなものである。普通、映画に出てくるゾンビなら、ドロドロ・グチャグチャでピストルの弾でも撃たれた部分は吹っ飛んでしまう(でも、死なない)ものだが、このゴジラゾンビは堅い表皮に守られていて、人間の武器は一切効かない。それに加えて、光線で戦闘機さえ落としてしまう。もう、絶望するしかないのだ。

で、この絶望感は、今話題の「ゴジラ-1.0」にも引き継がれていると思う。元々、山崎監督がこの映画のファンだったということもあって、終戦直後の、軍隊も自衛隊もない空白の時代に舞台をもってくることによって、その絶望感を増幅させている。ゴジラが共感の余地もない超悪役。その所為でゴジラと戦うキングギドラは、いつもの最強ヒールではなく、ベビーフェイスとなっているのも斬新で、シリーズの中では異色作と言っていいものだが、ゴジラ=恐怖の象徴ということでは、今まで以上に原点に回帰した作品だと言えるだろう。

そういや、「ハム太郎」と併映ということで「ゴジハムくん」というマスコットを映画館で配っていたんだよなあ。ゴジラの口の中にハム太郎が居るという、考えようによっては残酷なものやったけど、最近、見かけんなあ。あれ、どうしたんやろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?